第9話 魔女とおれの学校生活
どうにか国語の授業を終え、次は男女が別々に授業を受ける体育となる。実際、茉莉が見えないところで何かをする、ということは不安で仕方がないが、こればかりは仕方ないだろう。
「教科書、見せてくれてありがとね。助かったわ」
水口さんは、面白くて好きよ? のあとは黙ってしまい授業の間の会話はなくなった。
それがこんな風に唐突に話しかけられ、おれは少し戸惑う。
「……お、おう」
「じゃあ、脱いでくるね」
「あぁ、うん。体操服に着替えてくるんだろ?」
「あはは、バレちゃったか」
「それくらいは分かるよ」
このノリが水口さんだよなー。
静かな水口さんが妙にこそばゆくて、水口さんらしくないと感じた。まぁ、水口さんには失礼かもしれないけど、水口さんはこれじゃないと。
心底でクスッと笑い、
「いってらっしゃい」
の言葉と共に右手を持ち上げた。
「ねぇ、私はどこに行けばいいの?」
「知らんよ」
まるで子犬のような瞳でおれを射抜く茉莉は、腕にしがみついて離れない。
「でもでも!」
『みんな体操服持って教室出ていってるよ?』
「口だけで話してくれ。ちゃんと聞こえるから」
耳と脳に交互に言葉が流れ込み、濁流に飲まれたような感覚を覚える。同時ではそうはならなかったが、交互になると、どうも交互に処理をしようとするらしく、それが吐き気を
「ねぇ、どこ行けばいいの?」
「女子の着替え場所なんて知らないよ。まだ残ってる女子に聞けば?」
「なんて話し掛ければいいかな」
「そんなの自分で考えろよ」
そんな会話をしているうちに教室から女子はどんどん居なくなり、男子がこちらをチラチラ見ながら制服を脱ぐか脱がないかを模索している。
「一旦外出るぞ」
茉莉に体操服を持たせ、教室を出る。
「どうして教室の外出るの?」
「男子が着替えたそうにしてたんだよ」
「あっ、そっか。ごめんごめん」
「それはいいから、誰か女子に……ってもう居ないわな」
「うん、ごめん」
「謝らなくていいから。でも、おれが手当り次第探すってのも効率悪いし……」
どうすればいいものか、と悩み、頭を掻く。
「あっ、そうか」
そこで、ある解答に辿り着いた。
まだ1年生で学校に入学したばかり。そして、そんな生徒が体育ですることと言えば──集団行動。
そしてそれは、間違いなく男女混合で行われる。おれら男子は体育館で行うと聞いている。なら、体育館前で張り込めば……。
「体育館前まで行くぞ。そこで女子に訊く」
「うん」
おれの言葉に彼女は小さく返事をし、早歩きで目的地へと向かい始めた。
北校舎3階に位置するおれたちの教室から体育館までは決して近くはない。
体育館は学内でもスポーツエリアと呼ばれる場所に位置し、北校舎3階からだと1階まで降り、南校舎へと繋がる渡り廊下の真ん中にある廊下を経て、ようやくたどり着く場所。
スポーツエリアは体育館の他に、畳の敷かれた柔道場。それからテニスコート、天然芝の敷かれたサッカーコート、プールまでが設備されている。
正直、あそこは部活をやっていないおれにとっては立ち入る機会がかなり少なく、まだ未知の領域と言っても過言ではないだろう。
中に入られる前に捕まえねぇーと。
「なぁ、茉莉」
「なに?」
階段を降りながらおれは声をかける。
「なんで急にテレパシーなんて使えるようになったんだ? この前聞いたら魔法は使えないようになってるって言ってただろ?」
「あぁ、うん。私もそう思ってたんだけど……。この前、私が風邪ひいた時、寝ていると不意に使い方が頭に過ぎったの」
「熱出した時か……」
まだ記憶に新しい彼女が、ベッドに横になる姿が脳裏に思い返される。
同時にニコッと、初めて彼女がおれに微笑んでくれたことも思い出し、頬が熱くなるのが分かる。
慌てて彼女の視界に顔が入らないように、前を向き、
「夢で何か見たとかある?」
2次元ではよくあるパターンのそれを訊ねる。
「うーん、そんなことはなかったと思うけど」
茉莉は絞り出すような声でそう答える。と、その時。
目の前に栗色のふわっとした髪が視界の端に入った。ちょうど階段を降りているところらしい。間違いない、竹内さんだ。
「竹内さん!」
まる1階分離れている。しかし、ここは廊下。反響はいい。少し声を張るだけで、そこそこの大きさにはなる。
「ん? なんや?」
彼女はすぐに反応してくれた。曲がったところから頭をちょこんと出し、おれをじっと見つめる。
「茉莉に、体操服に着替える教室教えてやってくれ」
「茉莉?」
「あぁ、星宮茉莉だ」
「そっか。金曜日に転校してきたから、体育今日が初めてやんね」
快活な声が耳に入ったのか、茉莉はおれの体の陰から少しだけ顔を覗かせる。
「分かった。ええよ。ほな、みんなは先行っといて」
竹内さんは、一緒にいた人たちにそう告げると降りたばかりの階段を1段飛ばしで上がってくると、
「ほな、星宮さん。行きましょか」
「すまん、助かった」
「ええよ、ええよ」
竹内さんは、茉莉の右手を握り
「さ、行こっか」
と、言うと階段を上がり始めた。
「さぁ、おれも着替えねぇーと」
* * * *
国語も体育もその後の数学も、生物基礎も終わり、今はちょうど昼休み。
「なぁ、今度の日曜さ。遊びに行かね?」
「何処にだよ」
高校生になって出来た友だち第1号の
上井草は、北中でバスケ部キャプテンだったらしく、その身なりもバスケ部らしく色白で背が高い。
少し赤色が掛かった髪、切れ長の、しかし優しさのある瞳からは爽やかな青年を印象付けるが、その割に身体には程よく筋肉質で男らしさを感じさせる。
「昨日、日曜終わったばかりで、もう次の日曜の話するのかよ」
「それはいいじゃねぇーかよ。さっきバスケ部の先輩と会って、土曜日は練習試合で、日曜オフって言われたからさ」
「オフで遊ぶって元気だな」
「こんな時にしか遊べねぇーからな」
苦笑を浮かべ上井草は頬を掻く。
「まぁ、たぶん大丈夫だと思うぞ」
「おっ、そうか! あっ、そうだ。LINEのグルからさ、友だち登録してていいか?」
「あぁ、いいぞ」
あ、そう言えば。茉莉ってスマホ持ってなかったよな……。
「詳しいことはこれから決めようぜ! じゃあ、オレは食堂行ってくるわ!」
「おう」
忙しげに上井草は教室を出ていった。
てか、上井草のやつ。片付け早すぎるだろう。
授業が終わって間もない。おれの机の上にはまだ教科書やノートが散乱している状態だというのに、彼の机の上は綺麗さっぱり片付いている。
「授業の最後の方から片付けてたからね」
「そうなんだ。って、なんでおれの考えてたこと分かったの?」
「視線で分かるわよ」
そう言うと、水口さんはカバンの中からお弁当を取り出す。
「水口さんお弁当なんだ」
「まぁね。お母さんが作ってくれる」
「そりゃあいいね」
一人暮らししなかったら、おれも作ってもらえてたのかな。
そんなことを脳裏に
「タクくんのところは作ってくれないの?」
「おれ、一人暮らしだから」
微笑を浮かべそう答える。
「えっ……」
水口さんは相当驚いたのか、お箸で挟んだウインナーをポロッとこぼす。
「聞いてないんだけど」
「言ってないからね。それに、聞かれてない」
机の中に机上に散らかっていた教科書類を片付ける。
「んじゃ、とりあえずパンでも買ってくるわ」
「ちょっ、まだ話し終わってないんだけど」
「いや、終わった」
それだけ告げておれは教室を出る。教室の中には、弁当を広げてワイワイと昼食を摂る光景が広がっている。
「さぁ、行くか」
「うん」
教室を出たところで待っていた茉莉に声をかける。
「おれ今日パン買うつもりなんだけど」
「じゃあ、私もそれでいい」
「マジでいいのか?」
「いいけど。なんで?」
「なんでって……。ほとんどおれと同じ物食ってるじゃん」
何だか合わせてもらってるみたいで、少しの罪悪感が生まれるよ。
「じゃあ、たまたまずっと食べたいものが同じってことで」
「じゃあってなんだよ」
おれたちはあはは、と笑いながら食堂の横に併設されたいる購買部に向かった。
「うわぁ、もう結構売り切れてんじゃん」
もうちょい多めに仕入れとけよ。
心底でそう毒づきながら、販売カゴに乗っているパンを一瞥する。
チョココロネがあと3つ。焼きそばパンとメロンパンは残り1つ。
「どうしよ」
そう呟きながら茉莉の顔を見る。もちろん、無表情だ。もう少しで彼女との生活は1週間を迎えようとしている。しかし、まだ無表情の奥に隠された感情を読み解けるほどではない。
「どれが食べたい?」
そう訊くと茉莉はチョココロネを2つ手に取り、
「一緒」
と述べた。
教室に戻った時にはもうほとんどの人がお弁当を食べ終え、スマホを片手に話しをしていた。
おれは自分の席の上に、購買部で買ったパンの入った袋を置き、腰を下ろす。
「えっと、まず。はい」
チョココロネとコーラをおれの席の真横に立つ茉莉に渡す。
「うん」
「……ん?」
手渡したはいいが、彼女は一向に動こうとしない。それを疑問に思い声を出す。
「私もここで食べていい?」
「えっ……。まぁ、いいけど」
幸い教室は騒がしく誰もおれたちの会話を聞いてなかったようだ。誰もこちらを見ることなく、自分たちの話に集中している。
「ほんと? ありがと!」
茉莉は唯一覚えた微笑みを浮かべそう告げた。
おれはこれに弱い。もうそれは何度も見てきて、理解している。
「……お、おう」
それは凝視しなかった今回もそうだった。照れが勝ち、慌てて視線を逸らす。
「あーあ、やらしい」
それを見た水口さんは、それだけ残して教室を出て行った。
* * * *
色々と問題はあったが、どうにか今日の学校での生活を乗り越えようとしていた。
教室に差し込む西陽は眩く教室がオレンジに染め、室内に響くのは時計の秒針だけ。
入試の時ですらこんなはっきりと秒針は聞こえなかったと思う。
「永月拓武くん」
うるうるとした黒目が黒縁丸メガネ越しにおれを捉える。
「ど、どうした」
スクールカーディガンの裾をぎゅっと握りしめた彼女の緊張が伝わり、おれの声まで硬くなる。
肩を竦め、大きな黒目を泳がせる彼女は何度か顔を上げ、何かを言おうとするが、それは言葉になることはなく霧散する。
二人の間には沈黙が訪れ、相手の心音まで聞こえてしまいそうだ。
そう感じた瞬間、部活が始まったのだろう。スポーツエリアの方から、大きな掛け声が木霊となり聞こえてきた。
それをきっかけに、彼女は大きく息を吸い右足を一歩前に出し、文字通り全身全霊で声を上げた。
「付き合ってください!」
その声は教室中に駆け巡り、聞こえていた大きな掛け声をかき消し、おれの世界から音を消した。
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