面影

「わぁあああ。すごいっっこれが『船』なんですねっっ。キ――フジ様」

 キミィは、フード越しに頭を押さえてシオンを傍に寄せる。大きな手に上から圧迫され思わず彼女は「むぎゅ」と変な声を挙げた。


「あまり騒ぐな。船で騒ぐ子どもなんて、この辺では居ないんだ。目立つ行動はなるべく避けるべきだろ? 」

 シオンは声に出さずに、その大きな手に伝わる様に首を縦に何度も振る。

「よし、いい子だ」


 声には出さない様に。シオンはその光景に、蜜色の瞳を輝かせていた。

 波。水しぶき。船に寄り添う自分よりも大きな魚の群れ。全てが初めて見る。感じるもの。


「あれは、和海豚ワノイルカの群れだ。人に懐っこい動物でな。天下万来は、動物と生活を営む文化が他の国よりも深い。君の里では、どんな動物を育てていたんだ? 」

 シオンは、海を眺め、微笑を浮かべながら語る。

「そうですね。やっぱり、夢魔が『乳類ちちるい』を好む傾向があるので、牛。山羊。が多かったですね。肉は滅多に食べないので、豚さんや、鳥はあまり居なかったです」

 少し寂しそうな風に聞こえた。キミィが「そうか」と言葉短に答えると、彼女は飛ぶ様に彼に向きなおる。


「そう言えば、キ……フジ様は、何か好きな食べ物とか、あるんですか? 」

 キミィは、思わずそう笑った彼女に、記憶が重なる感覚を受ける。


 ――そう言えば、キミィ。何か好きな食べ物とかあるの?


「ははは」

 突然笑われたので、思わずシオンは、開口した。

「いや、すまない。昔、同じ事を言われた事があってね……そうだな。

 わりかし、和式料理が好きで……ね。

 んーそうだな『おにぎり』かな。

 魔王討伐の旅の時には、本当にお世話になった料理なんだ」


 シオンは、それを聞くと、両手に拳を作る。

「おにぎり。ですね。解りました、是非覚えて御馳走出来る様に、精進します‼ 」

 いや、訓練する程の料理でもないのだが……と思った時、不意にすん。と潮風が鼻孔を擽る。

 ――懐かしい。本当に……懐かしい香りだ。


 港に着くと、キミィはシオンを制し、なるべく最後尾で船を降りた。

「ようこそ、刀剣の國。天下万来へ‼ 」

 刀を腰に付けた検問官が、頭に変な飾りを付けて、楽しそうに声かけてきた。


「今回は、観光ですか? それともお仕事で? あっ‼ 失礼しました。娘様とご一緒なら、ご観光ですね? では、入国申請書と、住国証明書の提出をお願いしまーす」

 キミィは、動きを遅めると、検問官に、顔を近づけた。

「カイイ・ハンマの身内の者だが。何か聞いてないか? 」

 その言葉に、検問官は「はあ? 」と間の抜けた返事を起こす。

「カイイ・ハンマとは……あの東都長の、範馬魁夷殿の事でしょうか? 」


 ――まずいな。

 キミィは周囲を見渡し、このやりとりがスムーズにいかなかった事に危機感を覚えた。

 精霊術によって創った『土鳩つちばと』は、上手く文を届けれなかったのかもしれない。そうなると、非常に厄介になる。

「申し訳ありません。

 すぐに、監査室の事務の者に聞いてきますので、お待ち下さい」


「いや、いいんだ。また、後で寄るよ」

 ここで、時間を掛けていれば、追手に見つかる危険性が高いだろう。キミィは、フード越しにシオンの頭を撫でると、その場を離れようとした。


「お待ち頂きたい。其方の方達は、如何にも我が東の都『ほむら』の客人――ついては、手続きは我々『焔』の者が致します」


 少し離れた場所でそれは聴こえた。

 振り返った時、キミィの心臓は、止まってしまう程、大きく跳ねる事になる。


 その視線に気付いたその、バレンティア製の服――確か、スーツと言ったか。それに身を包んだ美しく凛とした佇まいの女性が、頭を下げる。

「お久しぶりです――キ……養兄上あにうえ様」

 同時に、後ろに結った光沢を帯びた黒髪が、果実の様に揺れる。




 乗用車。そう呼ばれる馬車よりも乗り心地の良い乗り物に、キミィとシオン。そして運転手とその隣に座るエリカの四人が、気まずい程の沈黙で居合わせていた。


 シオンが思わず、横目でキミィを見やった。が、彼は心ここに在らずという言葉がぴったりな程、その瞳は虚空を見つめている。普段の凄みが抜ければ、本当もうただの中年男性だ。そう言えば、王国に向かう前に剃った髭がもう、無精に生えてきている。それがより一層だらしなさを引き立てる。


「――私に、姉。を見ましたか? 」

 エリカの声に、キミィの瞳と肩が揺れた。


「――久しぶりに会った……からかな?

  何年ぶりだろうね、エリカと顔を合わせたのは……」

 エリカは、バックミラー越しにキミィの様子を窺い、瞳を閉じて、その蕾の様な小さな唇を開いた。

「……姉と、姪のお葬式以来……ですから。約十年ぶりですね」


 キミィは、顔を俯かせる。

「そうか……じゃあ……えっと……」

「今年で、二十六になりました。もう、姉の歳を大きく踏み越えましたよ」

 もどかしいキミィに対し、苛立つ様にエリカが先に答える。その様子に、シオンは少しムッとした。


 そう言えば――先程、この女性はキミィの事を「あに」と呼んだ。と、いう事はこの人は、キミィの妹なのだろうか? しかし、先の会話――もう一つ違和感を覚えた言葉があった「姉」それが、何を意味するのか。シオンは未だこの時、知らない。


 その後は、誰も口を開く事も無く。長い帰路を。

 乗用車は唯々轍に沿って走っていったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る