第8話 凍てつく騎兵隊の一本槍・流転

 特徴としてあげられるのは、被害者全員が衣服から肌、体内の臓器に渡るまで熱が通り所々を焦げ付かせている、というものだった。

 服や肌を焼くとなれば、ガソリンでもかけて火をつければいい。しかし皮膚の下に詰まった「肉」にまで熱を均一に通すことは可能なのか。


 時間をかければ可能である。料理と同じだ、下火でじっくりと焦げ目を目立たなくしあぶればいい。だが、をそこまで焼こうとする場合、肌どころか衣服まで灰となり後にも残らない。しかし皮膚も衣服も同一の熱で焼かれていることが分かっていた。

 ここ一連の通り魔事件……いや、もうすでに異常な手口を持った殺人事件と呼ぶべきものとなっている。犯人はどうやってこんな殺し方をしたのか、できたのか。


 そもそも、ここまで人間を壊すほどの高い殺意はどこから来たのか。


□□□


 ショッピングモールのバックヤードからは、怯え、引きつった嗚咽を出す女性の声しか響くものはなかった。

 フェンスの向こうは山道へとつながるうっそうと開いた獣道があるだけで、ここは天然の囲いとも言えた。フェンスを越えて山道に入り込むには、伸び放題の雑草が邪魔をして視野さえ遮ってしまっていた。

 関係者以外通行できないドアをくぐり、ゴミを大量に収納できる大きなコンテナが並ぶ一画で、男は薄着の女性を前ににたりと口の端をつり上げ、首にさげたペンダントを強く握った。


「な、何よ……あんた、なんなの……」


 恐怖に支配され、体は全く動かない。失禁してしまったことさえもう頭から離れている。

 コンテナを背に座り込み、膝を震えさせていた。そのすぐ足下には連れの友人が、鼻をつく酸性のものを焦がした臭いを漂わせ、物言わぬ「黒い何か」へと変貌していた。


「マジやめてよ……帰りたいし、わけわかんないし」


 少しでも男から離れようとしていた女性の足には、力が全く入っていなかった。ただがたん、とコンテナを鳴らす音だけがやけに甲高く聞こえた。


「お前が、悪いんだ」


 男はぼそりとくもる声で言う。女性は何のことだか分からない。涙と鼻水で化粧が台無しだった。


「お前が、俺を誘惑した。誘ってきたのはそ、そっちだろ?」

「は、はあ? わ、わけわかんない……もうマジ帰してよ……」


 丈の短いスカートとキャミソールという出で立ちは、確かに可愛らしく、つい視線を集めてしまうものだったかもしれない。

 だが、それだけで。

 それだけで目の前で横たわる友人まで、そんな理不尽な理由であり得ない姿にならねばならなかったのか。その友人である女性も薄着と言えたが、狙って扇情的なファッションをしていたわけではない。ただ可愛らしく自分をドレスアップさせるだけのものだ。

 決して男の、身も知らぬ人間から害を受けるためにファッションを選んだわけではない。


「は、はは。いいじゃないか。どっちにしろお前ら両方黒焦げにするんだし……でもそうだなあ……」


 男はうつむき加減でしゃべっている。口の端からよだれが糸を引いてぽたりと落ちた。男の視線は、うずくまる女性の足から細い腰、そして胸へとなでるように移動する。


「黒焦げにする前に、楽しんでいこうぜ? へ、へへ」

「い、いや……だ、誰かた、すけ……」


 叫ぼうにも声が出ない。男は一歩一歩、女性にじり寄る。女性の脳裏には最悪の結末が用意された。この薄汚い男に何をされるか……恐怖と嫌悪感で頭はパニックになっていた。


「そこまで。あなたは踏み外した道を意図的に、選んで。外の道、つまりは外道に」


 バックヤードを支配していた陰湿な空気が一気に冷たい、しかし澄んだ空気へと切り替わった。それには男も、女性も顔を上げ周囲を見渡す。

 視界四方が夜の気配を漂わせていた影から解放されていた。染みつかせた夜気を一気にクリアに洗浄し、のどを癒やす空気が地面から吹き出していく。


 冷えていたはずのコンクリートが、淡い青色の光を浮かばせる水色のものに変わっていた。弾力があり、しっかりと踏みつければ返ってくるクッションの感覚に、男ははっと顔を上げた。


「これ、は……『オケリプ』の、リング!?」

「この場はAクラス『コールプレイヤー』、咎原ししねの名において「競技」の場とします」


 声はこのバックヤードの入り口から聞こえた。コツコツとかかとを鳴らす革靴の音だけがしばし転がり続け、男は立ちはだかることもなく……できず、であった。

 咎原ししねの侵入を許し、ロングの黒い髪をなびかせながら男の横を取り過ぎた。

震えたまま、何がどうなっているかも分からないだろう、涙と嗚咽を漏らすだけになった女性の肩にそっと手を置いた。


「もう大丈夫ですよ。すぐに警察が駆けつけてくれます。すでに通報しましたから」


 優しく言い聞かせたししねが振り返る。そこからは、別人の表情になっていた。

 

 ししねの右手側に空気を震わせ、固いものをこすり合わせる音を立て始めた。

 ぎちん、と野太い衝撃音が空間そのものを引き裂き、異物の侵入を許した。

 空気中の水分が振動し、ししねの手のひらの上に次々と、凍てつく証である氷の粒が一つ二つと集まり重なり、互いに身を寄せあいやがて強固な一つの塊へと変貌した。

 ししねの手に収まっていた。まるで騎乗槍のような円錐形の槍であった。長さは見た目だけでもししねの上半身を超えている大きさはある。


「そして、あなたをこのまま放っておくことはできません。取り返しのない命を、一つは奪った。また奪おうとした。動機でもあれば聞いておきたいものですが」


 男はリングと豹変したバックヤードに戸惑いもしたが、やがて慣れたか、それとも関心をなくしたのか。ぼうっとした目で声を出す。それと同時に口の中にたまっていたよだれがぼとぼととこぼれた。


「何でかって? はは、何でもねえよ。そいつらが悪いんじゃん。俺は悪くない。誘うような格好してて、いざ声かけたら「キモい」で逃げられたよ。当然じゃんこんなの」

「では続いての質問。そのペンダント……『デヴォイド』ですね」


 あっさりと流したししねに声を詰まらせながら、「でへへ」とくもった声で笑い始めた。


「こいつはさぁ、ラッキーアイテムなんだよ」

「ラッキーアイテム?」

「こいつがある限り、誰も俺を咎めない罰することなどできない。なぜならよおお!」


 握りしめたペンダントが光を放ち始め、じりじりと空気を焼いた臭いが鼻についた。

 男の手からあぶれる光は灯っては消え、連続して点灯を繰り返すそれはバチリ! と耳元に煩わし思える音を立て、男の手のひらにうごめいていた。

 手のひら、いや手首から先、爪の先端に至るまで。電流が流れスパークを起こしていた。それは電気そのものといえたが、ひしめき取り散らばる切っ先は光っては消え、また生まれては発散され、と安定感を見せない。


 しかし、その手は何の対策もなく触れられれば感電してしまうだろう。それも尋常ではない高速のほとばしりで。後ろに横たわる死体……女性の友人はこれを直接受けたのであろう。

 空気という最大の絶縁体を突き破ってまで現れる電流のほど走り。受ければ内蔵まで焦がす。


「へ、へへ。こいつがありゃあ俺だって……うっひ」

「……今すぐそのペンダントをこちらに。もしくは破壊してください」

「あぁ? 誰に正論ぶってんの? 馬鹿じゃね? せっかくもらった最強アイテム! チートだよチート! 俺の時代が来たんだよ!」


 男の言葉はアルコールによるものだけではない。『デヴォイド』に、中にインストールされている『スティグマカバー』により感性をねじ曲げてられている。つまりはハッキングされているとも言える。


「もらった、と言いましたね……そこも詳しく聞きましょうか。ですが安心してください。不必要な加害はしません。終わる頃には頭も冷えていることでしょう」



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