第6話 鉄鎖を知る仁王・語る

 ぽすん。


「……」

「……」

「……」


 あれだけ活気でふくれあがっていたジム内の空気が静寂に導かれた。


「……おいガキ。なんだそれは」

「ぱ、パンチです!」


 大護は無言のままの氷室にミットで頭を強くたたかれた。大護は「ふきゅ」と奇妙な悲鳴を上げた。


「パンチ、じゃねえ! てめえのは単に腕を伸ばして手をミットに当てただけだ! 足は棒立ち腰も入ってねえ勢いそのものを活かすひねりもねえ!」


 はあ、と盛大なため息をついた氷室はミットを取り外す。


「こりゃ基礎の基礎からだな。どうせ体力作りもしてねえだろう。今日からお前、ここに通え。毎日な」

「え、でも……」

「でももクソもねえんだよクソガキ! 強くなりたくねえのか、そのまんまでいいのか!?」

「えと……その、今すぐ決めようというのは……」


 煮え切らない様子の大護に氷室は息を整えて、轟々と吹いていた嵐から物静かな気配へと身に纏う雰囲気を変えた。


「じゃあ、その『デヴォイド』を捨てろ。今ここで、だ」

「……!」


 左腕に巻き付けた鎖が一瞬身震いを起こしたように思えた。


「そんなお前じゃその『デヴォイド』は無用の長物。いや、害になるだろう。悪質な、最悪になる。脅威といってもいい」

「……」

「最近起こってる通り魔事件のことは知っているな」


 リングを降り氷室は適当にミットを片付け、大護にリングから降りるよう促した。


「あれは『スティグマカバー』の力をダイレクトに生身の体に送り行われている犯行だ。でなければあれほど人間離れした驚異は発揮できんだろう。聞く限りではな」


 氷室はししねから手渡された小箱を空け、様々な『インデコ』を取り出す。


「これらは最新型で、もうすでに、最初から『インデコ』の中に『デヴォイド』が収納されているものだ。『デヴォイド』の……それに宿る『スティグマカバー』の力の暴力をあらかじめ防ぐ防犯処置でもある」


 気がつけばジム内の生徒たちもトレーニングをやめ、氷室の言葉に耳を傾け聞き入っていた。


「だがそれでも。あの男がそうであったように。『スティグマカバー』との絆という夢物語を信じた馬鹿な空想を描き、最後まで手を離さなかったあの男のように。そう生きたいというならば」


 大護は氷室の言葉を聞きながら、左手に巻いた鎖『スティグマカバー』を指に絡めて握りしめた。

 『スティグマカバー』との絆。自らの体に力を貸してくれる存在。


「強くなれ、実力をつけろ、勝て、負け、くじけて立ち上がりを繰り返し、最後まで己であれ。それがあの男、楠木統という人間の生き方だった」


 軽んじるな。そう氷室の目が告げていた。

 自分の実力であり、存在理由であり、『オケリプ』であり、ずっと追い求めていた背中であった。

 目指すものがあるなら、相応の心を作れ。精神をぶつけ合い、形にして鋭利な刃へと研いでいけ。

 左手の中の熱がふくれあがった。感じる。かつて同じものを手に『先生』の生きてきた道を、ほんのわずかだけ感じ取った。


「……ふん、覚悟だけなら一人前か」


 大護は今自分がどんな目をしているか、鏡でも見ない限り分からない。だが胸の奥の鼓動は耳の中を突き抜けて脳を揺らし、全身の細胞一つずつが火をともし始めていた。

 動きたい。走り抜けたい。戦いたい。心は走っていた。

思い出されるのは今日、ついさっきかけてもらった言葉だった。



「戦いなさい、藤崎大護。あなたには強くなる必要がある。その『デヴォイド』を側に置いているのならなおさら」



(強く……強く。そうだ、強く意味がないんだ)


 この『デヴォイド』を身につけている理由を考えろ。競技だけじゃない。試合だけじゃない。強くなる。それ以上に、それに見合うあの背中へ手が届くには。

拳を握りしめ固く口をつぐんだ大護の様子を見て、氷室は「やれやれ」と苦笑した。


「このジムは基本的に俺がいる限りいつでもやっている。深夜来たいなら電話を入れろ。それ以外は別に連絡はいらん」

「え……それじゃあ氷室さんはどこにお住まいなんですか?

「ん? ここが俺の住まいでありライフスペースだが?」


 備え付けのシャワーに仮眠室で過ごしているとのことだった。ししねに視線を送ると、そこは「勘弁してやってくれ」という複雑な顔をしていた。


「さて、今日はここまででいいだろう。お前は心を固めることができた。それが何よりの収穫だ」

「は、はい! ありがとうございました!」


 大きく頭を振って大護は一礼した。大護は生徒たち全員にも頭を下げ、控え室へと飛んでいく。足取りは軽く、燻っていた火種が煌々を焔を上げ始めたか。その熱が大護を強く動かしていた。

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