第10話 動き出す歯車

 おれの前に立つのは今にも泣き出しそうな西明寺だ。

 容姿は悪くない。と言うより、普通に可愛い方だとおれは思っている。その上、頭脳明晰。中学時代では常にテストの順位は1桁だ。しかし彼女は真面目な委員長。

 その為、ただの一度も浮いた話はなかった。

 だからこそおれは、彼女がまだそんな話に興味が無いのだと思っていた。だがそれは完全におれの思い込みだったらしい。

 それに考えてみれば彼女だって年頃の女子なんだ。


「えっと……」

 だからこそ、おれは返事に困る。本気の想い。それは彼女を見れば分かる。本気だからこそ、曖昧な返事はダメだと思う。

 答えないおれに西明寺は肩を震わせ、怯えたようにおれを見る。

「先生の買い出しなんだけど……ダメかな?」

「……えっ?」

 ど、どういうことだ?

「えっとね、明後日水曜日の5時間目なんだけどね」

「あぁ、確かホームルームだったよな」

 小中学校じゃ、学活などと呼ばれていた授業を高校ではどうやらホームルームというらしい。

「うん、そうそう。そこでね、紙とハサミとのりがいるらしくて、それを買って来てって」

「ふーん」

「それで、私1人だと荷物重たくて持てない……かなって」

 モジモジと恥ずかしさを誤魔化すように動く西明寺。どうやら付き合って、というのは買い物にということらしい。

「別にいいけど」

「よかった……。私、男の子にこういうこと頼むのはじめてで……。どうしたらいいか分からなくて」

「あはは。もうちょい普通のがよかったよ」

 告白かと思ってびっくりしたし。

「ご、ごめん」

「謝ることじゃねぇーよ。さぁ、行くならさっさと行こうぜ」

 机の上に置いていたエナメルバックを肩にかけ、彼女に向き直る。最初の頃はちゃんとスクールバッグというのを使っていたのだが、荷物が入り切らないということで変えたのだ。

 彼女は机に引っ掛けていたピンク色を基調とした可愛らしいリュックを背負い、頷いた。


「工作でもすんのかな」

「それは知らない」

 下駄箱のある昇降口までの廊下を歩きながら訊くが、ホームルームの内容までは流石の委員長でも知らないらしい。

「しょーもないのだったら帰ろうかな」

「それはダメだよ?」

「分かってるって」

 茜色に染まる廊下に、おれたちの声と靴音が響く。運動部の声、吹奏楽部の楽器の音色。放課後の学校からは普段の学校とはまた違う音が響く。

「まぁ実際のところ、自分で行けって感じだけどな」

「そうだけど……。先生も忙しいんでしょ」

 ほんと、お人好しだな。まぁ、お人好しじゃないと委員長なんてできねぇーか。


「あっ、おそーい!」

 下駄箱が見えた辺りで、不意に聞き慣れた声がした。茉莉だ。

「うわぁ、忘れてた」

「どうして、星宮さんが?」

 おれの言葉を掻き消すように、西明寺が疑問に満ちた表情でおれに訊く。

「まぁ、なんだ……。あっ、そうそう! ちょうど茉莉とも文房具買いに行く話してたんだよ! なぁ?」

「え? そんな話してたっけ?」

「してただろ!」

 そう言うやおれは茉莉の肩に手を回し、茉莉の耳にそっと口を近づける。

「話、合わせてくれ」

『わかった』

「あっ、そうだったね」

 茉莉はテレパシーでそう答えると言葉で、おれの発言に乗っかってくれた。

 あはは、テレパシーって便利だな……。



「ねぇ、どこの文房具屋に行くの?」

 校門を出たところで茉莉が口を開く。

「そうそう。どこなんだ?」

 おれと茉莉が並んで歩く一歩後ろで、ちょこちょことついてくる西明寺に視線を向けて訊く。

「え、えっとね。あっちの方にある、順天各じゅんてんかくってお店だって」

 遠慮がちに口を開くと、西明寺はおれたちがいつも帰る道とは真逆の左方向を指さした。

「逆か」

「うん、そうなっちゃうね。ごめんね」

「全然いいよー」

「えっ?」

 おれに対して言ったはずのセリフに茉莉が答え、戸惑う西明寺。

「茉莉が言うな。でも、全然気にしなくていいからな」

「そ、そっか。うん、ごめんね」

「もういいって」

 そう答えると、いつもは渡るはずの信号を渡らず左方向に進む。

 目立つものがあるというわけではなく、立ち並ぶのは住宅だ。

「こっちって、こんな感じなんだ」

「らしいね。私もいつもは東門から出て、駅に向かうから、知らないの」

「あっ、西明寺は実家から通ってんだっけか」

「そうだよ。電車かー。結構朝早くないか?」

「うん、結構早いよ」

「だよなー」

 おれ、その時間が勿体なくて一人暮らししてるぐらいだし。

「あっ、それよりもさ。永月くんって、星宮さんと仲良いよね? なんで?」

「仲はいいけど……」

 何て答えたらいいのかな。茉莉が魔女でおれはその契約者で一緒に暮らしてる。なんて、口が裂けても言えないし……。

『こういう時ってなんて答えたらいい?』

 そんな時だ。不意に茉莉のテレパシーが脳内で音声となり再生される。

 茉莉なりに色々考えてくれてるらしい。しかしおれはそれに対する適切な答えを持っていない。

 必死に頭を回転させ、茉莉が乗れそうなを考える。

「えっと……その……」

 歩みを止めることなく進んでいると、景色はいつの間にか住宅街から商店街になっていた。

「た、たまたま!」

「たまたま?」

 周囲はコロッケの匂いや、焼き鳥の匂いやら、露店から零れる匂いが色々と混じり、何とも表現し難い香りが蔓延している。

 行き交う人は制服姿の学生やエプロン姿の主婦たちがメインらしい。

『どうしたの? はやく話さないと怪しいよ?』

 そんな中でも雑音1つ混ざらず、はっきりと流れる茉莉のテレパシー。

 そんなこと分かってるよ。でも、なんて言えば自然か分かんなくて……。

 その瞬間。ここに至るまでの西明寺との会話が脳裏に蘇り──そうだ!

 妙案が浮かんだ。

「たまたまおれが一人暮らししてるアパートに引越してきたんだよ! で、挨拶回りに来た時に一緒の学校だって聞いてそれからこんな感じ。だよな?」

『あははっ。すごく強引だね』

 うっせぇ。

 心底で毒づく。

「そうなんだよね」

 だがこんな嘘にでも乗ってくれるというのは本当にありがたい。

「そうなんだ。星宮さんは家族と暮らしてるの?」

 その質問をすると同時に、おれたちは順天各の前に到着する。店構えとしては、商店街らしいと言えるだろう。

 店の前から見えるのは、棚に並ぶボールペン。

「絶対ここだよな」

「うん。そうだね」

 西明寺は、スカートのポケットの中から担任から預かったらしい紙を取り出し、視線を落とす。

「うん、やっぱり間違いないよ」

「んじゃ、行こうか」


 店内に入ると、最近流行りの曲がBGMとして流れている。

「西明寺さん。さっきの話だけだね。私も拓武くんと同じで、一人暮らしなんだよ」

「そうなんだ。だから永月くんと一緒のこと多いんだね」

「うん、まぁね」

 無表情でそう答えると、西明寺は再度紙に視線を落とす。恐らく買う物の再確認だろう。

 その隙に茉莉へと近づき、耳元で囁く。

「助かった。ありがと」

『全然いいよ。でも、今度私の言うこと何か聞いてね』

 貸しってことかよ。

 呆れ顔を浮かべ茉莉を見て、わざとらしくため息をつく。

『わざわざ嘘に乗ってあげたんだからね』

 間髪入れず茉莉はテレパシーを送ってくる。

 はいはい。内心でそう零す以外、おれには何も出てこなかった。


 * * * *


 順天各で必要な物を買い揃え学校へ戻る。

 買ったものは当初聞いていたものと変わりなく、袋も思ったほど重くなかった。

「おぉ、助かったぞ。まさか、永月が手伝ってるとは思わなかったよ。ほんと、ありがとな」

 担任はおれたちに向き、そう言うと忙しそうにパソコンに向き直る。

「いえ。それよりも先生。こんなの何に使うんですか?」

「あぁ、いまそれを作ってるんだ。みんなには今週のホームルームで言うつもりだったんだが、来週校外学習があるんだ。その資料作りで必要な物だったんだ」

「いま先生が作ってるのがその資料で、それをコピーするのにコピー用紙ってわけ?」

「そうだ。あんまりたくさん使うと、周りの先生からの視線が痛くてな」

 先生はそばかすの目立つ頬をポリポリと掻き、気合いを入れ直すためか、紺色のスーツの袖を捲し上げる。

「で、校外学習ってどこ行くんですか?」

 おれがそう訊くと、先生は優しそうな目をスっと細めてからくしゃくしゃとした笑顔を浮かべる。

「それは水曜日までのお楽しみだ」

「いま教えてくれてもいいのに」

「先に教えるのは不公平だからな」

 そう言うと、先生は出入口のドアを指さす。

「今日は本当に助かったが、もう時間も時間だ。気をつけて帰れよ」

 そんな時間か? と思いながら職員室にかかる時計を見ると、既に時刻は5時半を回ろうとしていた。

「うわぁ、タイムセールまで時間ねぇーじゃん。茉莉、帰るぞ」

「うん」

「さようなら」

 急ぐおれたちの背中に先生はそう告げた。


 職員室は北校舎の2階にある。職員室を出たおれは飛ぶように階段を降り、下駄箱まで行くと上履き脱ぎ、登校用の靴に履き替える。

 もう陽は落ちかけ外は薄暗くなっており、廊下には電気が点灯している。

「茉莉、急ぐぞ」

「分かってる」

「ここで卵買い逃したら1週間使えなくなる!」

「急ぐしかないぜよっ!」

 ぜよは久しぶりに聞いたが、いまはそれを指摘する余裕はない。

 茉莉が靴を履き替えるのを確認する。出会った当初と違い、もうパンツが見えるような脱ぎ履きはしない。

 まだ1週間ほどだと言うのに、出会った頃が懐かしく感じる。

「さあ、急ぐぞ」

「うん」

 玄関を抜けると、部活の片付けをしているのであろう生徒たちとすれ違う。

 こんな時間まで学校にいたのははじめてだな。

 頭でそんなことを考えているうちに、本日2度目の校門を抜ける。

 青信号が点滅していたので茉莉の腕を取り、少しスピードを上げて信号を渡りきる。

 流石に帰宅ラッシュと言われる時間帯のだけはあり、信号待ちの車の量はいつもの倍近くはある。

「こんなに車通る道なんだな」

「いっつもこんな時間じゃないもんね」

 少し会話を交わし、右に曲がるとそこからは一直線に進むだけだ。

 タイムセールは6時になると終わる。それまでに卵を手にしないと、と思うと気持ちは早り、足取りは自然と早くなる。

 すると、ちょうどファミレスを通り越した辺りで茉莉が声を上げた。

「ごめん、私ちょっとしんどい」

「そ、そうか。じゃあちょっとゆっくり行こう」

 そう言ったはいいが、時間は気になる。スピードを落とし、茉莉と並んで歩きながらズボンのポケットからスマホを取り出す。

「時間は?」

 しんどいが時間は気になるらしい。茉莉は息の上がった声でそう訊いた。

「5時49分」

 ギリギリだな。

 ここからこの調子で歩いて行けば、恐らく6時にはスーパーに辿りつくだろう。しかし、茉莉は疲れている。本当にこのペースのまま歩けるかどうかの保証はない。

「先、行ってて」

「で、でも……」

 まだこっちの世界に慣れていない茉莉を1人にするということが、不安だ。不安で、心配で、焦ってしまう。

「大丈夫よ。幾ら私でも、まっすぐ進んだら着くスーパーには迷わないから」

 唯一浮かべられる優しい微笑みで、おれを見てそう紡ぐ。

 納得はできる。でも……。

「大丈夫。いざとなれば──」

『──これもあるしね』

 そう言うと彼女はおれの肩を軽く叩き、茉莉を見つめるおれをスーパーの方へ回転させる。

 そして背中をポンッと押すと

「さぁ、行ったよ!」

 と、高らかに声を上げた。


 * * * *


 スーパーには5時54分に着き、どうにか卵2パック買う事に成功した。

 常時で買うより、1パック当たり45円安い。故に、近所の主婦たちは毎週月曜日は必ずこのスーパーに来る。今になると、少し知り合いという感じにまでなっている。

 卵を買い終え、挨拶程度にいつもの主婦たちと会話を交わして尚、茉莉はスーパーに姿を表さない。

 おかしいな……。

 そう思った刹那。不意にスマホがバイブ音を立て震えた。

 茉莉にはまだスマホ持たせてないし……、一体誰だ?

 スマホをポケットから取り出し画面をつけると、そこにはLINEのメッセージが届いたことを知らせる画面がポップアップしていた。

「LINE? 誰だ?」

 独りでにそう呟き、LINEを開く。トークの欄に1、というマークがついている。

 そしてその相手はunknown。黒い背景に紫色の文字で大魔王と書かれた、謎の人物。

 どういうわけか、おれが魔女と関わりを持っていると知っていて、魔女狩りが何とか、戦場に足を踏み入れたなどという文面を送ってきた怪しい人。

 そんな相手がどうして?

 強い疑問と、不安に苛まれながらunknownのトーク欄を開く。


 ──魔女、異端審問。全ては揃った。さぁ、魔女狩りの始まりだ。魔女は主人を、主人は魔女を。生き残りを掛けて、戦え──


 何がなんだか分からない。でも、茉莉が危ない!

 本能がそう叫び、おれは咄嗟にスーパーの中に戻ると、顔見知りとまでなったレジ打ちの女性にすごい剣幕で言う。

「すいません、ちょっとこれ預かっててください!」

 カバンと先程買った卵を女性が有無を言う前に押し付け、スーパーを飛び出した。

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