第7話 呼び水は重たく降り始めた・悪意開始
「さて、お前らも早く帰宅した方がいいぞ。そろそろ雨が降るらしいからな」
ししね、夕日は重たく空が曇り垂れ込めた黒い空を見上げる。太陽の姿はなく、すでに町並み全体が影をかぶってしまっていた。
「あら、本当ですね。折りたたみ傘は持っているけど、夕日は?」
「うう、今日は持ち合わせていないですね……」
「ならジムにある予備の傘でも使っていけ。返却ならまた来た時でいい」
「えー、あのジムのロゴ入り入ってるやつですか? 格好悪いなあ……」
「んだと? あれをデザインしたのは俺だぞ!」
「まあまあ、私はあの個性的なデザイン、お気に入りですよ」
「……お前が言うとフォローなのか天然なのか分からねえんだよ……」
更衣室のドアがしまり、トレーニングルームまで一直線の廊下を歩き足音とともに大護が姿を見せた。
「傘、がどうしたんですか?」
「ああ、お前は折りたたみとか持ってるか? そろそろ雨になりそうでな」
「え、雨ですかぁ……傘の類いは持ってないですね……」
「ならこのジムの予備を持って行くと良い。返却は次に来たときでかまわん」
「ありがとうございます、助かりました!」
この会話の途中から、ししねと夕日はひそひそ話した後、ほくそ笑んでいた。傘を手渡され、大護たちはジムを後にする。
一礼すると、ジムの生徒たちも手を振った。活気だけじゃない、穏やかな、心を許せる空間がある。夕日が言っていた「優しい」とはこのことをさすのかもしれない、と大護は胸に温もりを覚えた。
だが、そんな暖かな光景のすぐ後、数歩歩かないうちに雨が頬にあたる。雨脚はこれから強くなるのだろうか。空を見上げれば灰色以上に黒く濁りその果てはくすんでいて、見通すことはできなかった。
「はあ、早速ですか」
大護は借りた傘を開いた。手開き式で、押し上げると傘が開いた。
そこには
『氷室総合ジム・牙を突き立てるなら俺の胸に飛び込んでこい!!』
と、黒の下地に真っ赤な赤で書かれている。筆を大胆に使った意欲作とも言える。
大護は雨に濡れることを気にせず、これをしばし見つめていた。
「あ、あの、藤崎先輩……これは遊び心というか氷室さんの遊び心と言いますか……」
隅っこには小筆で書いたのであろう、住所と連絡先が書かれてある。立派な個人情報漏洩であった。
「これは……格好良いです!!」
顔を上げた大護は目をきらきらとさせ、ぶんぶんと傘を突き上げ振り回している。
「ダイレクトに届くメッセージに細かい宣伝文句なんていらない、まさに荒ぶる行き場のない牙を突き立ててこいというパッションを感じます!!」
「……よかった、のでしょうかね……」
「本人が気に入ったのならいいんじゃないかしら」
はしゃぐ大護を微笑ましく見つめ、にこりとししねは笑った。
道中は浮かれる大護に苦笑を浮かべ、氷室からもらったデータの話し合いなどが行われれていた。
「いくら何でも数値ゼロ、というのはないわ。「無名兵」とはいえ元はれっきとした人格を持つ人間の魂。戦場にも趣いた、綿密な検査が行われて「無名兵」は商品にされる。足運びでも打撃を打つのでも、基礎体力と基礎技術は継承されているはずなの。動くための運動神経、武具それぞれで戦うための距離感など、ね」
「何かのバグでしょうか」
雨の降りが強くなり、夕日はししねの傘の下で言った。大護には「自分の傘に誘う」という行動をとるには勇気が足りなかった。
「だとしても、それなら初期不良か……藤崎くん、何か思い当たることとか、あるかしら」
水を向けられた大護はびたり、と足を止めてしまう。その足が、降ってくぼみにたまった雨水を踏み、飛沫をいくつも飛ばした。
「……と、特に」
「そう……もし初期不良なら行ってね。私から本格的に見てもらえるよう運営に働きかけることもできるわ」
「い、いえ。これから経験値を稼げばいいだけですので!」
大護は慌てた様子で頭を下げる。きょろきょろとあたりを見渡し、道路をまたいだ先にあるハイキングコースを目にして、足早に車道へと出た。幸いにして道路に車の姿はなかったが、交通違反の一つだ。
ししねは声をかけようとするが、その前に大護は手前に現れた山道への入り口へと向かっていく。
「では自分はここから失礼します!」
そう言って強引に会話を切った大護は、歩道から姿を消した。
その山道は地元では安全なハイキングコースでにつながっており、大護が入った山道もそのハイキングコーの出入り口の一つであった。
夕日も大護が消えていった木々のトンネルに目を向けたまま小首をかしげる。夕日はししねへと声をかけるため振り向き、その横顔が真剣な面持ちになっていることに言葉をなくした。
「……し、ししね先輩?」
「……。あ、ああごめんなさい。考え事をしてしまって。行きましょうか」
ししねが夕日を促した道の先に、後ろから聞こえてくるサイレンがすぐさま前方へと通り過ぎていく。拡張機で「緊急車両通行のためご協力ください」とスピーカーから強めの口調で角を曲がり消えてしまった。
「今の、パトカーでしたね……もしかして、また「出た」んでしょうか……」
陰鬱な目は怯えている。最近聞く犯行は徐々に街の中心部、大きなターミナルとなる駅周辺へと場所が移動ししつある。大型のショッピングモールも広があり、普段ならこの街の中心地となり老若男女問わず活気に満ちる場所だった。
不安げな顔をした夕日の手を、そっとししねの手が包み込んだ。指先は冷えて固まっており、ししねの手はその冷たさを溶かそうとする体温で抱擁した。
「先輩……」
「大丈夫。だから早めに帰りなさい」
丁度、住宅地が広がるなだらかな坂道と、大きく広がった国道に分かれていた。夕日とはいつもここでお別れとなっていた。ししねの自宅は繁華街が広がる駅前である。
夕日は何回も振り返り、そのたびに動かず、手を振り替えし笑顔で夕日を見送った。彼女が坂の上に消えるまで、ししねはその場にたたずんでいた。
「通り魔……か」
一人になりコツコツとかかとを鳴らして歩いて行く。その横を行き交う自動車の数が増え始め、街の明かりが視界をにぎやかにさせる。
その明かりに楽しみを覚えるか、何かを期待させるだろうか。行き交う先にアパレル、シアター、食事を楽しむ、街は「今から盛り上がる」とアピールしているように見えた。
そこに何を求めるか。
咎原ししねという少女はため息を落とすという答えで、足早に街へと向かっていった。
□□□
特に意味があるということはない。つい思っている言葉がぼそぼそと口からこぼれてしまう。それがよくトラブルの元となった。必死で走り回った就職活動も、面接にてぼそりとこぼした一言が印象を悪くし落とされる。彼の中ではよくある話だった。
缶チューハイでのどを鳴らしショッピングモールの中にあるベンチに座り、通行人たちを眺めていた。時刻はもうすぐ午後六時になろうとしていた。
「そうだ、あいつらが悪いんだ。俺じゃない、あいつらが……あいつら……」
首に提げたペンダントを強く握る。今はそれだけで、アルコールよりも快感を覚えるようになった。みなぎる。充実していく。気力も高まり視野が拡大した。
モールには薄着の女性が多くいた。ちらりと、露出の高いファッションの女性が今目の前を歩いて行く。
ああ、そうだ。お前も悪い。そんな格好で男の目を集める。俺もその一人だ。だから、今日はお前ですませてやるよ。
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