風呂

「大丈夫ですか? キミィ様――あっ‼ フジ様‼ 」

 どう考えても、言い直しの利かない失敗だった、周囲には運転手の男と、エリカしか居なかった為、大事には至らないが。

「ああ……というか、今、キミィと言ったろ? 気をつけるんだぞ? 」

 若干顔を青くしたキミィは「さぁ、参りますよ」と、先を歩くエリカについて行く。どうにも、よく解らないが、あの乗用車。と言う物。長く乗ると気分を害する様だ。


「ほぉぉお~」

 シオンが、アポトウシスの城下町に行った時とはまた違う関心を、その街並みに覚えた。


「キ――フジ様‼ み、皆様が着ておられる服は、あれは何と言う物ですか⁉ 」

 エリカの後姿を見ていたキミィは、肩を大きく動かした。


「あ? ああ。あれは、着物。

 という和衣服わのいふくだ。そうだな。後で、私と君のも買いに行こう」

 その言葉に、フード越しの蜜色の瞳が爛と輝いた。

「約束ですよ‼ 」

 そんな、傍から見れば親子の様な微笑ましいやり取りを横目で見て、エリカは、歯を食いしばる。




「着きました」

 エリカが立ち止まり振り向くと、キミィ達は、その先の建物を見上げた。

「す、すごい。アポトウシスのお城とはまた違う作りだけど……おっきい……」

 シオンが、率直な感想を述べていた時。不意に「ビシャビシャビシャ」と、大きな水を打つ音が聴こえた。

 シオンとキミィには、それが理解出来なかったが、即座に、何を意味するか知っていたエリカが、鬼の形相に変わり、上空に怒りの声を吠える。

「御父上ぇ‼ さては、また部屋の窓から放尿をされておりますね‼ 今度と言う今度は許しませんからね‼ 」

 その、怒号とほぼ同時に、彼らもその方向に視線を送る。


「おう。エリカ、そんな怖え声出すなよ。小便が止まっちまうぜ」

 呑気な声。それを放つ老人は――着物の隙間から一物を覗かせ、二階の屋根に立っていた。

「●♪△!!■?? 」

 シオンが、直ぐにそれから目を離して、キミィに声にならぬ声を発する。


「おう。来たか坊主。まぁ、上がれや」

 その言葉に、腹に顔を押し付け、見てしまった現実を否定しようとするシオンの頭を、ぽんぽんと叩きながらキミィは溜息をついた。


「相変わらずの様で……剣師マスター……」







「まっ、てめぇの家だと思って寛げや」

 その老人は、エリカに平手打ちを食らい、左の頬をパンパンに腫らしながらも、屈託のない笑顔でそう言った。

 その彼の様子を見て、キミィは正座のまま、静かに返した。


「……随分痩せられた様で……あれから、お身体の方はどうなんですか? 」

 そう言われた老人は、確かに顔は頭蓋の形がはっきりと解り、着物から覗く胸、腕、脚。全てが血管が皮膚一枚下にある様な枯れ木の様な細さをしている。

 その姿は、かつて竜をも一刀に伏せたと云われる伝説の剣神とは。知らぬ者が見れば思いもつかないものであろう。


「おいおい。てめぇに経年の変化は言われたかねぇわ。

 なんでぇ、なんでぇ? おめぇ……誰でぇ?

 あの美しかった金色の髪は、そんな、汚ねぇ灰色になって……

 女みてぇな、でけぇ瞳の顔は、すっかりやさぐれたオヤジの顔になっちまって。

 モテねぇぞ。そもそもそんな髭を生やした、不潔な男はモテねえ」


 思わずキミィが「うぬ……」と口を噤んだ。その様子に、シオンは後ろで疎外感を感じていた。いや、正確には。


 ――二人の間に、入れない。何か……強い何かが、二人を結んでる……

 それは、死線を共に越え。

 そして、血の繋がりは無くとも「親子」の契りを結んだ、特別な――そう。絆。


「とりあえず、風呂に入って、着替えて来い。そっちのお嬢ちゃんもな」

 そう言うと、カイイは両手を叩いた。

 すぐに部屋に綺麗な着物の女性が入ってくる。

「こいつらに、仕替え。あと、風呂へ案内頼むわ」

 その言葉に、女性達は「かしこまりました」と美しい礼を見せる。

「剣師‼ 私は! 」

「い~から」


 拒むキミィに、近付くと耳元でカイイは囁いた。

「お前の居ねくなった十年。色々とおいらも動いてたんだ。

 早えとこおめぇ達にも伝えたかったんだが……」

 そこで、言葉を区切る。

「どうにも、背後うしろになんか大きなもんを、感じてな。

 バティカもアレクも、おめぇが隠居したくらいからどこに行ったのか、全く解んねぇんだよ。

 そんな感じで、話せぇねぇといけねぇ事は、たっぷりあんだ。

 風呂の後の飯の時にでも、ゆっくり話そうや」

 口では、そう言いながらも、カイイはその瞳で、キミィに何かを伝えてくる。

 キミィは予感した。それは、決していいものではないという事に。







 

「すご~い。キミィ様。あっ! フジ様! 見て下さい。こんな大きな水桶、見た事有りません! まるで泉です~」

 嬉しそうな声を発しながら、浴槽までの大理石の床をシオンが駆ける。衣類は身に着けていないが、特徴的な皮が、しっかりと胸と陰部と臀部は隠しているので、裸には見えない。

「コケるぞ。床が濡れてて滑るから」

 腰に布切れを一枚付けたキミィが、その後ろからゆっくりと浴槽に向かった。


「うきゃ‼ 何ですか? この水、熱いです! 」

 シオンが足を入れ、その温度に驚いて宙に飛んでしまった。


「火山がある国だからな。所謂『温泉』という自然のお湯なんだ。それをこうやって泉の様に囲って、その中に浸かって身を清めるのが『風呂』と言うこの国特有の文化なんだよ。慣れると、随分と気持ちのいいものだぞ? 」

 その言葉を言うと、キミィは豪快にその中へと身を投じた。


 シオンも倣い、恐る恐る身を入れる。

 ――やっぱり、あちゅいっ

 が。少しずつ。

 少しずつ身を入れると、熱さが快感に変わるのを確かに感じ取った。


「あ~」

 思わず声が出てしまった。

「ははは。気持ちいいだろ? この風呂には、疲労回復の効果が高いんだ。

 君も、旅路で体力を消費していた証拠だ。しっかり浸かるといい」


「あ~」

 ――お風呂これ……好きかも……

 シオンの中で、また新たな文化が刻まれた。

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