第11話 救いの手

 頼むっ! 茉莉、無事でいてくれ……。

 息を荒らし来たばかりの道を駆ける。チカチカとしながら灯る街灯。

 まだ人通りはある。こんな目立つなか何かをやるとは考えにくい。

 そう考えてもやはり不安は拭えない。

「あっ、すいません」

 勢い余ってスーツ姿の男性とぶつかってしまう。

「気をつけろよ」

 少しトゲのある声が飛ぶが、おれはそれを無視して駆ける。駆けて、駆けて、自分の中に生まれる不安から逃げるように、駆ける。


 少し行くと何だか人だかりができているのが視界に入る。茉莉とおれが別れた場所より、少しスーパー寄りの位置だ。

「まさかっ!?」

 倒れてるのではないか。不安、懸念、憂い、どんなに言葉を尽くしてもこの胸の想いは言い表せない。

 どうにか人混みにまで辿り着くと、集まっている人たちの間を縫うように通り抜け、その中心へと入る。

 そこには綺麗なブロンドヘアーの女子高生が頭を抑えて倒れ込んでいた。

 おれの学校の女子の制服。そして、ブロンドヘアー。見間違うはずがない、茉莉だ。

「茉莉っ!!」

 心臓が痛い、煩い。全ての思考が止まり頭が真っ白になる。

 おれは周りの目など気にせずその場に座り込むと、彼女を抱き上げる。

 綺麗なブロンドヘアー。長いまつげ。整った顔立ち。どれをとっても一流。

 しかし、その顔には苦悶の表情が浮かべられている。今までおれに見せたことのない、苦しそうな表情。

「そんな顔、見たことないぞ」

 自分でも驚くほどに、声が涙色に包まれ割れている。

「大丈夫か? 頼むから返事してくれよ!」

 幾ら声を掛けても、体を揺すっても彼女は目を覚まさない。

「あの、大丈夫……ですか?」

 不意に背後から声がかかる。おれが駆けつけたことにより、集まっていた人たちは幾らか分散し、立ち止まる人こそいるが、話しかけてくる人はいなかった。

「え、えぇ……」

 嗄れた声で、その声に返事をする。

「大丈夫そうには見えないですけど……」

「大丈夫です。すぐに、大丈夫になるです」

「大丈夫じゃないですよ! 文章もめちゃくちゃだし、いつもの君らしくないよ!」

「えっ……」

 その言葉に白くなっていた頭に色が戻り思考回路が、ゆっくりとではあるが運転を再開する。

 どれくらいの時間を要しただろう。人の影は見えている。しかし、その具体的なものは霞の奥に消えている。

 それがはっきりと見えるまで一瞬だったかもしれないし、数分要したかもしれない。

「あの……えっと。その……」

 声の主はどうやら女性のようだ。緑色の服に、青いエプロンを付けている。ほっそりとしたシルエットに長く艶のある黒髪が印象的だ。

 そんな人を前におれは、何をどう言葉にすればいいか分からず口ごもる。

「私よ。分からない?」

 そう言うと、その女性はおれの隣に腰を下ろす。

辺見曜へんみ-ようよ。ほらっ、さっき君が荷物渡したスーパーの店員だよ」

 彼女は右手に卵の入った袋を、肩からはおれが愛用しているエナメルバックをかけている。

「辺見……さん」

「そう。って、店員の名札なんてそうそう見ないわよね」

「どうもすいません」

「謝ることないわよ。それよりも、この子大丈夫なの?」

 辺見さんは茉莉を見つめて、強ばった声で訊く。分からない。でも、手に体温はあるからまだ死んではないと思う。

「た、たぶん」

「どうすればいい?」

 彼女の声は真剣だ。だからこそ同情などではなく、本気で手助けをしてくれようとしているのが分かった。だが、彼女はまだ仕事中。そんなことで迷惑をかけるわけにはいかない。

「1人で大丈夫ですよ!」

「強がりはいいの。困った時は、助け合わないと」

 彼女の大きく黒い、まるで真珠のような瞳が真摯に向けられる。

 うぅ……。こんな風に言われると、断り辛い……。

「で、でもまだ仕事中じゃないんですか?」

「店長には許可貰ってるわ」

「そ、そうですか」

 もうこうなったら手伝ってもらうしかないな。

「じゃあ、すいませんけど。お願いします」

「ええ」

 おれがそう言うと、彼女はにこりと微笑み再度訊ねる。

「どうすればいい?」

「じゃあ、とりあえず家まで運びます」

「この子の家、知ってるの?」

「え、えぇ……まぁ」

 知ってるも何も、家一緒だし……。

「じゃあ、そうしましょう」

 辺見さんは、倒れた茉莉の背中に手を当て、肩に手を回すと、一気に彼女を持ち上げる。

 意識はないようで、体はだらーんと生気が感じられない。

 慌てて辺見さんとは逆側に回り、茉莉の手をおれの肩に回す。

「真っ直ぐです」

 辺見さんが目でどっち、と合図してきたような気がした。

 彼女はこくりと頷き、一歩、二歩とおれの家へ向かって歩きだした。


 * * * *


「ここ?」

「そうです」

「鍵は?」

「ここにあります」

 自宅前まで辿り着き、おれはポケットから鍵を取り出す。

「えっ? ここってこの子の家じゃないの?」

 辺見さんは驚きを隠せないようで、素っ頓狂な声を洩らす。

「いまは訳あって一緒に暮らしてるんです」

「……そ、そうなんだ。最近の高校生って進んでるんだね」

「そんな関係じゃないですからね!?」

 強く言ってみるも、辺見さんは深くため息をつくだけだ。

「どうしたのですか?」

 問いながら、鍵穴に鍵を入れる。ガチャン、と音を立て鍵は開く。

「別に。私、いい歳してそんな同棲とかしたことないからさ」

 蝶番の軋む音と彼女の憂いが重なり、妙な調律が耳を抜ける。

「そんな、辺見さんが思ってるようなものじゃないですけどね」

「そういう事じゃないんだけど」

 苦笑で否定するおれに、彼女は失笑のようなものを浮かべてため息をついた。


 茉莉を二人掛りで室内に運び込み、そのままベッドに寝かせる。微かにではあるが呼吸音が聞こえ、生きていることが確認でき、安堵する。

 辺りはすっかり暗くなり、彼女がいなければ茉莉を運ぶのにもっと時間がかかっただろう。

 部屋の電気をつけカーテンを締め、声を出す。

「あの、本当にありがとうございます」

「いえいえ、ただのアルバイトが1人抜けたくらいで店がどうこうなるわけないですよ」

 自嘲気味にそう言う辺見さん。おれはそんなことない、と告げ、彼女にお茶を出す。

「わざわざいいですよ」

「いえ、手伝ってもらったんで。ほんと、こんなものしか無くてすいません」

 本当ははやく戻るのが一番なんだろう。頭では理解している。しかし、彼女ともう少し話していたいと思う気持ちがそれを許さない。

「辺見さんってアルバイトなんですか?」

 誰かと話していることで、心配で押し潰されそうなこの気持ちをどうにかしたいと思ってしまう。

「そうなんですよ。宝岳ほうがく大学って知ってる?」

「知ってますよ。この近くでしたよね?」

 自分のためだけに彼女を使っている。おれは最低だ。

「そうです。私、そこの2年生なんです」

「あっ、大学生だったんですね。道理でお姉さん感があると思いました」

 本当にごめんなさい。でも、茉莉と二人だとおれの心臓が持たないような気がして……。

「お姉さん感なんて、私にはないですよ」

「いえいえ、全然ありますよ」

 自分の嫌なところが丸見えになって、恥ずかしくて、悔しくて、情けなくなる。

「そう言ってもらえると、嬉しいな」

 辺見さんは小さく微笑むとお茶を少量、口に含む。

「うぅ……」

 瞬間、ベッドの方からうめき声のようなものが洩れた。茉莉だ。

「おいっ! 大丈夫か!?」

 床に這うように、彼女の元へ寄る。茉莉は長いまつ毛をゆっくりと動かし、目をしばたかせていた。

 そして、ふっくらとした薄ピンク色の唇を震わせる。

「……拓武……くん?」

「そうだ。体は何ともないか?」

「……う、うん。平気……だよ」

「よかった」

 全身に入っていた力がすっと抜け、その場に崩れ落ちる。

「良かったね」

「はい。辺見さん、本当にありがとうございます」

「いえいえ。それじゃあ、私はそろそろ仕事に戻るわね」

 そう零すと、残っていたお茶を一気に飲み干し、ゆっくりと立ち上がり玄関まで歩いて行く。慌ててそのあとを追い、見送りに行く。

「このお礼は後日、させていただきます」

「お礼なんていいよ。私が好きでやったことだから」

 白を基調とし、赤いラインの入ったスニーカーに足を入れた彼女は、目を少し見開き、あっ、と零す。

「これから何かあったらこの番号に電話して」

 彼女は、ポケットからスマホを取り出し電話帳のプロフィール欄を開き、おれに見せる。

「え、いいんですか?」

「お姉さん感あるんでしょ? じゃあ、こういう時はお姉さんに頼っときなさい」

 ニコッと笑う辺見さんは、本当に頼り甲斐のあるお姉さんで、申し出はすごくありがたかった。

「ありがとうございます」

 こうしておれは辺見さんと番号を交換し、辺見さんは部屋を去っていった。


「茉莉、大丈夫か?」

 辺見さんを見送り、リビングに戻ったおれは開口一番そう告げた。

「うん。もう平気」

「それは良かった」

 ベッドの横まで来たおれはそこへ腰を下ろし、再度口を開く。

「それで、あそこで何があったんだ?」

「……えっとね、実は私にもよく分からないんだ」

「どういうことだ?」

「魔女狩りが始まる、って台詞が急に頭に流れて来て、それと同時に赤髪の女性が旗を片手に赤く燃え上がる炎と紅い血で埋め尽くされた大地を駆け抜ける映像が流れてきたの。その女性が誰だかは分からない。でも、たぶんそこは戦場だったと思う。目の前で倒れゆく銀色の甲冑に身を包んだ者達を想い泣く。その映像のせいで、私は頭が痛くなって、その場から動け無くなったの」

 いつになく彼女の瞳は真剣だった。無表情だが、そこだけは気づけた。彼女の様子が普通ではない、と。


 そう思い、おれが口を開こうとした次の瞬間──

 部屋の窓ガラスが割れ、点灯していた部屋の電気が消え、電球が割れた。そして、地響きのような重苦しい声が耳を劈く。

「それはやつがれが教えてくれてやる!」

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