シオン


「山羊の乳だ、悪いがこんなものしかないぞ」

 飲み口のメッキが剥げて、汚らしくなった金属製のカップに、真っ白な液体が、ゆらゆらと揺れ、灯りを美しく反射させる。

 山羊のミルクは、この場所では非常に貴重な物であったが、そうも言っていられない状況が起きた。

 先の言葉を言った瞬間。キミィがその言葉の真意を尋ねるよりも早く。彼女の腹が大きな音を立てて、会話を遮断したのだ。

 彼女は、子どもながら、一端に顔を紅潮させ、腹を押さえた。その仕草が、妙に人間臭くて、彼はその様子がおかしくなって。出来るだけの施しとして、それを差し出したと言う訳だ。




 そう言えば、以前から気にしていた事が在った。

 『勇者』という存在は、魔族にとってどういった風に思われているのか。

 自分達の崇拝するべき頭領。魔王を滅ぼした最大の要因人物。彼らにとっては悪魔に近い存在なのだろうという事は、想像に容易い。まぁ、魔族にとっての悪魔は、人族からしてみればまた、別の意味合いのモノになるのだろうが。


 そんな『勇者』を。

 何故、この淫魔の幼女は会い求むのか。

 必然。良い事ではないであろう。今後の受け応えによれば、彼女と戦闘になる可能性もあるのか?

 この子どもと?

 キミィは、やはり、助けるのではなかったな。と溜息をつく羽目になる。


 反対に彼女はというと、少し落ち着いたのか。将又はたまた山羊のミルクが好物だったのか。いや、単に飢えていただけか。カップの中の白液に、蜜色の瞳を爛々と輝かせると。

 キミィにとっては、一日分とも言える、その食料を。

「クピクピクピ」っと、一息で飲んでしまう。



「美味かったか? よかったな。じゃあ、話を戻すぞ」

 言うと、キミィは椅子をその幼女の座るベッドの前まで持って行き「ドスン」と、音をたてて座る。

「何故、勇者に会いたい? 」

 先の施しを与えてくれた時とは、全く違う。その言葉と表情には、一切の優しみはない。恐怖を抱く程の凄み、それのみがあった。


「あ、貴方様は、勇者様のお知り合い……ですか? 」


「質問は、許していない。私の問いにのみ答えろ」


 間髪入れないその返答に彼女は、瞳孔を針程に窄め、眉をへの字に傾けた。有無を言わさぬその迫力は、幼き身体と精神では到底抗う事など出来ない。


「勇者様に……あたし達、夢魔の一族へお慈悲を頂きたく思っているのです」


 想定の片隅にも無い答が返ってきた。


「慈悲……? だと? 」

 幼女は、その怯えを抑える為か、再度毛布で体を隠す様に包まると、怯えた表情のまま説明を続けた。

「はい……勇者様は、人族で最も高い地位に居り、その発言力は、何にも勝る。と聞きました。ですから、あたしは一族の皆にその役目を託され。そして、この死霊の森に、勇者様がいらっしゃるという情報を掴み、参ったという次第です」


 彼女は見た目の幼さの割に、小難しい言葉を使う。

 だが、その事よりも、今の発言。決して聞き逃せない部分があった。

「解った。では、次の問いだ。勇者がこの森に居ると、お前に教えたのは、誰だ」

 声と、瞳に殺意が灯ったのは、無意識の内であった。

 ここに、己が隠居している事を知る者は、そう多くない。この生活の脅威となる可能性に、彼は焦りに似た感情を抱いたのかもしれない。


 幼女は、顔色を蒼白させ、震える唇で答える。

「パレス自治国の……あるお方です」

 ――バティカか……

 成程。と、一つの疑問は、最悪の可能性を否定しが解消された。

 自分の中に在るその、情報をこの魔族の幼女に漏らしたであろう人物の印象は、無暗に友の隠居を邪魔する様な、無意味な事をする様な真似はしない。なれば。


「勇者が、人族に対し未だに影響力を持つか、どうかは知らんが……その慈悲。とやら、一体どういう意味なのだ? 」

 己の住処を伝えたであろう人物が、信頼に足る者だと解った事もあったのか、次の質問の際には、先の恐ろしい程までの殺気は姿を潜め、幼女に一種の安心感を与える。


「……貴方様は……『魔族絶滅部隊』という、アポトウシス王直属の部隊をご存知ですか? 」

 一瞬、息を呑んだが、キミィは敢えてそこで答える事はしなかった。何故かは解らないが。ここでそれを話すと、自分がこの幼女が捜している『勇者』だと、気付かれるかもしれない。と思ったのだ。


「魔王様が勇者様に滅ぼされた後、人族によって魔族殲滅の為に組まれた、戦闘部隊です。

 彼らは、全国各地で、魔族の情報を聞きつければ、山ならばそれが平地となるまで。海ならば、そこを埋め尽すまで。執拗に魔族を捜し出し。そして、見つけると駆逐する事を絶対とします」


 キミィは、沈黙を以てその続きを促した。先の唾液で、顎髭がパリパリと皮膚を引っ張るのが不快で仕方なく、手がそれをつつくが、耳は幼女の言葉に集中している。


「先日。あたし達の隠里かくれざとが、彼らに見つかりました。

 長は、必死で人族に迷惑を掛けない事を誓いましたが、彼らの代表は聞く耳も持たず、長は即座に殺されました……

 あたしの、家族も……皆、捕獲され、王都に連れて行かれたのです」


 キミィは、最後の言葉に一つの疑問を持つ。幼女の語りが一息つくのを待とうか窺った所、幼女は話を続けたので、一旦その疑問は胸に閉まっておく事にした。


「皆が、捕まる中。お母さん……あたしの母は、こう言いました。

 今は、人里を離れた『勇者』様に。この状況を伝えてほしい。

『王都』のしている事を、その目で確認してほしい。

 そして、知ってもらいたい。

 自分達が齎した『平和の世界』の」


 そこで、幼女はぶるると、顔を震わせた。


「隠された残酷な姿を。願わくば。

 私達が己達の犯した歴史の罪を受けた上で。

 その残酷な罰から私達を救ってほしい。と」


 歯を噛みしめた音が、小さな口からは思えない程大きく鳴った。恐らくは、それがこの娘と母親の今際の会話だったのだろう。吐き出しそうなそれを。彼女は必死で堪えているのだ。


「それから、あたしは里の皆が起こしてくれた催淫によって、そこから逃げ出す事が出来ました」

 キミィは「ふむ」と、相槌を打つ。

「それで、秘境パレスに向かい、勇者の情報を集めたと言う訳か。こんな小さな子どもにしては驚くべき行動力だな」

 幼女は、その言葉に首を振った。


「魔族は、人族に比べ、とても短い年月で成体となります。確かにあたしは里で最も幼く、小さい個体ですが、人族で言えば十歳程の子の知性を得ていますので、そう難しい事ではありませんでした。羽根もありますし。夜に移動すればそれこそ、パレスまでは簡単に辿り着く事が出来ました」


 十……確かに彼女の容姿からすれば、それは高いものかもしれない。幼女と評する様に彼女の見た目は人族で言えば四、五歳程度か。


「二つ。質問をいいか? えぇっと……」

 話が一区切り着いたのを見計らって先の疑問と、新たにうまれた疑問を尋ねようと思った。そこで、当たり前だが、ずっと見逃していた事にようやく気付く。

 その様子は、彼女にも伝わり、そしてそれを伝えていない。という事が部族を隔てても礼に反するという事を、彼女もまた思い出した。


 慌てて毛布から体を露わにすると、しなやかに座ったまま腰を折り、そしてキミィに向かい頭を垂れる。


「申し遅れました。あたしの名前はシオン……『シオン=アクレア』と申します」

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