涙
その姿勢は、一個の個体として。まるで荒野に咲き誇る一輪の花の様に可憐で美しく。力強いものであった。
キミィは言葉を失い、礼節を尽くすその小さな魔族にしばし目を奪われる。
思い出した様に行われた呼吸により、ようやっと正気を取り戻すと。気を持つよう数回首を振る。
「そうか。私は……ケニーとでも呼んでくれ。
シオン。話を続けるから、頭をあげてくれ」
その言葉で、ようやっとベッドに下げていた頭を、シオンは起こした。戻る時、
「よし、いいか。一つ目の質問だ。
何故、君が使いに選ばれた? 話を聞く限り、君は里で最も幼かったのだろう? ならば、君よりも成長した者が使いに出た方が、安全ではないか? 」
キミィ……今は、ケニーだったか。彼の質問に、シオンは真直ぐな瞳で答えた。
「いえ。逆なんです。幼いからこそ。あたしが選ばれました。
ケニー様は、あたし達夢魔の性質をご存知ですか? 」
言いにくそうに、彼は額を示指で掻きながら「ある程度はな」とだけ返した。
「あたし達は、人族の生気を栄養とします。
勿論、それはあくまで効率の高さと……種族の趣向としての価値であって……
実際は、他の食料でも代用は効きますし現在では、殆どの夢魔は、そうやって山菜や農牧によって得られる食糧で生活しています。
ただ……
やはり、種族としての『本能』と言うものがあって。幾ら理性を保とうとしても、それは逆らえない程、大きな力で……人族が溢れかえる様な場所に行くと……」
「催淫か」こんな幼女の姿をしている彼女に、全てを言わせるのは無粋と言うものだろう。
「……はい。そうなると、勇者様を捜索する事など、不可能。そして、里で催淫の暴走徴候がなかったのが、まだ成体として未熟すぎたあたしだけ。だったのです」
大きな体を一つ揺らす。同じ体制で居た為、若干尻に痛みを覚えた彼は、同時に「解った」と、一つ目の質問を終了させた。
「では、二つ目だ。これは、最初の方の君の会話で出て来た事だが。
不可解な事を君は言った。
夢魔達が……君は魔族絶滅部隊に『捕らえられた』と言ったね?
だが、その前に、君自身も言ったはずだ。
奴らは魔族を『駆逐』する事のみ。それを目的に動いている。だからこそ、里の長も、即座に殺されたのではないか? そう言った意味は、何だ? 」
すると、シオンは困った様に蜜色の瞳を隠す様に落とした。
「あたしには……解らない……のです。
ただ、彼らの誰かが言っていました。『スカタ国王の命だ、出来るだけ生け捕りにしろ』と」
国王が……? 少なくとも彼の知る国王は魔族に情けを掛ける様な人族ではなかった。だが、目の前の魔族の幼女が嘘を言っている様には、思えない。
しかし。
「長い事、説明させて悪かったな」
身体から力を抜いた彼の様子を見て、シオンもまた、安堵で体の緊張が解けた。
「だが」
即座に、彼は言葉を続けた。それは、早く伝えるに越したことはないだろうと、思ったからだ。特に。相手にだけ『希望』が見え隠れする様な事は。
事情は、解った。
だが、それに自分が答える意味も、理由も全くない。もう、何事にも関わり合いを持ちたくなかった。
「悪いが、ここには勇者らしき人族など居ない。私が一人、長い事住んでいるが、私以外の生物など、見た事もない。死霊なら腐る程居るがな」
シオンは、その言葉に誰の眼でも解る程の哀しみの表情を浮かべた。
「そんな、顔をするな。少しだけだが、金と食料を分けてやる。これを持ってどこか人族が来ない様な土地に逃げるといい」
だが、幼女はそれを聞くと、ベッドから立ち上がり、頭を下げてカップを彼に返した。
「魔族のあたしに、暖かい施しを……ありがとうございました」
そう言うと、足早にその小さな肩を震わせ、戸の方へ向かう。
「どうする気だ? 」その言葉に、彼女は足を止めて答えた。
「王国に行って。あたしが皆を救い出します」
思わず、彼は呆れた様に、首を横に振るってしまう。そして、こう。言葉を返したのだ。
「死ぬ気か? 君が行った所で何にもならないだろう。
母親が、君を逃がした意味は、恐らく勇者を捜し出させようというものではない。
君を『生き残らせたい』という、親心だ。
ならば、その気持ちに応えて、命を捨てる様な真似はするな」
その言葉は、正論だ。
ただ、時に正論という現実は。
心を切り裂く。
「そんな事、解ってる! でも、皆を……! お母さんを‼ 見捨てるなんて! あたしには絶対に出来ない‼ 」
振り向いた顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃに汚れていた。とめどなく溢れるその涙は。
種族など、関係ない。透き通るそれは。まるで無垢な心。そのものであった。
それを、見た時、『誰か』が彼の心の何かを――叩く。
ぐしぐしと、乱暴に右腕で彼女は顔を擦った。そして、もう一度ケニーに向かい頭を垂れる。
「すみません。命の恩人である、貴方に。また。失礼な事をしてしまいました。どうか、お許し下さい。ありがとうございました。さようなら……」
そう言って、振り返ったその背中が。
あの日の景色と。重なって彼には見えた。
――ミナ。そんな顔で……泣くな。泣かないでくれ。
「待て」
戸に手が掛かった、その瞬間であった。
その声に、尋ねるでもなく、彼女は後ろを振り返る。
「身を清める時間を、半刻くれ。下山する支度をすぐにする」
その言葉は、すぐには理解出来ないものだ。だが、何か。彼女の心に温かい何かが流れてくるのを感じた。
「貴方は……一体? 」
そう、訊かれたのは、もう十年ぶり以上か。そんな長い年月放置してでも、人はそれを忘れる事が出来ないのだな。と、彼は少し笑って、答えた。
「我が名は、キミィ・ハンドレット。天、地、人、海、冥の精霊の加護を受け、十七年前に、三人の聖騎士と共に魔王を討ち滅ぼし『勇者』なり」
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