第2話 魔女との契約
ハロウィンの夜のスクランブル交差点。そこになら沢山居そうな魔女の格好をした星宮茉莉。
「魔女って……。どういうことだよ」
部屋に入るなりテーブルの前に腰を下ろした彼女。
物欲しいそうな目でキッチンに残された、先程おれがコーラを飲んだグラスを見ている。めんどくせぇ。そう思いながらも、新しいグラスに冷えたお茶を淹れ、彼女の前に出してやる。
嬉しそうにそれを眺める彼女に訊いた。
「そのままの意味だよ?」
くぅー、と声を洩らしながら、冷えたお茶を一気飲みした彼女は平然と答える。
「だからそれが分からないんだよ」
彼女の前に腰を下ろす。本当は彼女なんてすぐに追い出したい。しかし追い出すところを見られるのも嫌だし、それに力では勝てない気がする。
「んー、どうやって言えばいいのかなー?」
彼女は表情を崩すことはないが、顎に手をやり何かを考える仕草をとる。
「此処とは交わることのない世界があるって言ったら。拓武くんは信じる?」
そして彼女は突拍子もないことを言った。
中学のころ、それを考えたことはあった。もし、この世界とは違う世界があるのなら、と。しかしそれは
それは歳を重ねるごとに理解度を増し、受け入れていった。
「信じたくはない」
1度は夢を見て、無いものとして受け入れたから。それを簡単に受け入れることができない。
「だよね……」
「でも、あるんだろ?」
表情のない顔で俯く彼女に、おれは言い放つ。
信じたくない、と現実は違う。おれはそれを理解できている。幼い頃、飼っていた犬が死んだ時にそれは理解できている。
おれによく懐いていた
だからこそ、いなくなるということが信じられなくて、泣いて、泣いて、泣きじゃくって、ポチが死んだことを信じてなかった。
でも、そんなことをしたって無駄だった。ワン、と吠える声がなく。おれに飛び込んでくる存在がなくなったんだ。信じたくなくても、理解せざるを得なかった。
だからおれは続ける。
「正直、受け入れ難いよ。おれたちが住んでいる世界と違う世界があるなんて。でも朝早くからそんなイタい格好してるやつを目の前にしてるしな」
少し頬を緩めて、彼女の顔を見る。おれの受け入れがあまりに早かったことに驚いているのだろうか、無表情ながらも口をポカーンと開けている。
「……。って、この格好は普通だよ?」
「普通なわけないだろ」
「私たちのいるところでは普通なのー!」
「世界が違うからな?」
そこまで言うと、彼女は小さく首を傾げて見せた。
「な、なんだ?」
「世界は違うくないよ?」
なんて言えばいいのか……。返すべき言葉が見つからず黙る。
「世界はひと繋がりなんだよ。ここはね、地上界ってよばれてる。そしてここより遥か上空。人が宇宙空間、って呼ぶ場所と地球との狭間。そこに天界が存在してるの」
超高次元のお話をされているのか?
この世界の仕組みがどうなっているのか。それがわからなくなり始めているところに、彼女は追い打ちをかけてくる。
「それでね、地球の核、いわゆるマントル付近に存在する魔界。そして、それよりは深度の低い位置に存在する亜人界。私たち魔女はその亜人界に住んでるの」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! アンタは何を言ってるんだ!」
「何って、私の住んでる場所のことだけど?」
「おかしいだろ! ち、地球にそんなに沢山の世界があるってのかよ?」
「そうだよ。私は、その亜人界の
「ま、全く意味が分からない……」
「じゃあ、これで理解できるかな?」
そう言うや、彼女は立ち上がり人差し指を立てた。
大きな薄紅色の瞳を伏せ、長いまつげが顕になる。彼女はそのまま「見てて」とだけ告げるや、ポツリ、ポツリと何かをいい始めた。
「…………、真紅の炎華。豪炎の夢想。幻花を以て解き放て」
それはまるで詠唱だった。言葉の羅列を繰り返してるな、そう思った瞬間。
彼女の立てた人差し指の先に
「嘘っ……だろ?」
「ふぅー」
僅かに額に汗を浮かべた彼女は、口内に溜まった息を吐き捨てるとおれの方を向いた。
「どう? 信じてもらえた?」
信じるも何も無い……。アイツの指の先では今でも炎が揺れてるんだ。
じゃあ、本当に……魔女なのか?
「なら一体どうして……」
全てにおいて理解が追いつかない。彼女の存在。そして、彼女が居たという場所について。
「私、わかりやすく魔女って言ってるけど、本当はまだ魔女見習い。そして本当の魔女になるために、研修に来たの」
ますます分からない……。魔女が研修? 何なんだよ……。
「今はまだ分からないかもしれない。でも、これは私たちにとっては、必要なことなの。だからお願い。私と一緒に暮らして!!」
* * * *
あのわけのわからないことが起きた日からもう1週間が経った。
だが、おれの部屋に彼女の姿は無い。
夢だったのだろうか。
そう思いたいのだが、キッチンのキッチンマットの下。
そこに描かれて魔法陣を見るたびに、現実だったんだな、と痛感する。
「もう来なくていいのに……」
誰もいない部屋でそう呟く。
あの日のことは誰にも言ってないし、バレてない。それは本当に良かった。
だが、彼女はまた来ると言った。
「今日は挨拶回りだから、次は魔法陣使って転移してくるから」
そうして彼女は誰か来てもバレないように、とキッチンマットの下に魔法陣を描き、それをつかって亜人界というところへ帰って行った。
実際まだ信じられないことばかりだ。ポチが死んだ経験を経て、理解は出来るつもりでいたが、これは無理だ。
この世界にいろんな世界がある。しかもそれは異世界ではなく、一つの世界に集約されている。さらにそれらは、決して交わることのない関係性。
そんなこと考えたことも無かった。だからこの1週間自分なりに理解しようと、絵に描いて考え続けたりもしてみた。しかし理解を深めることは出来なかった。
でも彼女が魔女だというのは、どうやら理解するしかないらしい。
詠唱で炎を出したり、魔法陣から消えたりするなんて、普通の人間では出来ないことだ。それを眼前で見せられたんだ。
「はぁー。マジでこの先やっていけんのかな」
この先彼女が来る可能性はほぼ100パーセント。話を聞き、魔法陣も書かれてちゃ逃げることは出来ないだろう。
どうしてあの時、話なんて聞いちゃったんだよ。どうしてあの時、部屋に入れちまったんだ。
溢れ出る後悔。歯を噛み締め感情を抑え込んでいた、その時。
部屋全体に目映い光が溢れだした。視界がホワイトアウトして、何も見えない。
「お、おい! 何なんだよ」
目が見えなくなるという恐怖に押しつぶされそうになりながら、声を上げる。しかしその光も一瞬で消え、視界も元通りになる。
「な、何だったんだ……」
あまりに一瞬の出来事だったために何度か瞬きをして、視界を安定させてからそう呟く。
刹那の取り乱しはあったが、恐るる程ではない。
「久しぶりです」
声が聞こえた。おれ以外誰もいないはずの部屋から声がした。凛とした声で、おれはこの声を知っている。
「まっ、まさか……」
「はーい、そのまさかだと思いますよ? これから三ヶ月の間、よろしくお願いします」
薄紅色の瞳に、ブロンドの髪。そしてトドメに魔女コーデ。間違いない自分で自分を魔女だと言い張る星宮茉莉だ。
「ふざけんなよ、何が三ヶ月だ! 今すぐ帰れ!」
三ヶ月とか長すぎだろう! こんなやつと一緒になんて無理に決まってる。
「そんなこと言われましても……。荷物持ってきちゃいましたし?」
そう言うや否や、彼女は指を鳴らした。途端、魔法陣の上に大量の鞄が出現した。
「おかしいだろ! どうしておれなんだよ! 他にもっとあるだろ?」
彼女は困った様に毛先をくるくるといじりながら、変わらない表情で告げる。
「拓武くんとって、私が決めちゃったので」
「おれの意見は?」
「介入の余地無しです」
彼女はおれに近づき、右腕を掴んだ。咄嗟に振りほどこうとするが、何分おれより力が強いためか、振りほどくことが出来ない。
彼女は表情一つの変えずに、自分の左をおれの右手に重ねる。
「魔女の契。名に誓って、彼永月拓武と交わし給わん」
重ねられた指が、掌が、熱くなる。小さな光を伴い、おれの手と彼女の手は繋がったように感じた。
「はい、これで私たちの契は交わされたよ」
「ち、契?」
「そう。契約のことよ。魔女契約って言うの」
い、嫌な予感しかしねぇ……。
「どんな契約したんだよ」
「私と拓武くんが、三ヶ月一緒に暮らすっていう契約だよ?」
「う、嘘だろ?」
怯えるおれに、彼女はなにが? と言わんばかりに首をちょこん、と傾げる。
「ほんとだよ?」
「逃げることは?」
「不可能かな」
こうして、おれと星宮茉莉という魔女との奇妙な同棲生活が始まるのだ。
* * * *
「とりあえずキッチンに入れんから、荷物片付けろ」
どう考えてもおかしい。どうしておれなんだ。おれじゃなくてもいいだろう。
そんな考えが頭の中をぐるぐる回る。しかし考えたところで状況が一転するわけでもない。契約は交わされ、逃げられない状況になってしまっているのだ。
「はーい」
そうなったならば、もうこの状況に慣れるしかない。そう結論付け、おれはできるだけ彼女と関わらないで三ヶ月を暮らそうと心に決める。
「えっと、どこにおけばいいのかな?」
「そんなもんっ……」
何処にでも置いておけ、そう言おうと彼女を見る。だが、彼女の手の中にあるのは男の部屋では見ることの出来ない代物──ブラジャーだ。しかもこの前見たパンツと類似する真っ白のやつだ。
「なんでそんなもんっ」
「だって必要なんだもん」
知ってるけど、知ってるけど……普通男の前で広げるか?
「服とかの片付けは後でいい。他に何か持ったきた物は?」
彼女はおれの言葉に目を丸くした。分からない言葉でもあったのだろうか。
「服以外に持ってきたもの。無いよ?」
「はぁ!?」
「普通あるだろ!」
娯楽品とかさ、普通はあるよな?
てか、この大量のカバンの中全部服なのかよ。
「あっ」
そう考えていると、彼女が小さな声を漏らした。
「どうした? 何か持ってきてるもの思い出したか?」
「うん」
そういうや彼女は、幾つもあるカバンの中で1番小さなカバンを取り出し、チャックを開ける。
「これ」
そして1枚の封筒を取り出した。
「なんだよ」
「渡してって言われたの」
なんだよ、それ。怪訝気な表情で受け取り、中身を確認する。中身は1枚の手紙と通帳だった。
「なんで通帳なんか……」
何のことか分かっていない彼女は、首を傾げながらおれを見ている。その視線を無視して、おれは通帳を開く。するとそこには、つい先日に入金があったことが示されていた。
「えぇ!? 50万!?」
そんな額見たことがない。慌てて手紙を取り出し、内容を確認する。
───はじめまして。私は魔女之帝。亜人界、魔女種の帝をやっている者だ。突然のことで、驚いているだろう。魔女や世界の在り方。君たち地上界の人々の知らないことだらけで、戸惑っているだろう。しかし、茉莉の言ったことはすべて事実だ。
だが今回そんなことは重要ではない。重要なのは、キミが魔女契約の相手になったと言うことだ。魔女契約の相手になったキミは、三ヶ月間、契約者と一緒に暮らしてもらわんといけない。しかし、ただ暮らすのでは無い。彼女らに、欠落した者を与えながら暮らすのだ。
それが何であるかは、それぞれ違う。産まれた家系、育った環境、様々な要因で失うものは違ってくるからな。
よろしく頼む。その生活費、として三ヶ月間は毎月50万円を送らせてもらう。
立派な魔女にしてやってくれ。どうか。よろしくお願い致します──
「は、はは。こりゃあマジで逃げられねぇーし、やるしかないってことか」
手紙と通帳を交互に見て、大きなため息をつく。
「よしっ、茉莉。とりあえずタンス買いに行くぞ」
こんなわけわかんねぇことに巻き込まれて、ほんと散々だ。でもやるしかねぇ。とっとと、こいつの足りない物教えて帰らせてやるよ、魔女之帝様!
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