第8話 魔女とおれと国語の授業

「眠いの?」

 隣の席から水口さんが訊ねてくる。

 そんなに眠そうな顔してるのかな。

「眠いか眠くないかで言うと眠いけど……。言うほどではないかな?」

「へぇー。そうなんだ。てっきり昨日1人でヤりすぎたのかと」

「なんでそうなるんだよ!」

 朝から堂々と下の話をする水口さんは、おれの反応にケラケラと笑い声を上げている。

「その反応が面白いからー」

「なんなんだよ」

 そんな話をしているうちにホームルームが始めるチャイムが鳴り、担任の先生が入ってくる。


 特別おれらに報告することはないらしく、先生は適当に話をする。

「よーし、それじゃあ週末課題集めるぞ。後ろの人、悪いけど集めてきてくれ」

 その言葉を受けた全6列のそれぞれ一番後ろの席の人が立ち上がり、週末課題を集めていく。

「へぇー、ちゃんとやってるんだ」

「何を?」

「週末課題。てっきり永月くんみたいな人はやらないんだと思ってた」

「おれ、どんな印象なんだよ」

「えっとー、ただの変態?」

「そっくりそのままブーメランだからな?」

 そう声をあげたところで、ちょうどおれの列の最後尾の人が課題を集めに来てくれた。

「はいはい、変な会話してないで出してくれへん?」

「あー、悪い悪い……。って、この関西弁!?」

 聞き覚えがある。というより、間違いないだろう。

 そんな考えを巡らせながら顔を上げると、そこには栗色の髪が視界に入る。

「竹内……さん?」

「そうそう。やっとウチの存在に気がついたかー」

「同じ列だったんだね」

「そうやで。そんなことよりも早う課題出してや」

「あぁ、うん」

 集めてある課題の上に自分の課題をのせる。

「ほな」

 竹内さんは昨日のことに一切触れず、満面の笑みを浮かべそう言うとおれの前の席の人と少し会話をしながら課題を集めていく。

「知り合い?」

「ま、まぁ。ちょっとだけ?」

 言えないこともないけどおれには茉莉が、竹内さんには王鳳がいた。それを説明するのもめんどくさいし、誤解が必ず生まれる。だからおれは、はぐらかす。

「ふーん」

 水口さんもそこに突っ込んで来ることなく会話は終わる。

 その間に課題を集め終わったらしく、担任が声を上げる。

「全員出したかー? 終わってなくてまだ出してない人は、あとで直接職員室まで持ってこいよ」

 教卓の上で、トントンと課題をまとめると、担任は職員室へ帰っていった。


「ねぇ、1時間目って何だった?」

「国語だろ」

「うわぁー、やっぱりかー」

「やっぱりって。時間割り通りだろ?」

「いやぁ、そうなんだけどねー」

「なんだよ?」

「教科書忘れちゃった」

 てへっ、と水口さんは声を洩らしちろっと舌を覗かせる。

 白髪が陽光に映え、何だかとても人間離れしているように感じてしまう。

「で、おれにどうしろと?」

「見せて?」

「はぁー」


 * * * *


「はーい、授業始めるよ」

 チャイムと同時に入ってきた国語の担当教員。

「起立、礼」

 その声に呼応して、西明寺が声を張る。授業開始の挨拶を終え席につくと、担当教員はぷっと吹き出した。

「イチャイチャを見せつけないでくださいよ。永月くん、水口さん」

「なっ!? イチャイチャなんてしてませんよ!」

 楽しそうに言う先生に、おれは目を丸くして言い返す。

「じゃあ、わざわざ席を引っ付けなくてもいいのでは?」

「だからそれは──」

「永月くんが離してくれませーん」

 水口さんが教科書を忘れたから、と言おうとしたがそれに被せて水口さんがおれの腕を取りながら言う。

「ちょっ、ふざけんなって」

「ふざせてませーん」

 キツく睨みを効かせてみるも、水口さんは堪えた様子はない。

「はいはい、わかりましたから。そろそろ授業始めますよ」

 先生は楽しげな笑顔を浮かべながらそう放ったが、周りの目は冷たくかなり痛かった。


 その授業中。結局、水口さんが教科書を忘れたから見せて貰う、と宣言してくれたために誤解は解けたが、どうにもまだ不安は尽きない。

「ねぇ、いま読んでるの?」

「知らんわ」

 板書しているおれにぼそっと問いかける。

「ちゃんと聞いててよ」

「ちゃんと書いてるんだよ」

 そう答えた瞬間、頭の中にもやがかすめ、ノイズ音のようなものが流れた。

 な、なんだ……。

 耳から入る先生の声は掻き消されることなく聞こえ尚、脳内に何かが流れ込む。

 どうなってるんだ。

 2つの音が混ざり合うことなく、不協和音を奏でることなく、ただただ別のそれと判別されてそれぞれを理解していく。

『日本の夜明けは近いぜよ』

 ようやくはっきり聞こえた脳内の音はそれだった。しかし国語の授業でそんな単語が出でくるわけが無い。

 圧倒的な違和感を覚え、おれは頭を持ち上げ周囲を確認する。

 だが隣に水口さんがいるだけでその他には誰もいない。

「なぁ、水口さん」

「何? さっきから様子おかしいけど、もしかして……お漏らし?」

「んなわけあるかよ」

『仲良さげだね』

 また聞こえる。聞こえる声にはどこかノイズが掛かっており、誰の声だと特定することはできない。しかしどこかで聞いたことのあるものだと思う。

「じゃあ、私が触って確認してあげよっか?」

「頭おかしいだろ。確認しなくても漏らしてないから」

 頭に話しかけて来るの誰だよ。

『この声は誰の声? とか思ってるでしょ?』

 なに!? 心が……読まれてるだと?

『私よ。星宮茉莉よ』

「これなんだよ」

 耳から入る先生の授業の説明、脳に流れる茉莉の声。現実離れしすぎてついていけない。

『たぶんテレパシーだろうね。ねぇ、拓武くんも何か話してみてよ』

 いやいや、おれ人間だぞ? そんなこと出来るわけないって。

『はーやーくー』

 うるせぇーよ。先生の声と茉莉の声が2つが交錯することで、普段の生活では耳にすることのないはずの波長が耳や脳を襲う。


「で、ここで登場人物の気持ちになりきって考えてください。少し時間を与えるので、あとで発表してもらいます」

 先生の訳の分からない質問だ。おれはこの作品に出たこないし、作者でもない。その上、こいつらは作者によって作られた贋作がんさくだ。

 そんなやつらの感情なんて読み解けるはずがない。

『ねぇー、なんか言い返してみてよー』

 その間にも茉莉はテレパシーを飛ばし続けてくる。

「ねぇ、先生の言ってること分かる?」

「……」

「ねぇってば」

「あぁ、悪い」

 茉莉が常に返事を返せ、と送り続けて来るので水口さんの反応に遅れてしまう。

「聞いてた?」

「聞いてたよ。先生の質問のことだろ。分かるわけないよ」

「だよねー」

 白髪の毛先を弄りながら、まともなことを言う水口さんに少し違和感を覚えた。だが、それを追求しようものならばまたからかわれるだろう。そう考えおれは教科書に印刷された文字を目で追う。


 それから数分間。先生は教室中を3周ほどし、教卓の前に戻る。

『帰って昨日買ったポテトチップス食べていい?』

『あっ、今日のお昼も食堂行くの?』

『この問題分かる?』

 返事が返ってこないと分かった上で、送り続けるメッセージなんて視聴者のいないツイキャスで喋り続けているようなものだ。

 虚しいことこの上ない。しかし茉莉はそれをやり続ける。

「はい、それでは答えてもらいましょう」

 先生は教室中を見渡してから、黒板の右端に書かれている日付を一瞥してからおれらの方に向き直る。

「今日は4月16日だから出席番号16番の永月くん」

 はあ!? 嘘だろ。完全に油断してた。

「は、はい……」

 考えなんてない。その状態でちょっとでも考えをまとめるために、教科書に視線を落としながらゆっーくりと椅子を引き、立ち上がる。

『ぷぷぷー。当たってるじゃん。わかんないんでしょ?』

『ねぇ、そろそろ答えてよ』

『……1人で喋ってて、私変な人じゃん。返事してよ』

 どうやら今更ながらに1人で話す、という行為が虚しいことかに気づいたらしい。

『ねぇ、何か話してー!』

 寂しさに限界が来たのだろうか。とうとう茉莉は、テレパシーで喚き声のようなものをあげた。

 その瞬間、この世に生を受けてからこのかた一度も感じたことのない衝動が全身が走った。

 声が、波動が、大きな振幅が、血管を巡り、脈打つ。

「人間だから出来るわけねぇーだろ!!」

「……いや、あの。永月くん? 吾輩は猫であるの授業中で、人間だから、なんて、言われたら困るんだけど」

 教室中は静まり返る。

 あまりにしつこいから返事してしまった……。最悪だ。

「先生ね、国語の先生になってから何年も経つけど、吾輩は猫であるの授業中に人間だから分からないなんて言われたのはじめてだわ」

 苦笑なんてレベルではない。呆れている。それは見て取れる。

「す、すいません」

 その言葉以外、この場で発するべき言葉を思いつかない。おれは頭を下げ、静かに素早く席につく。

「やらかしたわね」

「うっせぇ」

「でも、私は面白くて好きよ?」

 どうせ茶化している。そう思い、視線だけ水口さんの方へ向けた。

「ふざけ──」

 るな、という言葉は繋げられなかった。水口さんの顔が今までに見たことなく真剣で、元の肌色が真っ赤に染まっていたから。

 おれはただそっと視線を逸らし、頭に流れてくる茉莉の小言を聞き流すだけだった。

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