第14話 魔女の嗅覚

 仮に、日常生活でくしゃくしゃに丸まった紙が一瞬で目の前に現れたらどうするだろう。

 マジックでもない。ただ普通に授業を受けている最中の出来事。

 おれはそれに遭遇した。おれは王鳳が何者かを問いただす文を書き殴り、竹内さんに投げた。

 それからしばらくして、この現象が起きた。

 てっきり投げ返されるものだと思い込んでいたため、眼前に突如として現れた紙に驚きが隠せない。

「っ──」

 ありえない状況の理解をようやく終えたところで、脳が慌てて言葉を発するように命令をする。口はそれに従い口を開き、声を出そうとした。

 瞬間──。肌を突き刺すような妖しい悪寒が走り、紙が机の上に落ち、おれは見えない何かに口を抑えつけられたような感覚に陥る。

 しかし、その感覚は間違いではない。

「──ッ!?」

 空気を上手く吸い込むことが出来ず、体内の酸素が欠乏していく。

 く、苦しいッ。どうなってるッ。

 口端からは溢れ出したヨダレがこぼれ、それが何故か空中で留まっている。

 どうしてッ。なんでヨダレが……ッ。

 息が出来ず苦しい。視界が白くチカチカし、正体不明の吐き気が催される。

 この世の摂理に反し、ヨダレは地に落ちず未だに宙で留まり続ける。

『黙れ。貴様が黙ればやつがれは手を離す』

 目から涙が溢れ、額からは玉のような汗が溢れ出し、死の感覚がすぐそこまで迫ってくる。

 同時に人の死など何とも思ってないような、冷たい音が脳内を駆け巡る。

 これは……、テレパシー?

 茉莉とは違う声質の、男からのテレパシーに動揺しながらも、死の恐怖に抗いこくんと頷く。

『賢明な判断だ』

 その言葉とともに肌を突き刺すような悪寒はおれの周囲から消え、首を絞める何かも消える。

 途端、宙に留まっていたヨダレがポタっ、と机の上に落ちた。

「ッ、はぁーはぁー」

 ようやく手に入る空気。欠乏したそれらを補うように深呼吸を数回繰り返す。

「何はぁーはぁー言ってるの? もしかして1人で昇天しちゃったの?」

「……アホか。っ、そんなことあるわけねぇーだろ」

 隣から茶々を入れる水口さんに今は救いを感じられる。危機に瀕し、おれは思ってた以上に動揺していたようだ。

「そんなことよりも、水口さん。ティッシュ持ってるか?」

「あっ。やっぱり出ちゃたのね」

「違げぇーよ!」

「もう隠さなくていいわよ。ほら、好きなだけ使いなさい」

「いや、もう何でもいいや」

 と、ボヤきながらティッシュを受け取ると数枚取り出しありがとう、という言葉と共に返却する。

「それだけで子孫の種を取り除けるの?」

「だから、ンなことやってねぇーって言ってんだろ!」

「こら、永月。うるさいぞ」

 何度もニタニタ顔でしつこく言う水口さんに、少し声を大きくすると、ついに先生の注意が飛ぶ。

「怒られてるじゃん」

「誰のせいだと思ってんだよ」

 水口さんと関わるとロクなことないよ。

 口先を尖らせ、心底でそう思いながら貰ったティッシュでこぼしたヨダレを拭き取り、机の端に置く。


 ようやくだ。ようやく、王鳳について知れる。

 その事が胸を強く動かし、机の上に、殺伐と転がる丸められた紙をゆっくりと広げていく。

 紙が広がるにつれ、段々と黒い文字が見えてくる。おれの字とは違う、少し丸みの帯びた女子らしい字が。

 くしゃ、くしゃ、と音が鳴る。水口さんはその音に怪訝げな表情を浮かべていたが、それを完全に無視し、おれの字の下に書かれた竹内さんの文字に視線を走らせる。


 ──たぶん貴方にとっての星宮茉莉と同じ存在。詳しくは放課後、誰も居なくなったこの教室で。


 すぐそこまできた答えに触れられそうで、触れられない。焦れったくて、イライラして、もう授業なんてどうでもいいと思えてしまう。

「ねぇ」

「何だ?」

「何か悩みでもあるの?」

 珍しく水口さんが下ネタではなく、まともなことを言う。

「……いや、ないけど」

 やばい。一瞬、茉莉とか王鳳とか魔女とか異端審問とか、そんなことを口走ってしまうところだった。

「本当に?」

「あぁ。なら、いいんだけど……。何かあったら相談乗るからね?」

「ふんっ。どうせ、大した答えは返ってこないと思うけどな」

 そう笑い、おれは前を向き黒板を眺める。

 どうやらあまり授業は進んでないらしい。新たに板書するところは、ほんの一部しかない。


 その一部を板書し、おれは自分の手のひらを眺める。

 おれはこの手で何ができる? 茉莉を救うことができるか? おれ自身を守ることはできるのか?

 自問自答。故に答えは自身で見つけるしかない。

 でも──

 おれは見つめていた手のひらをギュッと強く握り拳を作る。

 やってみせる。やってやるよ。



 * * * *


 5時間目で授業は終わり、SHRなどその他諸々が終わり尚、教室に茜色は射し込んでいない。

 たった1時間違うだけで、これほどまでに違うらしい。

 それが理由か、帰宅部の人たちが未だ帰らずに教室でうだうだと話し込んでいる。

 早く帰れよ。

 竹内さんとの会話を早くしたいが為に、そんな感情が溢れ返る。

『帰りどこ行くの?』

 テレパシーで訊ねてくる茉莉に、おれ頭を振るしかできない。そこへ、

「場所、変えよか」

 毅然とした態度の竹内さんが、関西弁で話しかけてきた。

「茉莉、行くぞ」

 竹内さんの言葉に無言で頷き、茉莉に声をかける。茉莉は状況が理解できてないらしく、テレパシーで

『どういうこと?』

 と、連呼している。

「いいから、着いてこい」

 そう答えたおれの声は、いつもより幾分も強ばっており、自分でも情けないと思えるほど緊張が表に出ていた。

「で、場所を変えるって宛はあるのか?」

「無いよ。どこがええかな?」

「なら、ちょっとおれと茉莉が今日行く予定だった場所に付き合ってくれないか?」

「それは、ええけど……」

 竹内さんは少し首を傾げながらおれの指示に従い、昇降口へと降りた。


「1ー2ー3──」

 グラウンドからは野球部の一際大きな声が聞こえてきた。噂で聞いた話だが、おれたちと同じ学年に強肩で俊足で、豪速球を投げる奴がいて、そいつが野球部に入ったらしく、今年は甲子園を目指せる、と活き込んでいるらしい。

「毎日毎日、野球部はうるさいわね」

「それは私も思うー」

 上履きから登校用の靴に履き替え、校舎の外に出るや否や、竹内さんはげんなりした表情でそう言うと、茉莉が乗る。

「だよねー」

「声出しも練習なんだろ」

 別にそれが気にもならないおれは、校門に向かって歩を進める。

「急いでるんやね」

「まぁな。別に急がなくても間に合うけど、暗くなる前に家には帰っておきたいからな」

「へぇ、昨日ので学習したんや?」

 おれたちが学校生活の大半を過ごす北校舎の横を通り抜け、外からスポーツエリアに抜けるための道を通り過ぎ、その先に見える白い門を出る寸前。それまでの彼女のテンションとは掛け離れた声で不穏な一言が放たれた。

「なんだと?」

 その白い門こそ東門で、ここをまっすぐ突き進むと駅前に出ることができる。そこを出たおれは、後ろを歩く竹内さんの方を向く。

「そんな怖い顔せんといてーや」

「竹内さんの言葉次第では、それは無理な話だ」

 茉莉の腕をとり自分の方へ引き寄せ、そのまま体の後ろへと隠す。

「あはは、本当に護るつもりなんや」

「その口ぶり。やっぱり、王鳳と繋がりがあるんだな」

「ふへへ、当たり。でも、ここじゃ、誰に聞かれるかわからへん。歩こうよ」

 じろり、と竹内さんを強く睨んでから背後に隠した茉莉にポツリと言う。

「行くぞ」

『うん』


 東門を出て、間もなくして竹内さんが無言の空間にポトリと音をこぼす。

「家の方向とは逆ちゃうの?」

「寄るところがあるんだよ」

「へぇー、そうなんや」

 違和感なく、普段のテンションで話す彼女が分からなくなる。

「で、さっきの続きやけどね──」

 不意に歩く速度を早くし、おれと茉莉の前に回った竹内さんは、不敵に微笑み指を鳴らした。

 刹那、彼女の横に黒い小さな竜巻が巻き起こり、地に這う落ちた桜の花びらや、道端に咲くたんぽぽの綿毛が天高く舞い上がる。

 次の瞬間、竜巻は消え去り、そこには1人の人が立っていた。

 長い黒髪にところどころ交じる紫の房。切れ長の紫の目。燕尾服の如く服を着た、細身だがそれでも妖しさを感じさせる男。

 見間違えようがない、王鳳鳴海おうほう-なるみだ。


「昨日振りですね」

「いや、違う。さっき振りだろ」

 おれと茉莉、それに対峙する竹内さんと王鳳という絵面でおれは声を荒らげる。

「おぉ、あれの正体に気づくましたか」

 昨日おれ達を襲ったときや、今日授業中におれを襲った時とは全然口調が違う。しかし、能面のように張り付いた笑顔の奥に、歪みが感じられる。

やつがれ、なんて一人称使うやつは珍しいからな」

「それでも気づくとは流石です。マーリン殿、良い人を選ばれましたね」

 マーリン? 一体誰だ?

 目を点にするおれに誰も返事はくれない。代わりに竹内さんが指を鳴らした。同時に、また黒い竜巻が巻き起こり、王鳳の姿が消えた。

 あまりに人間離れした行為に、現実感がない現実に開いた口が塞がらない。

「なんで、そんなアホみたいな顔してんの?」

「いやいや、こんな現実感のないの見せられて普通でいられるわけないだろ」

「んー、そうかな?」

 竹内さんはどこか楽しげで、鼻歌交じりで背を向ける。

「さぁ、立ち話もなんだし、進も?」

「あ、あぁ」


 動揺は隠せないが、一歩また一歩と歩くうちに駅前広場に着く。

 駅前広場は思ったよりも賑わっていた。学習塾や、各会社の携帯ショップ。それだけでなく居酒屋やファミレス、大きな服屋、それから病院に本屋とここに来るだけで全てが揃うような場所である。

 おれは自分と同じ系列の携帯会社anの携帯ショップに入る。

「スマホ故障でもしとるん?」

「みんな同じこと訊くよな」

「違うの?」

 不思議そうに問う竹内さんに、隣で店内に沢山並ぶスマホの数を見て圧倒されている茉莉の腕をとる。

「えっ?」

 無表情のまま驚きの声を洩らす茉莉に、いたずらっぽく微笑み、

「茉莉のスマホを買いに来たんだよ」



「どうして?」

 店内に入り、最新機種の1つ古い型のスマホを購入する手続きをしているあいだ。

 近くのカフェに入り、竹内さんは訊いた。

「どうしてって何が?」

 出されたお冷に口をつけ、メニューに視線を集める。

「まりりんにスマホ与える理由は?」

 分かってる。彼女は3ヶ月経てばおれの前から姿を消す。それは変わらない事実。だからわざわざ与える理由があるのか、ということだ。

 そして、この台詞が出るということは恐らく王鳳も……。

「テレパシーで一方通行に会話されるなら、スマホ与えてでも一緒に話して、時間を共有したいと思ったんだよ」

 おれは建前でそう答える。本音は魔女狩りとか何とかわけのわからねぇことに巻き込まれ、茉莉とおれの危険を共有するためだ。

 その答えに、ふーんと答える竹内さんを横目で見、おれは店員を呼ぶベルを鳴らす。

「アイスティー1つ」

「あっ、私はミルクティーで」

「茉莉はどうする?」

「私は……」

 そう呟きメニューに視線を走らせ、

「拓武くんと同じので」

 と、天使にも届くであろう微笑みで答える。

「じゃあ、アイスティー2つとミルクティー1つで」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 注文を受けた店員はぺこりとお辞儀をし、奥へと下がる。


「それでだ。王鳳鳴海についてはっきりさせようぜ」

「そうね」

 厳しいおれの声に、竹内さんも厳しい表情になる。

「──半魔種だね?」

 口を開いたのは茉莉だった。

「最初にショッピングモールで会った時から違和感はあったけど、さっきのあの出現の仕方で分かったわ。あれは、半魔種。吸血鬼族」

 ふっくらと膨らむ唇が閉じ、お冷の入ったコップを当てる。

「そこまで完璧に当てられたら言い逃れできないね」

 竹内さんは引き攣った笑顔を浮かべ、ため息をつく。

「でもその通り。彼は亜人界で最も蔑視されている半魔種。その中の吸血鬼族。太陽の光に弱くて、日中はほとんど魔力を使って姿を隠しているの」

「そういうことか」

「そういうことよ」

 竹内さんはお冷の入ったコップを手に取り、中の氷をカランと動かす。


「お待たせ致しました。アイスティー2つとミルクティーお1つです」

 ちょうどそこへ、店員がお盆を持ってやってくる。

「ありがとうございます」

 順々にお盆の上からテーブルの上に置かれ、全てを置いた後に、

「以上でご注文の品はお揃いでしょうか?」

 と飲食店の決まり文句を告げる。

「はい」

「ごゆっくりどうぞ」

 店員は決まったようにお辞儀をし、奥へと下がる。


「茉莉のことは?」

「多分ってレベルで知ってるわ」

 その答えに茉莉は、唾を飲み真剣な眼差しを竹内さんへと向ける。

「亜人界の亜人種であっとる?」

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