第5話 魔女との過ごし方
「だ、だから、ごめんって……」
先に家に着いて部屋着に着替え、夕食の準備をしていたところに茉莉が帰ってきた。
帰ってきたはいいが、どうも雰囲気が悪い。どうやらおれが先に帰ったことを怒っているらしい。
表情に変化はないのだが、今までになくわかりやすい。
「放って帰らなくてもいいじゃない」
「ごめんって。でも、一緒に帰ったらバレる可能性高くなるだろ?」
「何がバレる可能性よ?」
「おれらが一緒に暮らしてるってバレる可能性だよ」
バレたら大変、なんてレベルじゃねーぞ。確実に先生から呼び出しくらうレベルにはすぐになる。
「いいじゃん」
「よくねーの!」
そんなに警戒心が低ければ、すぐに文春砲くらうぞ。
そう胸中でこぼし米を研ぎ始める。
米をかき混ぜながら、時折優しく握るようにして米を研いでいく。
「って、おい!」
思わず声を荒らげた。
「どうしたの?」
米を研ぎ終わり、炊飯器にセットして米を炊こうとした瞬間だった。茉莉もちょうど着替えを始めたところだったらしい。着ていたおれらの学校の制服を脱いでいた。
「なんでここで着替えるんだよ!」
一糸まとわぬ姿、まではいかないがそれでもおれにはインパクトの強い格好である。
「だってー、ここが温かいからー」
「温かいのは、分かる。だからって言って、リビングで下着姿になるのは、どうかと思うぞ?」
目をそらし早口でそう捲くし立て、早炊モードにセットして炊飯器の開始ボタンを押す。
軽快な音と共に炊飯器が動き始める。
「裸の付き合いをした仲なのに、気にしなくていいぜよ」
「いや、だから……」
なんと言い返せばいいのかさえ分からなくなり、おれはため息しか出ない。
「それと時折つけるぜよとかござるとか、やめた方がいいぞ」
彼女の方を見ないように心がけながら冷蔵庫を開く。
「なんでよ?」
「時代錯誤だ」
「世界は我が開くぜよ」
「誰の言葉だよ」
少し悩んだ末に、まだカチコチに凍った豚肉を取り出す。安売りしてた時に買ったやつだ。消費期限的にも、そろそろ使わないとまずい。
「私の言葉ぜよ」
「あっそう」
何かを言い返す気すら無くなる。んー、生姜焼きでいいか。
その後も時折訳の分からない時代錯誤の発言を繰り返していたが、適当にあしらい生姜焼きを完成させていった。
* * * *
ご飯も炊きあがり、生姜焼きも完成した。本当はサラダ的なものがあれば健康にはいいのだろうが、おれが基本的にサラダを食べるのが嫌いなために準備しない。
サラダ食べてるとさ、イモムシになった気分になるんだよね。
「茉莉、ご飯入れてくれー」
「御意に」
「なんでそんな返事するんだよ」
「まぁね。それに旦那さまを敬わないとね」
「絶対馬鹿にしてるだろ」
彼女にまだ笑顔はない。声音だけで笑っているんだろうな、ということは理解出来ても実際にそれは見たことがない。
「てかさ、なんで部屋着って言ってそれ着るんだよ」
下着姿だった彼女は、おれが生姜焼きを作っている間に服を着替えていた。しかしそれは部屋着というには、あまりにかけ離れた存在だった。
はじめておれの家を訪ねてきた時は黒を基調とした魔女衣装だったが、いまは白を基調とした魔女衣装を着ている。
「これが普段着だよ?」
「こりゃあ、普段着も買わないとだな」
ご飯と生姜焼きをテーブルに並べ、おれと茉莉は腰を下ろす。
そして両手を合わせて言う。
「いただきます」
声と同時に箸を生姜焼きに伸ばす茉莉。
「お腹減ってたのか?」
「まぁね」
肉を白米の上に乗せ、そのまま口に運ぶ。
「美味しいか?」
「美味しいよ」
口の中のものを飲み込んでから彼女は言った。そしてそれよりも、と彼女は切り出す。
「なんだよ?」
「学校でさ、なんで手合わしていただきますって言わなかったの?」
「いや……えっと……」
あれ? なんでだ?
家では普通に出来ることが学校ではできない。別に恥ずかしいってこともないのに。
「どうしたの?」
「いや、何でかって言われると分かんなくて」
「そんなもの?」
「そんなものだ。それよりもさ、おれからも1つ訊いていいか?」
「いいけど」
既に半分程に減った生姜焼きに手を伸ばす。
「茉莉ってさ、どうして魔法を使わないんだ?」
「あぁ、その事ね」
口にお茶を含む。
「研修中は、魔法の使用が禁じられてるの」
「そうなんだ」
別に何かに期待していた訳では無い。魔法をアテにしているわけでもない。
「まぁ、魔法なんて
「そういうことよ」
それからしばらく、おれたちの間に会話が生まれることはなく、ただ黙々と食事をとっていた。そしてほとんどを食べ終えた頃。
「なんで急に学校来たんだ?」
「私なりに考えた結果だよ」
「そうか。ならさ、1回笑って見せて」
真摯な瞳を彼女に向け、おれは真剣に言う。少しでも意識を逸らすと、すぐに恥ずかしくなり、照れくさくなり、向き合ってすらいられなくなるだろう。
「わらう……?」
「あぁ。嬉しい時とか面白い時とか、そんな時に笑うだろ?」
「えっと、それは分かってるんだよ。でもどうやって笑えばいいの? 私、分からないよ」
困ったような声。しかし表情はぴくりとも動かない。
彼女のそれに慣れてきたとはいえ、やはり違和感を拭うことはできない。
「頬を緩めてさ、口角をあげるんだよ」
言葉で説明するならばそれで足りるだろう。だが茉莉にとってそれは、とても複雑で理解の及ばないものらしい。
「どうすればいいの?」
辛く、今にも泣き出してしまいそうな声。
「こうするんだよ」
右手に持っていた箸をテーブルに置き、おれは体を乗り出す。
そして茉莉の頬をつねり横へと引っ張る。ぷにぷにと柔らかく、おれのそれとは比べ物にならない。
「どうだ?」
「変な感じ」
「そうか」
そう残しおれは彼女の頬から手を離す。
「嬉しいときとか、さっきの表情をしてみろよ。それじゃあいつかそれが自然になって、笑顔が浮かべることが出来ると思うぞ」
それだけ言って立ち上がると、おれは自分が使った食器を持ってシンクへと持っていく。
それに続いて茉莉が彼女自身が使った食器をもっておれの後に続く。
「今日は結構自分から動くんだな」
「たまにはね」
「毎日してくれればいいのに」
「毎日は嫌ー」
彼女は歪ながらも先ほど教えたばかりの笑顔、を実践しようとしている。
「ふっ。まだちょっと変だな」
「やれって言ったからやったのに。酷いぜよ」
「まだぜよ言うんだ」
洗剤を付けたスポンジを片手に、シンクに浮かぶ食器に手にとる。
「学校、どうだった?」
「どうって言われても……」
困った声を出しながら、しかし表情は無いまま彼女は返事をする。
「まぁ、まだ初日だしな。いまからが大変かもな」
「なんで?」
「転校生で、金髪だぞ? 物珍しさもあって人気になるに決まってるだろ」
「私人気でるの!? 困るわ」
「何でだよ」
今までずっと1人だった空間に、たった1人増えるだけでこれほどまでに違う。最初は煙たがっていたが、ほんの数日でこの空間が楽しくなっている自分がいる。
「ほんと、単純だな」
蛇口から出る水の音に負けるほど小さな声でおれは呟いた。
* * * *
「お風呂、気持ちよかったー」
「あっそ」
食器洗いを終え、久しぶりに浴槽にお湯を張った。今日は金曜日だし、一週間の疲れをとる意味でも意外と良い物なのだ。
そして今回は茉莉に日本のお風呂について知ってもらう名目もかねている。お湯を張った浴槽を茉莉に見せると、先に入ると言い出した。
で──
「服を着ろ!」
先に入ったはいいが、彼女は一糸纏わぬ姿でおれの前に現れたのだ。
「えぇー、熱いもーん。ぜよ」
「忘れてたからって、ぜよは付けなくていいから。って、それよりも!! 頼むから服を着てくれ」
なんか部屋の灯りが急に強くなって、大事な部分は見えてはいないのだが?
別に見たいとかそういうのじゃなくて……。じゃなくて!!
謎の光があると言っても、安心出来るわけがない。茉莉が歩く度に、彼女の胸がたゆん、と揺れる。何故か光も同じように移動して、大事な部分は隠すのだが、それでも、揺れは目に入る。
そんなの気になって仕方ない。
「なんでよー? 気になっちゃう感じ?」
ほらほら、と茉莉は自分で自分の胸を寄せ付け、出来た谷間をおれに見せつける。
「わたしにそのような攻撃は効かぬよ」
心頭滅却。心頭滅却。心頭滅却。こんなことで動じぬぞ。
「ふふ。緊張しなくていいぜよ」
「き、緊張なんてしてるわけないだろ! さっさと服着ろよ。おれは風呂行くから!」
少し名残惜しい気はした。もう少し見てたいという気持ちがないと言えば嘘になる。しかしあのままあそこにいれば、おれは自分を保てなかったと思う。
「はいはーい」
まだ服を着る気はないのだろう。気のない返事で、彼女は冷蔵庫の前に立ったままそう言った。
「風邪引いたらどうするんだよ」
彼女に気づかれないほど小さくこぼして、おれはリビングを出た。
そして次の日──。
「……へくしょんっ」
リビングにはそんな音が響いていた。
「くしゅん、くしゅん」
どこか遠慮気味なくしゃみ。
「どうした?」
「ごほ、ごほ」
返事は咳だ。
「だから昨日言ったろ? 服着ろって」
どうやら茉莉は風邪をひいたらしい。魔女でも風邪にはかかることがわかった。
「ごめんなさい」
無表情だが弱々しい声で言う茉莉。
「謝って治るなら、謝ればいい。でも、治らないんだ。謝るより先に風邪を治すことを考えろよ」
赤く火照った顔に手を当てる。
「熱いな」
熱あるんじゃねぇーの?
そう思いながらも彼女の額に手を当てた。
「やっぱり……。熱あるっぽいな」
折角の休みなのに、などといった感情はなかった。彼女を心配する気持ちでいっぱいになってる自分に驚きながら、冷蔵庫の奥に置いている冷えピタを取り出し、彼女の額に貼り付ける。
「ひゃっ」
火照った顔の彼女は、吐息のようなものをこぼす。何もやましいことはしてないのに、変な気持ちになるんだけど……。そういう声は出さないで頂きたいね。
「大丈夫か?」
「すごく冷たくて気持ちいい」
そう言う彼女の顔は、どこか安らかで少し微笑んでいるように見えた。
「そうか。なら、そうやって寝とくんだぞ」
ベッドに寝転がる彼女にそう声をかけ、おれはキッチンへと向かう。
「さぁーて、雑炊でも作ってやるか」
炊飯器を開け、中に残る少量のご飯を見てそう呟いた。
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