第28話 新たな刺客


 そしてその夜。鬱陶しいほどの蒸し暑さに息苦しさを覚えながら、おれと茉莉は綺麗な満月が浮かぶ夜空の下を走っていた。

 理由はこの少し前に、季節外れの赤一色の閃光弾が夜空に弾けたのを見たからだ。

 ただのヤンキーがそれをやっているならばそれはそれで警察に任せればいいだけの話だ。しかし、これがもし異端審問によるおれたちの呼び出しだったら……。戸惑い、焦り、恐怖。あらゆる負の感情がおれを満たし、精神を蝕んでいった。

 だからおれは自分で考えることをやめ、透さんに連絡をとった。

「出てくれ……、頼む」

 その思いが通じたかのように、彼女は電話に出てくれた。

「もしもし、透さん?」

「そうだよ。急にどうしたの?」

「もしかしたら異端審問かもしれない」

「どういうこと?」

 声色を硬くし、透さんは丁寧な言葉で訊いた。

「さっき空に真っ赤な閃光弾が上がったんだ。ただのヤンキーの仕業かもしれない。でも、そうでなかったら……」

「色々とまずいね。場所は分かるの?」

「恐らく宝楽駅の方向」

「そこまで情報がある。永月くんはどうするの?」

 ゆっくりと、しかし重みのある言葉で透さんは訊ねた。本当は今すぐ行って王鳳の恨みを晴らしたい。でもそれによって茉莉を失っては本末転倒だ。それを考えると、やはり行かない方が……。

「何を迷っているの? 答えはもう出てるんじゃないの?」

「そ、それは……」

 茉莉を一瞥する。そこには全てを守り、和平を願う彼女の真剣な顔があった。

「行きなさい。私と露亜もすぐに行くから」

「すいません。ありがとうございます!」

 そう残し電話を切り、今に至るのだ。


 もうすぐ6月。暑くないわけがない。宝楽駅は自宅から南西方向にある。南方向にあるバス停を通り過ぎ、いまは西方向に走っている。

「大丈夫か?」

「うん、平気」

 まだ時間はそれほど遅くない。普通ならばスーツ姿のサラリーマンなどが闊歩していてもおかしくない。だが、それがひとつもない。

 隣を走る茉莉が心配になり、そう声を掛けるとしっかり返事は返ってくる。まるでどこか違う世界に迷い込んだみたいだ。

 待てよ……。まるで違う世界じゃなくて本当に違う世界じゃないのか?

「茉莉、ちょっと待ってくれ」

 そう声をかけ、立ち止まると周囲を見渡す。おかしい……。こんなの普通じゃない。

 周囲の景色に異常な点は見当たらない。ただどうにも胸騒ぎが収まらない。

「ゆっくり進むぞ」

「うん」

 バス停を通り過ぎてからの細い道を真っ直ぐに進むと、大通りに出ることができ、そこからだと駅の姿が視界に収まる。


 赤と青という派手な色の壁、装飾の少ないシンプルなデザインは駅とは思いにくい。

 おれたちはそこへと歩いて近づく。誰かがいるような気配はない。それに閃光弾を上げたような火薬の匂いもない。

「ビンゴ……かもな」

 異様とすら思えるほどに人のいない空間、閃光弾が上がったはずにも関わらず匂わない残り香。これを人の仕業だと言えるだろうか。

 茉莉に注意を促し、無人の駅の改札を抜ける。

 普段なら毎日終電の時間まで駅員がいる。だが今は居なく、電気すら付いない。また自動改札口が機能していないようで、おれたちは料金を払わず中へと侵入できた。瞬間──

「レディースアェーンドジェントルマン!」

 耳に触る甲高い声が駅内に木霊した。

「誰だ!」

「誰だと思う?」

「知らん」

 短くそう答えながら姿の見えない相手に周囲を警戒する。

「俺ァ、異端審問特別執行官ムギィの長男、アルヴァ。またの名を有馬流布あるま-るふと申す」

「異端審問……

「そのとぉーり! 魔女に与する者よ、今ならまだ期間限定のチャンスをやろう」

「チャンスだと?」

 うむ。という声と同時に駅内の電灯が同時に点灯し、その光と共に華奢な体躯に長い水色の髪が特徴的な男性が姿を見せた。

「魔女とは古より邪悪な存在。そこで! 俺ァの良心から慈悲を与える、ということだ」

「いらん。おれは自分の意志で茉莉と立ってるんだ」

「類は友を呼ぶ、と言うがここまで我々に歯向かう者ばかりがフィーヌスやマーリンの元に集まるとは傑作だわ」

「何よ! 私や姉上が悪いって言うの!?」

 アルヴァの言葉に言葉を荒らげて言う茉莉。それを嘲笑うかのようにアルヴァは甲高い声で告げる。

「そうだ」

 水色の髪に生える新緑色の着物をはためかせ、長い髪をなびかせる。

「うぜぇ……。とにかく行動がうぜぇ」

「それは俺ァに喧嘩を売ってるという解釈でいいのかな?」

「あぁ、そうだよ」

「なら仕方ないですね。100万円で買いましょう!」

 楽しげにそう言い放つや、アルヴァは着物の胸元に手を入れ、中から札束を取り出す。それは福沢諭吉の顔がプリントされたお札で、束ねてあるそれをおれの足元に投げ捨てる。

「死ね」

 それと同時に短く吐き捨てられた言葉。それは酷く歪で、不穏で、破壊的だと感じた。悪寒と同時に訪れたのは風を切る音だ。

 その音を異様に感じ、札束に奪われた視線をアルヴァがいた辺りに戻す。しかしそこにアルヴァの姿はない。

「何!?」

「ここだよ、ここ」

 退屈そうに放たれる言葉は背後から聞こえる。

 くっそ……。その言葉を飲み込み、慌てて振り向く。

「ここだってば」

 次は右側から聞こえる。追いかけるように振り向く。

「だからここだって」

 次は左。

「もう。ここだよ?」

 次は後ろ。

「正面向いてみ?」

 次は前。

「期待はずれだわ」

 左側で声がした。その瞬間、脳みそが震えるのを感じ、張り裂けんばかりの痛みが走った。

 一体何が……。その思考が追いつく頃には、全身に強い衝撃が襲う。痛い……痛い……。

 何が何だか分からず、ただ痛いということだけが全思考を奪う。

「拓武くんっ!!」

 茉莉の張り裂けそうな声が倒れたままのおれに僅かに届く。だがそれに答える前に別の声がする。

「これだから……三下貴族はッ!」

「うるさい!」

「だってその通りだろ? 俺ァ本当のことしか言わないからな」

 瞬間、アルヴァはおれの視界から消えた。

「一体どこへ……」

 そう呟いた刹那──

「俺ァここにいる」

「ッ!」

 アルヴァは声と共におれの前に姿を現し、胸部を踏みつけた。息ができない……。圧迫された肺がどうにか空気の通り道を探し、呼吸をしようとしている。

 だが、それを嘲笑うかのようにアルヴァは胸部を踏む圧を強くしてくる。

「人間なんて所詮そんなもんなんだよ」

「やめて!」

「止める……。なんて選択肢があるように見えるかな?」

 両手を広げ、まるで何かのショーをするかのように楽しげ、挑発的な態度で言い放つ。

「私の拓武くんから離れてッ!」

 涙で掠れる声でそう放ち、茉莉はアルヴァの方へと駆け出す。

「三下貴族にもそんな度胸があるとはな」

 嘲笑気味にそう告げるや、おれの肺は圧から解放され、代わりに顔に水蒸気がかかる。途端、茉莉の叫び声が耳をついた。

「痛い!」

「魔女にも痛いって思うのか?」

 高笑いを上げながらそう言い放つアルヴァに、おれは立ち上がり語気を荒げて叫ぶ。

「魔女魔女って、アンタら異端審問がどれだけ茉莉達のこと知ってるって言うんだよ!」

「さぁな。俺ァたちは魔女たちのことなんて微塵も知りたくねぇって思ってるよ。穢れた魔法なんて能力を使える奴らのことなんてな」

 蔑むような視線を茉莉に向けるアルヴァ。

「穢れたって……、魔法のどこが穢れてるんだよ」

「魔の力なんだぞ? 穢れてないわけないだろ」

 そう放つとアルヴァは茉莉の首を掴み、持ち上げておれに見せる。

「こいつのどこが穢れてないって言うんだ? アァ?」

 苦悶に満ちた茉莉の表情。助けて、と訴える彼女の目。

「茉莉を離せ!」

 考えるより先に言葉が飛び出た。それと同時に体も動き、アルヴァとの距離を縮めた。

「お望みなら殺して差し上げるよ?」

「うるせぇ!」

 愉快気に話すアルヴァに、おれは強く握りしめた拳を顔面めがけて振り下ろす。

「ばぁーか」

 パシン、という強い音がおれの拳とアルヴァの掌が重なることにより生まれる。そして、目を見開きにかっ、と笑う。

 それは完全におれをバカにした顔だった。そしてそれはすぐに怒りの表情へと変わり、

「まぁ俺ァそういうのが1番嫌いなんだよ!」

 そう叫ぶ。直後、アルヴァは茉莉を投げ捨ておれへと向かう。そして脚を蹴りあげ、おれの腹部を蹴り飛ばす。内蔵が膨張し、あらゆる臓物が移動し口から飛び出してしまいそうな、そんな感覚に陥る。

真空烈火バキュームバースト

 茉莉はおれとアルヴァとの距離が離れたことを確認し、魔法を放つ。大気中の元素と元素が衝突し、摩擦によってどんな赤よりも紅い熱量を帯びた焔が一塊となりアルヴァへと向かう。

 アルヴァはしたり顔で右手を前方へと突き出す。

魔法器具ウェザーディング 大盾真核パワーシールド

 その言葉に反応するかのように右手が光に包まれ、同時に手の先に青白い大きな盾が顕現する。焔は盾に衝突する。

「いいね、この当たりの強さ」

 表情1つ変える様子もなく、アルヴァはそう言うと左手を斜め四十五度で構える。

「魔法器具 魔剣"グリモニア"」

 言葉と共にアルヴァの左手の中に紫色の禍々しさが漂う柄に滑らかな曲線美を誇る少し深緑色を帯びる刀身で、どこか妖刀を彷彿させる剣が現れる。

「二つ同時!?」

 驚きを隠せずそう零すおれにアルヴァは口角を釣り上げ、不敵に笑い言う。

「この程度で終わりなわけないだろ?」

 アルヴァは右手で盾を展開し焔を受け止め、左手に魔剣を携え、右足と左足を軽く触れさせる。

「魔法器具 水圧突破ライトニングアップ

「嘘でしょ!? 三種同時使用トライアングラー!?」

 茉莉は焔を操りながらそう喘ぐ。三種同時使用というのは具体的にどれほどすごいのかおれは分からない。ただ言葉のニュアンス的にかなりすごいことなのだろうと推測はできる。

「いくぞ」

 茉莉の驚きに笑みをこぼしたアルヴァはそう声を零す。瞬間、彼の足元から爆発的な量の水蒸気が舞い上がる。そして同時に、茉莉の焔に押され気味だったアルヴァが形勢を逆転し始める。茉莉は表情を歪め、焔に全神経を注ぐ。

「ハハハっ、それでよい。良き良きだ」

 その様子を愉しそうにするアルヴァ。やばい。おれは直感的にそう思った。

 臓物は未だにぐるぐる回っている感じが残り、吐き気だってある。でも、ここで動かなければ……、茉莉が手の届かないところへ行ってしまうような、そんな気がした。

 おれは全身に鞭を打ち、立ち上がり、茉莉の焔を圧倒しながら茉莉に迫るアルヴァに迫る。

「同族を殺めるのは少々気が引ける部分もあるんだぞ?」

 近づくおれにそう言い放つアルヴァ。

「誰がお前と同族か」

「穢れた魔法を使えない。同族だと思ってたんだけど……、そう言ってくれると殺しやすいよ」

 安心したような表情でそう放ち、アルヴァは魔剣を振り上げた。

「拓武くんっ!!」

 金切り声にも似た叫びを上げる茉莉。

「死ね」

 愉快、威圧、満足、あらゆる感情が入り混じった形容しがたい表情を浮かべるアルヴァ。

 死んだ……。今度こそおれは……死ぬんだ。

 そう悟った瞬間。

「そこまでよ!!」

 よく知った声が駅内を木霊した。――透さんだ。

「チッ、面倒なことになった」

 アルヴァ腹立たし気にそう吐き捨てると、魔剣の向きをおれでなく茉莉の方へと向ける。

「何をするの!」

「マーリンにそんな物向けないで!」

 透さんと露亜の声が連続で飛ぶ。

「邪魔者は外からごちゃごちゃ言うしかできない」

 ため息交じりにそう言い放つと、アルヴァの足から噴出していた水蒸気が止まる。同時に茉莉の焔がアルヴァを押し込む。

「常闇すらも打ち消す魔の一手 聖光滅ぼし 真の担い手とならん 放てグリモニア」

 少し表情を崩しながらそう唱えるや、魔剣が鈍い光をともした。それを一瞥し、アルヴァは剣を振った。刹那、茉莉の手から放たれていた焔が跡形もなく消し飛ぶ。

「一体何を……」

 戸惑う茉莉にアルヴァは言う。

「負ける奴ってのは状況判断のできないやつ。勝つ奴は状況判断ができるやつってことだ」

 アルヴァは静かにそう言うと、展開していた盾を収束させ軽い足取りでその場を後にした。

 

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