第17話 宝楽ランドへの校外学習


 結局、おれの違和感は思い過ごしだったのだろうか。あれから1週間、何の動きもなく変哲のない日々を過ごした。

 日曜日、遊ぼうと言っていた上井草聡太郎は、金曜日の夜にLINEで先輩に試合を見に行くと言われた、と伝えてきて、予定は無くなった。

 もう茉莉との同棲生活をはじめて2週間が過ぎた。密のある日々で、あっという間で音速で過ぎていったような気がする。

 そして今日──水曜日。


 太陽が登って、間もなく。おれと茉莉は、薄い目を強引に開き、覚束無い足取りで家中を歩き回っていた。

「財布持ったかー?」

「お財布携帯ってやつじゃダメなの?」

 覇気のない声で会話が飛ぶ。

「普通に考えてみろよ」

「普通って。私、宝楽ランド行ったことないんだよ?」

「あ、あぁ」

 今日はおれはそうでもないが、茉莉は待ちに待った校外学習の日だ。各クラス別々の場所に行くらしいく、おれ達は宝楽ランド。ちなみに周りのクラスは宝楽城ほうがくじょうという近くにある歴史的建造物を見学に行くのが多いらしい。

「テーマパークの中の買い物は基本的に現金なんだよ。夢の世界? らしいから化学的なものは使わないんだよ」

 へぇー、と納得したような声を洩らし、茉莉は昨日の夜に準備したカバンの中を再チェックする。

「あっ、でも」

 そこで茉莉は、何かを思いついたような声を出す。

「なんだ?」

「現金って、一番リアルだよね」

 ……ご、ごもっとも。

 茉莉の発言に納得してしまい、おれは、この台詞に何も言い返すことが出来なかった。


 * * * *


 バスでの移動を終え、おれたちは宝楽ランドの入場ゲートの前まで来ていた。

 小学生の校外学習や修学旅行のように、入場ゲート前で並んで、そこに座る、などといったことは無い。立ったまま、グループで分かれ人数確認を終えたグループから担任に報告し、入場できるという仕組みだ。

「うわぁ、楽しみー」

 入場ゲートの奥に見える、名物ジェットコースターのレールを眺め、茉莉は感嘆の声を上げる。

 おれは何故だが分からないが、この班のリーダーになっている。

「とりあえず、人数確認するから」

 そう声をかけると、茉莉を含めた他のメンバーははしゃぎ声を抑え、少し大人しくなる。

「茉莉は、いるな」

「もちろんだよー!」

 表情は全然取り戻せてない故、無表情のまま元気な声を上げる。

「うん。えっと、水口さんは……」

「目の前にいるじゃん。私、そんなに影薄い?」

「そ、そんなことないよ。いちおう、確認のためにね」

 茉莉ばっかり見てて全然視界に入ってなかった……。

「嘘ね。もっと、存在をアピールした方がいいかしら」

「いやいや、大丈夫だから」

「例えば、ここで全裸になるとか」

「頭おかしいだろ! ただでさえキャラ濃いのに、もうそういうのいいから」

 制服に手を掛けているところから見て、あながち冗談じゃなさそうなところが水口さんの怖いところだよな。

「で、西明寺は……」

「ここにいるわよ」

「おっけー。竹内さんもいるな」

 視界の端に栗色のふわっとした髪が映り、そう零すと、

「当たり前やん。こんな楽しそうなやつにこーへんはずがない」

 いたずらっぽい笑みをこぼす。

「はいはい。で、最後は──箕輪みのわくん。箕輪貴一みのわ-きいちくんはいる?」

 確か先生はバスの中で全員出席と言っていた。だから、いないはずがない。しかし、何度名前を呼んでも返事の声が聞こえない。

「おかしいな……」

 そう吐露して瞬間、そよ風のような微かな音が耳を掠める。

「ん? いま誰か話したか?」

「……いるよ。ボク、ここにいるよ」

 今度ははっきりと聞こえた。誰よりも、1番近いところ──目の前からだ。

「うわぁっ!? ご、ごめん……。目の前にいるとは思わなかったよ」

 こういうのを灯台もと暗しって言うんのだろうか。それにしても、影が薄いにも程があるだろう。

 すごい猫背で、一見して学生とは思えない。黒い髪に、まるで白髪しらがのように疎らに存在する銀色の髪の毛。華奢な肩幅で、俯いているその姿勢では声を聞かなければ、性別を判別するのは少し難しいとすら感じられる。

「……いいよ。そんな……人だから」

 うん、すごいネガティブ。たぶん、かなりめんどくさい人かな。

 にしても、ほんとに真っ黒な髪だな。

 艶やかな黒。混ざりのない黒。おれは、自分で黒い髪だと思っていたが、箕輪くんには負けるな。

「んじゃ、先生に伝えてくるわ」

 おれは、メンバーにそう告げてから先生に人数確認を終えたことを伝え、人数分の入場券を貰う。

 それをみんなに配り、入場ゲートを潜った。


 * * * *


 先に入ったクラスメイトの背中、小さな子どもとお母さん、そんな様々な人の背があるが、やはり平日。土日祝日の人の比にならない。

「うわぁぁぁぁ」

 遠くから聞こえる歓喜と恐怖が入り交じった声。

「なになにー! 超楽しそうなんだけどー!」

「えっ、竹内さん。来たことあるでしょ?」

「あるわけないやん。ウチ、関西出身やで?」

「あっ、そう」

 なんだよ。この班、此処来たことない人ばっかりかよ。

 危うく零れそうになるため息を飲み込み、入場ゲートを越えてすぐの場所に置いてある宝楽ランドのパンフレットを手に取る。

「んじゃ、どこから行きたい?」

「えっとね、えっとね!」

 別に先頭をきって何かをしたいと思う気持ちはさらさら無い。しかし、茉莉はもちろんのこと、水口さんも竹内さんも来たことがないと言う。

 なら少しはリーダーっぽいことをした方がいいのか。

「茉莉。近いって」

 おれの広げるパンフレットに覗き込むように見る。真横、といっても過言ではない。長いまつ毛、真摯な瞳、一緒のシャンプーを使っているはずなのに、何故かいい香りのする髪。

「ねぇねぇ、これ乗りたい!」

 家にいてもこの距離はおかしい、という程の距離感で茉莉は宝楽ランドの最奥に位置する乗り物を指さす。

「いや、これって……」

「それ何人で乗れるわけ?」

 西明寺は茉莉の指さす乗り物を一瞥して声を上げる。

「そりゃあ、2人であれやこれやをするに決まってるでしょー」

「水口さん、いまはそういうのいいから」

「えぇー、でも。観覧車と言えば2人でえっちいことするんでしょ?」

 はぁー、水口さんはいつだって水口さんだな。

「そんなことするわけないだろう。でも、2人用って書いてあるからな」

「私は乗らないわ。実は高所恐怖症で……」

 アホな会話をする水口さんの隣で、西明寺は少し照れた表情でこぼす。

「へぇー。イインチョーでも苦手なもんあるんや」

「竹内さんっ! 私だって、普通の女の子なんだよ?」

「あはは、それはそーやな」

 軽く笑い飛ばす竹内さんに、西明寺は顔を朱に染め上げる。

「なら、お留守番だな」

「何よっ! 永月くんまで酷いよ?」

「そんなつもりで言ったんじゃなくて……。西明寺でも苦手なものあるんだなーって」

「あるわよ、苦手なものくらい」

 口先を尖らせる西明寺。

「ねぇ、ねぇ、早く行こっ」

 無表情だが、可愛らしくぴょこぴょこと跳ねる茉莉。よく懐いてくれた妹のような、そんな感じに見えてしまい、おれは無意識のうちに彼女の頭に手を乗せていた。

「えっ……。ちょっと、何してるの?」

 その事にいち早く気がついた西明寺が、驚愕の声を洩らす。

「──ッ。いやいや、これはそういったのじゃなく……、えっとその……」

「普通だよ? これ」

 言い訳に困っていたおれに、茉莉は何ともないように、起伏のない声で答える。その答えに驚き、あわあわ、と口をぱくぱくさせる西明寺。

「まぁまぁ、とりあえず動こーよ。ここおっても迷惑なるだけやん?」

「そ、それもそうだな」

 似たような境遇にいる竹内さんからの助け舟に慌てて乗ると、西明寺は納得いかないような表情で、しかし動き出したおれたちの後を追わないと迷子になってしまう。

 折衷案とでも言うべきか。西明寺は二、三歩離れたところからついてきた。


「1番近いのは、お化け屋敷みたいだね」

 パンフレットを手に持つ水口さんは、入場ゲートから1番近いアトラクションを見つけて口にする。

「それだけはダメっ!」

「えっ?」

 あまりに大きな声が、おれの耳に届く。いや、おれだけじゃない。他の班員も驚きを隠せず、声がした後方に視線を向ける。

 そこには西明寺さんが、羞恥に顔を赤らませながら俯き、お経を唱えるかの如くブツブツと何かを言っている。

「ど、どうした?」

「私、非科学的なもの信じてないからー!」

 声を裏返しながら絶叫にも似た声を上げた。

「そ、そうですか……」

 まさか、お化けとかも苦手とはな。西明寺、結構普通に女子じゃん。

「どうする? お化け屋敷はパスするか?」

「私も、ちょっとお化けは怖いかな」

 茉莉がおれの隣で少し声を震わせながら告げる。

「へぇー、そうなんだ」

 魔女っていうこの中じゃ1番そういうオカルト系に近い存在のくせにな。

 心底でそう毒づく。

『いま魔女のくせにとか思ったでしょ?』

 あはは、どうやらバレていたらしい。エレパシーを用いて追求して来られました。

「ウチも得意な方じゃないかな」

「ボ、ボクも……」

「竹内さんも、箕輪くんもパスってことなら、お化け屋敷はスルーするか」

「何言っちゃってるの? 私、すごく行きたいんだけど」

 おれも好きか嫌いかと問われれば、嫌いと答える程ゆえに、少しの安堵を覚えた刹那、水口さんの一言でそれは掻き消される。

「マジで?」

「マジもマジよ」

 真摯な瞳をぶつけてくる水口さん。

 マジかよ……。

「1人で行ってくる?」

「女の子にそういうこと言っちゃうの?」

「こういう時に女の子って言いたいなら、普段の言動をもう少し注意しろよな」

「てへっ」

 水口さんは、可愛らしくちろっと舌先を覗かせながらおれの肩を叩く。

「2人で行くわよー。みんな、ちょっと待っててねー」

 おれの意見など聞くこともせず、グイグイと押されお化け屋敷にへと入るのだった。

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