第2話 蛇蝎は燻りを前に・微熱
始業式は問題なく二年生の教室での自己紹介もさらりとおわった。大護は大勢の前で胸を張って立てる気質ではないため、無難な自己紹介に終わった。当たり障りない、というものだった。が、
「えっと。藤崎くんだっけ」
一人そそくさと帰宅準備していた大護は、一人のクラスメイトに声をかけられた。
それは長身で整った顔立ちの男子生徒……名前は……。
「転入生、だったか。じゃあ俺のことも分からないか。俺は昭氏滝宮あきしたきみや。変わったというか変な名前だろ? 俺はちょっとした有名人でもある」
有名人を自称するこのクラスメイトはいたずら小僧のように笑みを浮かべていた。
「なんと。この学校にて「友達100人できるかな」を実行中だ」
聞き慣れたフレーズである。小学生に入学するころの男子女子、一度は必ず口にしているかもしれない童謡だった。
「とはいえ実際には難しくてな。100人まであと少しなのだが、そこで藤崎くん」
すっと右手が差し出され、昭氏滝宮はにこりと笑った。その笑みに押されて、というか、引くに引けない独特の個性が大護は笑顔のままこわばらせ、右手を差し出した。
満面の笑みで右手を握り返す昭氏滝宮はふと、大護の左手に注目した。
「それ、『デヴォイス』だよね。それもかなり古い……というかレア商品だ。おそらく『ドットマグ』モデルの……いや、こんなのあったっけかなあ」
「あ、昭氏くん? ち、ちょっと姿勢がくるしいので……」
「おや、失礼」
右手をつないだまま、昭氏滝宮は食い入るように寄せていた顔を上げる。興奮息巻く、といった勢いで右手を離すと左腕の『デヴォイド』に釘付けになっていた。
「『デヴォイド』があるってことは……君も『プレイヤー』なの?」
『デヴォイド』は『オーケストラ・リプレイ』に直結するものだ。つけていれば誰もがそう思うだろう。
しかし、大護は柔和な、苦笑めいた表情で、
「……一応、ね。やったとしても強くはないよ。『コールプレイヤー』ってわけじゃないし。なりたいものだけど……これは記念品というか、お守りみたいなものかな」
「ふぅむ、そうかぁ……いや、あり方にうなっているわけじゃあないんだ。そんな愛着のやり方もまた美しくあり、か」
昭氏滝宮まるで名画や彫刻、美術品を見るような視線を向けていた。
「部活はどうするか決めているかい?」
「えっと、得にはまだ……」
「じゃあ『オケリプ』の部活動がある。公式認定も受けた、正式な「選手」になれる部活だ」
ざわざわとしたにぎやかな教室と廊下の間を、数人の男子生徒が走り抜けようとしていた。そのうちの一人が教室ドア前で急ブレーキし、
「おい滝宮! 第二体育館で今『オペリプ』のエキシビジョンやってるってよ! たぶん遠坂だぜ!」
「本当か!」
一人の男子生徒はそのまま走って行く。昭氏滝宮は完全にスイッチが入ったようで、目をきらきらとさせていた。
「どう、一緒に行かない? 一人の『プレイヤー』としてなら、少しは関心があると思うんだけど……」
「見るのは好きだよ。うん、ついていく」
大護もほほを緩めてうなずいた。
□□□
『おーっと今の右回し蹴り、まさかガードが間に合いました! ぎりぎりの攻防戦を繰り広げています高野夕日選手とプレイヤー遠坂くん! 奮闘の遠坂くん、ここまでの技量がありながら「趣味にとどめる」とのことで実に惜しい逸材であります!』
第二体育館は天井が高くゆとりを持って設計されているように感じる。
幅の広い室内の中央には、今まさに競技中のスポーツ『オーケストラ・リプレイ』が行われているリングがある。本格的な作りで、この体育館はおそらくリングを配置することを念頭に設計されたのだろう。
それだけ『オーケストラ・リプレイ』の人気は高く需要も供給も充実しており、学校側としても恩恵もあるということだ。
つまりはこの学校の『オケリプ』のレベルは高い、ということになる。
リング側には審判二人と実況を行う生徒の姿もあった。これは健全な試合として観戦を許されている証でもある。
(でも……あまりスタッフ側に人が少ない……?)
リングの外には控えなど誰もおらず、顧問を務めていると思われる教師の姿も見られなかった。
リングに立っている人間は二人いる。一人はハーフパンツにタンクトップの女子生徒だった。頭にはヘッドギアをつけ、その額に小型のマウスのようなものがはめ込まれている。
「あれ……公式の『スティグマカバー』だ」
大護が昭氏滝宮と体育館にたどり着いた時には、試合はもうクライマックスに入っていた。
大護が見たのは女子選手の額につけられたものだった。この『オケリプ』において最大限の要素となる装置、それも専門店などでは売られていない、『オーケストラ・リプレイ』の公式運営から『コールプレイヤー』として認められたものにしか与えられない、使用不可能な、いわば「ランクを表す帯」の役割を果たしている。
「あの女子選手、高野夕日っていうんだけど、今年の一年で唯一部活に入って公式テストに受かった強者なんだ。可愛いとか見た目で鼻の下を伸ばせばノックアウトのフラグになる」
リング上で、小刻みにステップをとりグローブを掲げる少女は確かに「可愛らしい」と表現できるルックスだろう。だが今は、競技を……真剣に『オケリプ』に挑んでいるファイターとしての顔をしている。砂の流れ一粒も見逃さない鷹の目のような双眼で、同じくグローブで身を固めている男子選手の動きを全て追っているような気迫がにじみ出ていた。
とん、と少女のかかとがリングをはねた。その瞬時、体育館の高い天井にまで、タイヤを割ったかのようなくぐもった、しかし破裂してもおかしくないほどの音量がリングから放たれた。
聴覚から肌、毛穴にまでしびれを残す音は少女が放った右の拳と、男子選手が腕を交差させ受け止めた時に発した、のだろうか。遠目からとはいえ、直に見ていた大護でも音源はそこだという現実は嘘に思えた。
ゆらり、と男子選手が膝を折り、片腕だけをあげて降参の意を示した。
『二学期開始スペシャルエキシビジョンマッチ、一年高野夕日の勝利です! それに食らいついた遠坂くんも素晴らしい! どうか拍手を!』
割れんばかりの喝采がなる。本当に格闘技会場にいるかのような熱狂ぶりだった。それに、大護もぐっと込みあげてくる熱に拳を固く握っていた。
リングの上では互いにヘッドギアを取り握手する二人の選手がいた。男子生徒……遠坂という選手は部員でもないのに『コールプレイヤー』と渡り合えることそのものがすごい。確かに趣味の範囲でしか活動しないというのであれば、もったいないとの言葉もうなずける。
「ちょっと提案したいことがあるんだけど」
すっかり魅入ってしまった大護は、同じく輝かしく感じたリングをまっすぐに見ながらつぶやいた。
「名前で呼び合うってのはどうかな。俺、できれば友達のことは名前でよびたいっていう主義……は大げさでも」
「……うん、僕はかまわないよ。えと……滝、宮くん」
「あはは呼び捨てでいいって、大護。でもその方がらしいかもな」
『閉幕も間近な解散気味な空気を全く読まず無視してお邪魔するよん』
観戦していた生徒たちもばらけ始めたころ、リングの側……実況席があった場所で強引にマイクを引っ張り握った一人の少年がいた。
髪を金髪に染めていいという校則はなかったはずだが本人はお構いなし、らしい。
そんな性質が言動に表れているのか、ずかずかと外履きのブーツでリングに上がる。
「ちーっす、自己紹介ね。俺、
ノリノリの口調で小躍りしながら、そのたびに土足の土がリング上に転がり広がっていく。
「えーと、今日来たのは他でもない。もしかたら『オケリプ』新ルーキー第二弾になるかもってやつが、『転入してきた』って、聞いたんだけどなあ」
高い身長に細く、しかしみっちりと筋肉ができあがっている。「インナーマッスル」と呼ばれるもので、拳を打ち込んだ数がどれだけ重ねられたものなのかを現していた。
「はいそこのお前」
ギャラリーは優に五十人ほどいて、もう出口をくぐった生徒もいる中で永森玄治はロープに足をかけてまっすぐ指さしを行った。
その指の先は、混雑するなかでぴたりと、大護だけに向けられていた。
「ええと名前は藤崎……なんて読むんだこれ。とにかく二年の藤崎ちゃん、いらっしゃいな」
へらへらと笑う永本玄治に向かい、大護は無言のまま何の迷いもなく歩いて行った。後ろで滝宮が「大護、おい!」と呼び止めていたが、大護に止まる気配はなかった。あっという間にリングの側まで来て、上に立つ永本信玄を見上げる。
「おお~ビビらず来るのはいいよぉ、ポイント高いねえ。んで、俺が……」
「降りてください」
ご機嫌で話していた永本が話す声に、大護のあげた声をマイクが拾ってしまった。周囲は静まりかえり、しかし固く、揺らぎを浮かべる熱が、徐々に周りの空気を喰らい育っていく。
その声に永本玄治は眉をひそめ、
「……何それ。それって俺に言ってるの? ひょっとしてギャグでいってるのかっていうあれ?」
「そこは神聖なリングです。今も二人の選手が打ち合い、汗を流した場所です。降りないのならせめて、上履きに履き替えてください。汚れます」
「……ふうん」
永本玄治の目が細くとがり、興味の色を見せ始めた。
静寂の下にうねりを見せる火の元が、薄氷の真下で湯気をあげようとしている。
冷気と蒸気でせめぎ合う圧迫感に音は押しつぶされ、体育館は異様な静けさを凝縮させていた。
「だ、大護……?」
後ろから見ていた滝宮は一瞬、大護の左手に巻かれたものが赤くうねりをあげた、ような錯覚に襲われた。
「可愛い顔してると思えば熱血漢なんだねえ。どこかの誰かとそっくりさんだ」
藤本信玄はかかかとのどで笑い、
「クソガキが俺にどの口きいてやがる! この俺がボコってやるからとっとと上がれ!」
マイクを大護に投げつけ怒鳴り散らした。大護はマイクを避けず、逃げる様子もなく頭にぶつけ、いびつな重い音がスピーカーから漏れでていた。
大護はぶつけた額上から流れる血を左手でぬぐった。じゃらり、と錆びた『デヴォイド』にも絡み取られていく。くすんだ表面にどろりと赤い色が塗られていく。
その様は、血を貪欲にすくい取る吸血生物が、華奢ともいえる大護の手首に巻き付いているようにも見えた。
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