第12話 亜人界の秘密

 月光を背後に宙を進む男は、先ほど砕けたばかり窓を抜けて部屋へと侵入してくる。

「あ、あんたは一体……」

 掠れた声でそう問うても反応はなく、ただおれと茉莉に向って進んでくるだけだ。

 おれは茉莉の前に立ち、両手を広げる。

「茉莉には指1本も触れさせねぇ」

やつがれの手に掛かれば」

 瞬間、月光に闇色がかかり世界の色が落ちる。

波紋はもん 一刀彈いっとうだん

 地響きにも似た声音で放たれ、同時に月光にかかった闇色が範囲を拡大し、濃紺の夜空を侵食する。

 刹那の時間もなかった。それが視界に入る時にはもう遅く、気がついた時には闇色から伸びる先端が鋭く尖った槍のようなものが、おれの首筋に立てられていた。

「くっ……。あんた、人間じゃないな」

「そうだ」

 耳に残るざらついた声で告げるや、その男は目にも止まらぬ速さでおれの眼前へと移動する。

「っ!?」

 男の顔をおれは知っていた。怪しい雰囲気を漂わせるも美形の男。そいつは切れの長い紫色の目で舐め回すようにおれを見つめ、先の尖った舌を唇に這わせる。

 同時に、おれはやつに背後を取られる。

 絡み取られるように奴の手がおれの体を撫で回す。

「やっ……めろ」

「なら、本気でやつがれから逃げてみよ」

 体に全力を注ぎ、奴から逃れようと試みる。しかし、人外の奴の力に人の身であるおれがかなうわけがない。

「ほら、早くしろ」

 クソがっ!

 腕を振り回し脚をじたばたさせようとも、ミジンコ以下の抵抗。

「どうしてだ!」

 長い黒の中に紫色が混じった髪。上背もある。着ている燕尾服は、言わずともよく似合っており、海外の上級貴族の執事のような雰囲気だ。

 おれがそう叫ぶと男はおれの前に回り込み、そのまま首を掴む。

 骨がミシミシ、と軋むような音が体内を駆け巡る。

 くっ、苦しい……。たっ、たすけ……て。

「……うぅ……あぁ……」

 声にならない想いが嗚咽となり溢れ出し、呼吸をすることすら難しくなり、視界がチカチカとし始める。

「もうやめて!」

「ほぅ、自ら止めに来るとは。血は争えんか」

 男は宙へ持ち上げたおれの体をその場で放す。体は重力に従い床に叩きつけられる。

「ごほっ、ごぼっごほっ」

 先ほどまで吸えなかった空気が一気に流れ込み、思わず噎せ返る。

「どうしてだ、王鳳おうほう!」

 喉が裂けるのでは、と思うほど強く、強く声を荒らげる。

やつがれの口から語ることは、何1つもない。今日は、ほんの挨拶だ」

 そう告げるや王鳳は指を鳴らした。同時に、砕けたはずの窓ガラスが、電球が、元通りになり電気が点く。

「えっ……」

「翔子のためにも、せいぜい生き残るんだな」

 王鳳ははじめてスーパーで会った時と似た低く重みのある声音で紡ぐと、玄関扉を開けおれたちの部屋から消え去った。


 * * * *


 文字通り何もなかったかのように、室内は辺見さんが帰った時のまま。壊れている物もなければ、割れている物もない。

 そこにあるのは、圧倒的な敗北感と呼吸をすることの苦しみ。他者からは分からない、自身にのみわかるこの寂寥感せきりょうかん

 情けねぇ。

 内から溢れる思いは、全部がそれだ。何をどう言葉にするべきか、茉莉とどんな顔で向き合えばいいのか。全部が分からない。

「茉莉……」

 そしておれはいつの間にかそうこぼしていた。

「ごめんね」

 茉莉はそんなおれに震えた声でそう告げた。

「茉莉が謝ることじゃない」

「うんん、全部私のせいなの」

 茉莉は無表情のまま俯く。そして、ポツリ、ポツリと言葉を紡ぐ。

「少し、話聞いてくれる?」

「あぁ」

「私は亜人界出身の魔女」

「知ってるよ」

「亜人界にはね、3つの人種が住んでるの。人類種、亜人種、それから半魔種」

 そう言えば茉莉は自分のことを亜人界の亜人種と説明したっけな。

 まだそう遠くない記憶を手探りで思い返す。

「私たち魔法を使える人間の身なりをした者、魔女は亜人種。人間の身なりをして魔法を使えない者、それが人類種で、異端審問会の一員。それから、人間の身なりに近いものを持つ魔族を半魔種と呼ぶの。主に吸血鬼や狼男とかそういった者よ」

「そ、そうなのか」

 突然始まる彼女の世界の話。いずれは聞きたいと思ってはいたが、まさかそれが今だとは思ってもみなかった。

「そして、亜引歴678年18のこう14のそうろう。この日が全ての始まりだったの」


 * * * *


 重く湿った空気が蔓延する。頭上には地上界のような太陽はない。双輪の月と呼ばれる赤色と紫色の月が互いを牽制し合うように出ているだけだ。

 大地にはコケが生え揃い深い緑が占めている。

「姉上」

「言ってやるのです。こんな政治はおかしいと」

 綺麗なブロンドの髪を後ろでまとめている女性は、強い口調で私にそう言ってのける。

「でも、相手は異端審問の帝ですよ」

「関係ない。なぜ我々亜人種に人権がないのです。そもそも、私たちと彼らは元は同じ人種。それを彼らが魔力がないことを妬み、こうなってしまっているのです」

「しかし、姉上……」

「マリーンは少し黙っておいで」

 姉上は鋭い眼で私を見下ろすと、鉄の胸プレートに銅剣を携え家を飛び出した。

「マー、お姉ちゃんは……」

 同じくブロンドの髪を持つ、少し萎れた声の女性が動揺を隠せず私を見つめる。

「行っちゃったよ、異端審問のところに」

「嘘でしょ……。あれほどダメだって、言ったのに」

「どういうこと?」

「マーにはまだ早い!」

 怒ったようにそう放つと私に背を向け、お母さんは奥の部屋と向かった。

「どうか、無事にフィーヌスが帰ってきますように……」

 そしてお母さんは儀式を行う部屋へ行き、喘ぐように涙にぬれた声が洩れた。


 それからほどなくして、姉上が帰宅した。しかし、その姿は家を出たときとは全く違う。綺麗だったブロンドの髪は泥で汚れ、来ていた服はところどころが破られている。

「姉上……」

「あはは、マーリンは気にしなくていいからね」

「そんなこと、出来ません」

「できないなら、私がやるわよ?」

「や、やめてください」

 その声が大きかったのか、奥の部屋がバタバタと騒がしくなり、あっという間に顔色を失くしたお母さんが玄関にまでやってくる。

「無事に帰ってこれたのね」

「えぇ、穢されることもなかったですわ」

 薄い笑みを浮かべ、姉上は自身の体を抱きしめる。

「何よりですわ」

「ですが、お母様。このままでは我々は消されてしまいます」

「それは……」

 お母さんは言葉を濁し俯く。

「来年、現在の世界のトップの任期が終わり、選挙が行われます。それで、異端審問の政治を終わらせましょう」

「無理よ……」

「無理ではありません。お父様に掛け合えば――」

「ダメよ!!」

 声を荒げ、姉上の腕をつかむ。

「どうして!? 今が、今だけがチャンスなのですよ!?」

「だからダメなのです。いまそれをやると、世界は混沌に満ちてしまいます」

 お母さんはかぶりを振りながら静かに告げる。しかし、姉上はそんなお母さんの手を振り払い、声を荒げる。

「嫌よ! もうこんな虐げられる生活は嫌なの! 私はお母様みたいに腰抜けじゃない」

 姉上は私とお母さんに背を向け、ボロボロの服のまま家を飛び出した。


 それからのことは、私には分からない。しかし、姉上の説得はうまくいったのだろう。人類種だけでなく、亜人種、半魔種から候補者が立てられたのだ。

「姉上、やりましたね」

「当たり前よ。私はやればできるんだから」

 そう言う姉上の目は死んだ魚のようだと感じた。だが、それは姉上には言えない。言ってはならないのだ。

 私たちのために動いてくれている。そう思えば思うほど、彼女の存在が私の中で大きくなり、頼りすぎで申し訳ないと思ってしまう。

 あらゆる感情が私自身を喰い、劣等感を覚えさせる。

「じゃあ、行ってくるね」

「今度はどこに行かれるのですか?」

 この一年彼女と一緒に暮らしていない。家にすらまともに帰ってこないのだ。姉上がどこで、誰と、何をして、ここまで生きてこれているのかは分からない。

「異端審問を王座から引き釣り下ろすために必要なところよ」

 昔とは違う。裏のある顔で、緻密に編まれた作戦を遂行するための笑顔を浮かべ、姉上は手を挙げた。それから詠唱無しで自身の体を宙に浮かす。

 私の父は亜人種の審議会の一員。だが、決して私がこの候補者になることはない。そう思っていた。

 だが――。この三日後、姉上は全身に傷を負い、冷たい体で私たちの前に姿を現した。

 そして、すでに候補者として選ばれていた姉上の代打として私が候補者になったのだ。


 * * * *


「その話がおれに謝る理由?」

 話された内容はおれには微塵も理解出来ないことだった。

「そう。私たち亜人界は、自分たちの世界が壊れることを恐れ、ここ地上界をその場所に選んだ」

「その場所?」

「そう。たった一人の王を決めるための戦闘の場所」

 言葉が浮かんでこない。何を紡げばいいのか、おれは何をさせられているのか、あらゆる疑問が脳内を駆け巡り、言葉にするべきものが分からない。

「ごめんなさい。私もなぜか今の今まで忘れていたの」

 申し訳なさそうに茉莉は謝るも、その顔に表情はない。

「おれはなにをすればいいか分からない。でも決めたんだ。ここで茉莉と生活して、茉莉に必要なものを与えるって。だから、茉莉。おれは、絶対に茉莉を助けてやる」

 状況は悪い。茉莉を護ることが亜人界にとって正しいことのなのか、それすらも分からない。だからこそ分かっていることに従うべきだと思う。

「茉莉は優しいやつだって知ってる」

 そして何よりも──

「茉莉がいなくなるのは寂しい」

 だから、おれはあと三か月もない茉莉との生活を邪魔させないためにも、茉莉を護る。

「ありがとう。ほんとにありがとう」

 茉莉は布団に顔をうずめ、声を涙色に染めた。

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