キミィ・ハンドレット

「シオンッッ‼ 」

 開始と同時にシオンの母親は、羽根をはためかせる。

 だが、それは全て相手方の計算の範囲内。

 身の丈よりも三倍はありそうな槍を持った鎧兵が、それ目掛けて剛速球の様な投てきを見せ、それはいとも簡単に彼女の羽根を貫通した。

 悲鳴を挙げると、羽根が痙攣を起こし、真っ青な血を吹き出しながら、彼女はその場に崩れ落ちる。

 しかし。

「お母さん‼ いいから‼ あたしの事は、もういいから‼ 」

 叫んだ瞬間、鼻腔が再び裂けて、血がどろどろと鼻を伝った。そんな娘の顔を見て、母は叫びたい程の激痛を押し殺して笑ってみせた。

「大丈夫。今から行くからね。シオン」



 上空のVIPルームから、キミィは後ろに数歩下がり、全体を視界に収める。

 その様子に、サーヴァインは、剣を抜き、背後の兵達にも、同様に構えを取るよう促した。

「止めろ、サー」

 それを、止めるのはスカタである。彼も、視線はキミィから離さないが、はっきりとサーヴァイン達とキミィの間に立ってそれを阻止する態度を見せた。


「ちっ」思わず、舌を打ったサーヴァインは、剣を鞘に納めると、再び扉の前に仁王立ちとなる。


「なぁ、キミィ。俺はお前を赦そうと思う。

 何故ならば、お前には、人族を恨む理由があった。

 ……ミナとエリスの事は、本当に気の毒だった」


 その言葉に、キミィは床を大きく踏み抜く。

「止めてくれ‼ 」

 そして、スカタの続く言葉を遮った。

 その反応に、スカタは静かに、深い息を吐いた。


「では、どうする? 聖騎士バティカの様に、人族に叛逆の意志を向けるか? 」

 その、聞き慣れた名前に、キミィの右目の筋肉が揺れる。

「バティカが叛逆? 」

 スカタは、己の失言に、頭を掻いた。


「もう、しっかりと処刑したがな」

 それに、継ぎ足したのは、サーヴァインだった。

「どういう意味だ? 」一瞬瞳がサーヴァインに動く。

「そのままの意味だよ。因みに、やったのは、アルトリウスだ」

 サーヴァインは、その瞳が重なり合ったのを解って、にやにやとほくそ笑んだ。


 ――バカな。

 バティカが、自分達に何も言わずに、そんな行動を? キミィは、乱れ形を崩そうとするその精神を、必死で留めていた。


「キミィ。お前は、バティカとは違う。

 人族の血が流れた。本当の人族だ。

 だから、キミィよ」


 スカタは、その瞳に、穏やかな優しさを浮かべた。

「あの、淫魔が死ねば、お前が魔族と繋がっていた事を知るのは、我々だけだ。

 我々が赦せば、それで終わりだ。

 キミィ。お前はあの淫魔の母娘おやこが死ぬ。その数分を、このまま見過ごせばいい。それだけなんだ」


 その言葉に、キミィは冷静になる。

 そう。あれから時間はまた経っている。恐らく1分は。となれば、残りは長くても2分無い。


「お母さん‼ 」

 シオンが叫ぶが、母にもうそれを避ける気力もない。


 バス――っと、肉が裂ける音が響く。

「あぐ」小さな悲鳴を挙げ、母は、地面に倒れる。先程から、娘と母の距離は一向に縮まらない。

「キュルキュル」と、滑車が滑らかな音をたてて、ギリギリとシオンの四肢が伸ばされていく。

「ううっ」シオンは、悲鳴を噛み殺して、一筋の涙を流した。

 すると、母は、再び、震える足で立ち上がり、ふらふらと泥酔者の様に、娘の方へ歩きだす。


「やれーーーー」

「たたっきれーーーー」

 その様子に、同情を宿す者など、そこには居ない。皆、狂った熱に中てられた亡者。


 そこで、不可解な事が起きた。

 先程まで、立ち上がる度に、斬り付けてきた鎧兵達が、一斉に動きを止め、母の様子を窺いだしたのだ。


「何をしている‼ 」

「ころせぇええええぇ! 魔族は、痛めつけてころせぇええええええ‼ 」

 その行動に、観客はより激しく、殺戮の希望を叫んだ。



「見ろ。キミィ。あれは人の裏の部分だ。

 しかし確かに、人。だ。

 それは、決して間違いではない。正しい事だ。だが、それを人同士でやれば。それは、ただの弱者への攻撃。だ。

 今行われているのは、人が人を傷つけない為の正しい行動

 つまり『正義』なんだよ」

 スカタは、その優しい瞳のまま、両手を開いて頷いた。


「さぁ、キミィ。わが胸に戻って来い。

 勇者、人族の希望と栄光の象徴よ」




「お母さん‼ お母さん‼ 」

 母は、遂にその力を振り絞り、そこに辿り着く。

 目の前のボロボロになった母を見て、シオンはとうとう涙を抑えきる事が出来なくなった。

「シオン。大丈夫? 今……今、たす……」


 それは、一瞬の希望が見えた瞬間だった。

 母の言葉が途中で終わった理由を、間もなくシオンはその目に知る。

 母親の力尽き、崩れ落ちるその光の無い瞳を以て。



「あ~~~~~~っと。これは。酷いッッ‼

 謎の攻撃中断は、正にこの布石ッ‼ 名作映画の如き美しき伏線ッッ‼

 愛娘を、救えるか⁉ と、希望を持たせておいてからのぉ~~~~

 一ッッッ刀ぅぅうッッッッ両ッッッッ断ゥゥゥゥウ~~~~~‼

 文字通り~~~その細すぎる美しいウエストから、横にぃいいいいい‼

 真っっっっ二つ‼ 」


 その、解説の言葉に、観衆は狂喜した。


「さぁああああ、メインディッシュの幼体の四肢がぶち飛ぶのも。も~~~残り僅かです‼ 皆様。どうぞ、トイレには立たずに‼ 瞬きもせずに‼ ご待機ぃぃぃ‼ 下さいッッ‼ 」


 スカタは、横目で、その様子を窓ガラス越しに見た。


「さぁ……キミィ……」

 スカタは、その様子に。今、それでも動かない彼の心中を考察した。


 そして、瞬間理解した。

 彼は。理解した。 

 キミィ・ハンドレットは。


「皆様~~~~‼ カウントダウンを開始して下さい‼ 」

 司会者の声を、遥か遠くに感じながら。

 シオンは、己の四肢の関節が外れた事も気付かず。

 その、亡骸を見つめ続け。声を失っていた。


「3‼ 」

 司会者の拡声器の声と、会場の声が重なり、ステージに響き渡る。

 処刑人の鎧兵達は、一仕事終えたとでも、言いたげに、観客に向かって両手を振っている。

「2‼ 」

 会場が、正に一体になっている。

 その場の全員が。

 この魔族の幼体が、虫の様に、殺される瞬間を。望んでいる。


「1ッッ‼ 」



 瞬間だった。

 誰もが、次の瞬間、その望む光景が訪れるものとばかり、思っていた。瞬間。


 何かが、それを遮る様に、飛び込んだ。小さく。速い何かが。

 そして、それを目で判別した瞬間。


「ガシャン」と、その会場に、大きなガラスが割れる音と、重い何かが断ち切れる音が、合わさってとてつもない音をたてた。


「それが、お前の答えか。キミィ・ハンドレット」

 悔しそうに、粉々に砕けた窓ガラス越しに、彼を睨みつけるスカタ王の後ろで。

「叛逆だ‼ すぐに現場に向かい、処刑する‼

 勇者、キミィ・ハンドレットは、魔族と組み、我らアポトウシス王国を危機に晒そうとする重罪犯だ‼ 生死は問わん‼ 全員、殺すつもりで捕獲を試みよ‼ 」

 サーヴァインは、号令を吠え、部屋を嵐の様に飛び出す。


「大事ない。既に関節ははめた。精霊術による回復で、すぐに動けるようになる」


 シオンは、今自分はもう、生きてはいないと思っていた。

 魔族にも、人族に近い考えが存在する。自分はその苦しみから解放され、天国に向かったのだと。

 その温もりを感じたシオンは、疑問もなくそう信じていた。


「すぐに終わる。待っていろ」

 そう言うと、シオンの周囲を分厚い光の壁が包み込んでいった。

 会場の観客達は、一瞬の戸惑いの後、即座にまた狂気の声を挙げた。

 新たなアトラクションだと思ったのだろう。

 間もなく、舞台に多大な数の鎧騎士が現れる。

 困ったのは、司会の男だ。先程から、聞いていない状況が目白押しで瞳も泳ぎ、声も出ない。


 その中央から赤髪の漆黒の鎧騎士が現れた瞬間、会場の全員が驚きの声を挙げた。


「会場に、お集まりの紳士淑女の諸君‼

 これより、本日のメインイベントを執り行う‼

 憐れなり、この男は、魔族に心を奪われ‼ 我らがアポトウシス王国に叛逆の意志を向けた‼ 大・罪・人‼ その名も、キミィ・ハンドレット‼ 」

 

 サーヴァインは、観客を煽る様に、剣を振り上げ、高らかに叫んだ。


「そう‼ 十七年前に、魔王を倒した、あの『勇者』キミィ・ハンドレットだ‼ 」

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