第5話 鉄鎖を知る仁王・入力編
月がきれいに咲く夜空だった。
それににつかわない言葉を聞いて、大男はぶは、飲んでいた日本酒を勢いよく吹き出した。
「は、はあ?
「ああ。次の夏の終わりからだ。一年間だけ面倒を見る」
落ち着いた様子で、法衣すがたの僧侶は質問を返した。酒をついだおちょこを指に、くいっと傾けた。
「そいつ、強いのか?」
「何が、だ?」
「『オケリプ』だろうが! 楠田が連れてたんなら多少は腕があるに違い……」
「
淡々と語り、日本酒を口に運ぶ破戒僧はまっすぐ真上にある月を見上げた。輝きが強く、黄金に光っているようにも見えた。
はあ、と深いため息をついて、大男は空になっていたおちょこに日本酒をつぎ足した。
「やめとけ。その小僧のためにもならん。俺らが過保護にしてどうする」
「お前には頼んでいない」
「あ、あのなぁ!」
「ただし一年だ。一年間の間に何も成せなかった場合。野ざらしになる」
「……そうしたらどうする」
「自分で生計を立ててもらわなければならんだろうな。ここから先は人事だ、俺も関心はない」
「いずれ野たれ死ぬ、か。ま、俺も知ったこっちゃないがな」
大男はいつの間にか空けてしまったおちょこを傾けながら、舌打ちする。面倒になったのか、とっくりをぐいっとあおり飲み始めた。
「だが、それで終わるとそのガキが『本当に終わってしまっていること』を目にすることになるぞ」
「……両親のこと、か」
「現実だと思っていたことが別の現実を見る。いや、真相か。例え酒かっくらってるてめえでも、一応坊主だろうに。破戒僧でも慈悲がないんじゃねえのか」
「……小言の多いことだ。どっちが過保護だ」
「あ、てめえ今笑ったな? 鼻で笑いやがったな!?」
「どちらにせよ勝てなくても結果を出せなくても、真実は浮かび上がりいずれ相対する。そこから我々がどうこうと考える必要はない」
生きるとは戦うこと。存在するとは敵意を保ち続けること。常に「他」であってはならぬ絶対の「個」。
「確かに酒を飲み肉を食らう僧侶から説得力は皆無だが。最初からあきらめてしまうことは戦いではない。戦う前から決めてしまっては生き残る意志もないことになる」
おちょこの水面に映った月の光を眺めながら、その僧侶は酒を空けた。もうとっくりの中身はない。後ろにはごろごろと空になったとっくりが転がっていた。
「決めるのは、その小僧だ」
□□□
「……決めるのは、ねえ……」
大男の氷室はあごをさすりながら、練習を再開したジム内を眺めていた。生徒たちは変わらず懸命にトレーニングに打ち込んでいるが、自分たちのコーチが上の空だと雰囲気でも分かってしまった。
ミットを打ちながら。サウンドバックをたたきながら、筋トレをしながらも、生徒たちにも関心があった。今、トレーニングウエアに着替えに行った少年のことを。
「お、遅れてすみません」
動きやすいタンクトップもハーフパンツの出で立ちで奥から出てきた大護は、つい視線を向けてしまう他の生徒たちの目が痛かった。
「よし、じゃあ『インデコ』の調整をしておくか。自分の手でのメンテは行き届いているようだが、万が一、ということもある」
大護は左手首から『デヴォイド』を外し、持っていた耳かけ型の小型『インデコ』を取り出す。
「あ、あの……氷室さん」
「ん?」
「その、持ってた人を知ってるって……もしかして、『先生』を、ですか?」
わずかだが、練習に励む生徒たちの声だけにジムは支配された。
「『先生』、ねえ……まああいつらしいっちゃらしいが。くすぐったい呼び名だぜ」
「知ってるんですね! 楠田……
「今その話はいらねえだろ。『インデコ』と『デヴォイド』よこせ」
すさまじい形相を向けられた大護は無言で『インデコ』と『デヴォイド』を手渡す。指先は震えていた。
「このジムは一応『オケリプ』公式委員会の傘下に入っていてな。デジタル処理ならいつでもできる。これからお前の気が向いたらいつでもこい。調整ぐらいなら使わせてやる」
パソコンを立ち上げ、専用アプリを起動する。一般サイズのワイド型モニターだが、肩幅のある楠田が背を曲げてキーボードを打つ姿は何か和むものがあった。
ちなみに公式のデータ面、デジタルの本格的なメンテナンスとなると専用のパソコンとそれに対応した専用アプリが必要になる。ほとんどは最寄りジムなどで調整を行うことが一般的だ。もちろん調整用だけのジムも多々存在する。
個人のパソコンからメンテナンスも可能だが、現時点のアプリの仕様の問題でリリースされるのは今現在では不透明だという。
「お前の『デヴォイド』は……確か接続式か」
鎖に似た先端はキャップとなっており、耳かけイヤホン型の本体へと直接接続する。今では無線が主流で、接続口がないものが市場を占めている状態である。
「データ表示は……最低ラインのDランクの……って、お前ほとんど試合してねえな?」
「あ、あはは……怖くて。すみません」
パソコンに接続した『インデコ』には成績も表示される。自身のランクや勝敗の数に身体的な数値など。ほとんどが個人情報になるので、人の手に任せることはない。扱うには資格が必要で、氷室のようなジムを持っているコーチとしてなら必須のスキルでもある。
「んで、仕様『スティグマカバー』は……「無名兵」。デフォルトのままだろ、これ」
「……」
苦い思いと図星の指摘に口をつぐんでしまう。それを遠巻きに見ていたししねと夕日にも話し声が聞こえたのか、夕日が「私も「無名兵」ですよ~」と手を振った。
「お前のはもう自分のプレイスタイルが決まっているんだ、すでにパラメーター類はお前用にカスタマイズしている」
「練習してても記録残るんですから、今から割り振ればいいじゃないですか」
「それがそうもいかねえんだよ……」
頭を抱える氷室はため息をついた。
「『インデコ』には勝敗に応じポイントを獲得できる。それを自分の『スティグマカバー』に割り振って強化していく。『スティグマカバー』が強くなればなるほど、自分自身の身体能力も上昇する。『オケリプ』はいわば、バディでもあり
だが、とモニターに目をやり、再び氷室は苦い顔をした。
ちなみに「無名兵」とは「名もない英雄」とされ、最初から標準装備されている練習用の『スティグマカバー』だ。攻撃力も防御力、スピードなどなど、最低限のものである。
「こいつは割り振れるまでポイントを溜めてねえ。つかどうやったらこんなちょびっとだけのポイント手に入るんだ? 負けても割り振れるポイントは、試合内容に応じて評価され手に入るもんだぜ?」
例え「無名兵」だとしてもポイントを使いパラメーターを伸ばしていけば充分に戦える。体育館で見た夕日の試合がその例にあたる。彼女のプレイスタイルを見れば明白だ。打撃に特化し攻撃力にポイントを割り振っているため、か細い腕でもヘビー級のボクサーが打つ打撃を可能とする。
しかし同じ素体とはいえ、全く力を込めていない「無名兵」はただの人形と変わりは無い。プレイヤーの肉体には何の変化も与えないだろう。
夕日と氷室、そしてきょとんとしているししねの視線を集め、大護は思わずしゃがみ込んで膝を抱えてしまい動かなくなった。
「おら立て! その怠けた根性たたき直してやる!」
「ひ、ひぃぃ! ぜ、是非穏便にお願いいたしますーー!!」
リングへと引きずり上げられた大護は膝を盛大に爆笑させながら、自分より二回り……いや、四周りはあるであろう氷室という巨人に向かい構えを取っていた。膝が抜けそうになりながら。
「スタイルは拳と足による打撃だな。まず拳で打ってみろ。肩はリラックスさせ、腕を伸ばし拳を流し飛ばす勢いで、だ。今のところそれ以外はいらん」
人間の顔ならすっぽり覆われてしまうミットを両手につけた氷室が大護の前に立った。その身長差は、大護が見上げねばならぬほどである。
「……お前小さいな。身長どれぐらいだ?」
「……ひゃ、160……」
「あ、じゃあ私と同じなんですね藤崎先輩」
「さば読みましたすみません本当は158センチです!!」
「……どこで虚勢張ってるんだお前は……」
呆れる氷室はもう嘆息すらなく、ぐったりとした様子で首を横にふる。
「とにかく。じゃあ一発目。俺のミットに当てるだけでいい」
構える氷室の腕は、大護が打ちやすい高さと間合いに合わせられている。腕を伸ばせば確実に届く距離だ。
「じゃ、じゃあ……よろしくお願いします!」
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