旧友
まるで、その速さは疾風。こんな早い脚を持つ、余りにも巨大な馬に乗る方が、飛ぶよりよっぽど目立つのではないか? シオンは、大きな背にしがみつきながらそんな事を思っていた。
「大丈夫だ」
え? と思わず口に出しそうになる。この慣れてない状態では、喋れば間違いなく舌を噛むであろう。
「これは、
一瞬、最後はふざけたのかと思ったが、シオンは理解した。『勇者』キミィ・ハンドレッドはそんな器用な真似はしない。全て、本気で話している。そして。
怖くなる程の洞察力。こちらの不安を一瞬で見抜いた。生まれた時には既に魔王は倒されていたが、その伝説と栄光は魔族に代々引き継がれている。その長き年月、この世界の頂点に存在し続けていた魔王を倒した『勇者』これ程頼りになる存在は居ない。
――でも、どうして急に態度を変えて、助けようと思ってくれたんだろう?
それをシオンが知るのは、まだ先の事である。
「よし、ここからは徒歩で進む」
そう言うと、素早く彼は巨馬から飛び降りて、上空に両手を向けた。
飛び降りて来い――という意味らしい。
普段、飛行を行っているサキュバスのシオンにとって、高さは苦ではない。
ただ、飛行出来る事によって、飛び降りる。という行為も。それを受け止めてもらう。という行為も、彼女の経験には皆無の事であった。
「どうした? 」
戸惑っているシオンに、彼は声を掛けた。その声で、シオンもまた意を決す。
――それっ
もっと、強い衝撃を感じるか。と思ったが、全くその様な事はなく。寧ろ身体は空中で止まり、一瞬飛行している錯覚すら覚えた程だ。
恐る恐る瞼を開くと、その要因が解った。
自分の脇腹をしっかりと、大きな両腕が掴んでいる。よく人族の親子がやっている『たかいたかい』状態だ。
すこし、恥ずかしそうにしているシオンを慎重に降ろした。そして、
「バシャッ」
先の巨大な馬は、砂となってそこに崩れる。まるで魔法だ。
「行くぞ」その、様子は一切意に介さず、彼はマントを翻すと、歩を進める。すると彼女もまたそれに続いて行く。
道で人とすれ違う事が増えだした。一生懸命駆けると、彼女はキミィのマントを掴む。
「心配するな。フードで隠れている。無駄にビクビクしていればその方が不審に映るぞ」
小さな、穏やかな声だった。だが、シオンがマントを掴んだのはそれだけが理由ではない。
「すみません。その。」
キミィは、話が続く事を不思議に思い、歩を止めた。
「も、もう少しだけ。ゆっくり……歩いて頂けたら……」
見ると、その顔には汗で濡れ、薄藤色の髪が額に引っ付き、息もひどく切れている。
「すまない」
そもそも、夢魔は歩行する事があまり無い。それこそキミィの様に屈強な男性の歩幅に合わせる事など、無理というものだ。
「わぁ……」
心が躍る様な光景だった。この状況下でありながら。そう無邪気に感情を出してしまったのは、まだ見るもの全てが新しく鮮やかで在るが為か。
キミィにとってもまた、それは初めて見る街並みと変化していた。その賑やかな景色は彼に時の流れを改めて実感させる。
「こっちだ」人並みを掻き分けると、人通りの少ない裏路地へと彼らは向かう。
「キミィ様……一体何処へ? 城は……反対方向」
その問い掛けには答えない。
何故なら、理由の根本が未だ存在しているかどうかは、彼にも解らなかったからだ。
「よかった」
目的の建物は、変わらずそこに在った。
「ここは? 」説明を求めるシオンに、キミィは瞳を向けて答えた。
「まずは、ここで最新の情報を集める。昔の馴染みの店だ。心配いらない」
それだけ言うと、錆びて開き難そうなそのドアを彼は開いた。
カランカランとやる気のなさそうな鈴の音が同時に鳴る。
その中は、僅かな外光だけ入り、強いカビの臭気が籠っていた。魔族のシオンですらもその環境に不快を覚える。
「悪いが、店は夜からだ。と言っても、夜は俺が寝ちまってるがな」
暗闇の向こうで大きな人影が動いた。
「久しぶりだな。スタンリッジ」
キミィのその言葉に、その大きな影は、はっきりと反応を見せてこちらに大きな足音をたてて近付く。
そして、光の下にその姿が映った。肥満体で、頭も禿げた老人だ。
彼は、キミィに顔を近づけ、まじまじとその顔を眺めた。
「キミィ⁉ おまっ、お前、戻って来てたのかよ⁉
何だよ⁉ すっかり老け込み……」
そこで、彼はその怒涛に溢れ出る口を
「悪かった。あんな事があったんだ、当然だよな。
それよりも……どうしたんだ? 俺の店に来るなんて……」
キミィが「時間がないから手短に話す」と、言うと彼は表情を一気に厳しくした。
「何の話を聞きたい? 」
カウンター席に座ったキミィに、かつて彼が決まって飲んでいた名酒が。少し離れた場所に座ったシオンにはミルクが置かれていた。
離れた場所に彼女を座らせたのかは、キミィの機転だ。恐らくここの話は彼女に聞かせるべきではない内容が出るだろう。
スタンリッジもまた、彼が何故幼女を連れているのかは聞かなかった。かつて、自分達人族を救い。そして、その後の世に絶望し、歴史の表舞台から姿を消した『勇者』その人が自分を尋ねて来たのだ。
無粋な真似は出来ない。敬意を払い。そして、友への情を持って迎える。それが、彼の流儀か。
「そう言えば魔族絶滅隊は、王の次男坊が引き継いだよ。今や国の英雄だ『勇者』に匹敵する『白騎士』の称号まで与えられている」話しにくそうにしていたキミィに彼は気を遣い、自分からこの十年で変化したであろう出来事を話し始めてくれた。
その話にキミィは、酒を口に運ぶ。カラン。と丸い氷がグラスを鳴らした。
「アルスが」
懐かしい名前だった。キミィがまだこの国に居た頃。彼は第二王子の身分ながら、一般の兵士と共に訓練に参加していた。その地位を一切感じさせず、気軽に誰とでも接し、とても人望が厚く、自分の背中を必死で追いかけてきた。
「そうか、あいつが」思ったよりも早かった。と思ったが、もう十年の月日が流れているのだ。当然の事だと、納得した。
「しかも『裏』の部隊と、黒騎士は、長男坊が継承したよ」
その単語は、キミィも初めて聞いた。
「裏? 」
その返事に、スタンリッジは、あ。と口を開いて続けた。
「お前さんが出て行ってからな? 魔族絶滅隊は、二つに別れたんだ。
各地で猛威を振るう魔族に対して。つまり、表沙汰に『正義』を立てかけてそれを駆逐するのが『表』の部隊。白騎士、アルトリウス・ジェイド率いる魔族絶滅隊」
そう言うと、彼は自分のグラスにも酒を注いで、一気に飲み干した。
「逆に、決して表沙汰に出来ない事例。要するに戦意の無い魔族を一方的に虐殺、蹂躙を目的とする。汚れ仕事を受け持つのが。通称『裏』黒騎士、サーヴァイン・ジェイド」
サーヴァイン。彼の記憶は、キミィの中にはあまりない。
あまり人前に姿を見せる人物ではなかったが。あの鋭い目付きだけは記憶に残っている。警戒すべき人物だ。と、あの頃から思っていた。
今の話では、恐らくはシオンの里を襲った部隊はこの『裏』の方であろう。
キミィは、ついに核心を尋ねる。
「その魔族絶滅隊に、夢魔が大量に生け捕りにされていると、或る者から聞いた。一体その理由は何だ? 」
「夢魔ぁ? あ。ああ、淫魔の事か。
……そうだな、前に客に聞いた事があるぜ。
世界の弱い魔族を捕縛して、国王が主催で
多分、それの為に生け捕りにされたんだろうな」
キミィは、目を細めた。
少しだけ。初めてシオンからこの話を聞いた時、少しだけだが、それを予想していた。
「その場所は? 」
そう言われると、スタンリッジは頭を掻いた。
「ちょっと待っててくれ。そういや、昔誘われて、チラシを貰った記憶がある。すぐに探してくる」
そして、そこを離れた。
「皆の居場所は、解りそうですか? 」
気が付けば、空のグラスを持って、シオンが後ろに立っていた。
「ああ。もう少しだ。解り次第出発しよう。準備を整えておいてくれ」
すぐ後に、どたどたと重い足音が聞こえてきた。
「おい、有ったぜ。キミィ
だけど、入るには許可証が要るみたいだ」
そう言うと、彼はキミィに、その紙を手渡した。
「どうすればいい? 」
スタンリッジは、額の汗を拭い、また酒を一杯飲み干した。
「少し時間をくれれば、手配するよ」
「どれくらいかかる? 」
間髪入れずの言葉は、彼の余裕の無さを示していた。
「一日……いや、二日は欲しい」
キミィは、口元に拳を当てて考えた。長い。しかし、これが無ければ。
「ただ、許可を権利者から得ても入る事は出来るぜ? お前さんなら王家の誰かが確認してくれれば、すぐに入れるんじゃないか? 」
キミィの顔が挙がる。
「
懐に手を入れたキミィに、彼は右手を向けて首を振った。
「金なんて、いらねぇよ。
この事も、誰にも言わねぇ。
ただよ……
キミィは、伸ばした手を戻すと、力強く頷いた。
「キミィ様。準備が出来ました」
近づいてきたシオンに身体を向けると、静かにスタンリッジに、背を向けたまま手を振る。
これでいい。
友が、友を助けるのに、余計な物は必要ない。
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