魔女契約 〜おれと彼女の同棲生活〜

リョウ

第1話 現れた魔女


「な、なんで……?」

 開いた口が塞がらないとは、こういうことを言うのだろうか。

 家の玄関の前に立つ女性が放った言葉に、掠れたような声で聞き返した。

「何でって、私が気に入ったからかな?」

 在り来りの魔女コスプレをしたような格好の女性は、試すようにおれに言う。

「お邪魔しまーす!」

 そして彼女はおれが反応するより前に、玄関ドアに手をかけ、ぐいっと開けてくる。

 驚きや戸惑い、そんな感情を抱くよりも先に彼女が家に入ってはだめだ、という危機感を覚える。


 男のおれのが力は強いはずだ。開けられまい。

 そう考えたが、それは甘かったらしく一瞬で打ち砕かれる。

 女性とは思えない力で扉を掴むや、おれの対抗など全く無いように扉は開いていく。

 驚きの余り彼女の顔を覗き込んだ。

 彼女は薄紅色の綺麗な瞳で、しっかりとおれを覗き返してくる。それはあまりにも透き通っており、考え、思惑、打算、何もかもを見透かしてくるような畏怖が襲ってきた。

 慌てて目をそらすも、彼女は気にした様子もなくおれの横を通り過ぎる。

 カツ、カツ、とヒールを打ち鳴らしながら玄関を進み、そのまま彼女はフローリングへと足を乗せる。


「おいおいおい!」

 靴を脱がないで他人の家に入ってくる彼女に驚嘆する。しかし彼女は何がおかしいのか、と言わんばかりに小首を傾げた。

「どこの国出身か知らないけど、日本では靴を脱いで家に上がるんだよ。てか、おれの家に入るな」

「そうなんですか? 知らなかったです。勉強不足でした」

 彼女は真珠のように丸い目をより一層に大きく見開きながら、おれに頭を下げる。

 その姿はあまりに優雅で、どこかの令嬢なのかと思わせるほどだ。

 おれはそんな彼女に、一瞬ではあるが見蕩れてしまった。

 な、なんでおれがこんな訳の分からん女に見蕩れるんだ……。


 頭をあげた彼女はニコッと微笑み、履いているヒールを脱ぐためか脚を上げた。

 黒の短いスカートを穿ているという自覚がないのだろうか。彼女は男子が靴の裏を確認するような体勢で、螺旋状に足首に巻かれている紐を解こうする。

 何故そんなものがついているのかは、おれには分からない。だがそれがあるだけで魔女らしさ、というものは増しているような気がする。

 そうなれば、もちろんおれからスカートの奥は丸見えになるのだが……。


 目を……目をそらさなければ……。

 頭の中ではきっちりと理解出来ている。理解は出来ているのだが、やはり彼女の穿く純白のパンツに視線は釘つけになってしまう。

 凝視。そう言っても過言ではないにも関わらず、彼女はおれの視線に気づくことはなく、右足の靴を脱ぎ終えた。

 それからすぐに彼女は左脚を持ち上げ、先ほどと同じ格好をとる。

 元の形に戻ったばかりのスカートは、また持ち上げられ純白のパンツを露出させた。


 勘弁してくれよ……。

 ほんと。なんでこんなことになったんだ……。


 * * * *


 時を遡ること約30分前。

 今日は日曜日。最悪な事に8時半過ぎに起きてしまった。

 高校生になったばかりで、まだこの生活に慣れてないためにおれはゆっくり寝ようと思っていた。

「にも関わらず、こんな早くに起きちまうとは……」

 そう愚痴をこぼしても返事は返ってこない。おれは高校生になり、同時に親元を離れて学校近くのアパートで一人暮らしを始めたのだ。

 最初は家から通え、と言われたが自宅から通う通学時間が長く、その時間すらも勉強に当てたい、と言うことで成績を一定以上残すという条件付きの許可を貰えたのだ。

 広さは一般的な1LDKと相違ない。


 とりあえずベッドから体を起こしテーブルの前に座る。

 テーブルの上に放られたリモコンを手に取り電源ボタンを押すと、映像が映し出される。今日が日曜日の朝ということもあり、子供向けアニメだ。

 別段見たいテレビも、やりたいこともないので、船をこぎながらもそれを流していた。


 どれくらいそのチャンネルが付いていたかは分からないが、どうやらおれは座ったまま眠っていたらしい。

 放送していたはずの子供向けアニメ番組は終わっており、ニュース番組が放送されている。

「寝てた……んだろうな」

 テレビの音だけがこぼれる部屋でそう呟き立ち上がる。そして冷蔵庫を開けストックしているコーラをグラスにいれる。

 しゅわしゅわと炭酸が弾け、泡が浮かぶ。


 今から何しようかな。

 そんなことを脳裏にかすめながら、コーラを一気飲みする。

 そんな時だ。

 おれの家のインターホンが軽快な音を鳴らした。

「こんな朝早くから誰だよ。新聞勧誘とかだったらキレるぞ」

 そう呟いてからインターホン越しにはい、と声を出す。


「あっ、ホントに声聞こえるんだー!」

「な、何ですか?」

 インターホンの前には目をウルウルとさせ、感激しているちょっと普通ではない女性が立っていた。


 一般常識で考えると朝早くから魔女コスした人が家に来るっておかしい……よな?

 ここの辺りは一般的に学園都市と呼ばれる地域で、おれの住んでるアパートだって9割が学生で埋め尽くされている。

「私、来ちゃいました」

 ──頭おかしいやつキター! てか、こんなところ誰かに見られたら……。

 はやる気持ちと話の流れすら読めない唐突な言葉に、言葉を失っていると彼女は楽しげな顔で笑ってみせる。

「えっ、えっと……」

「あなた、永月拓武ながつき-たくむくんだよね?」

 言葉をつまらせるおれに、彼女は躊躇いもなく名前を呼んでくる。表札すら上げていないのに、だ。

 だからこそおれのフルネームを特定することはかなり高難易度だと思う。しかし彼女は違うことなく言い当てた。

「おれ、自分の名前言いましたっけ?」

 不安げな声になりながらもそう紡ぐ。だが彼女は能面でも被っているかのように、表情をぴくりともさせずに、言葉を放つ。


「私、知ってたよ?」

 意味がわからない。それが脳内でぐるぐると回り、なにを発して、なにをすればいいのか分からなくなる。

「ねぇ、開けてもらえないかな?」

 起伏のない言葉がインターフォン越しに響く。声は透き通るように綺麗なものだ。それに整った顔立ちは、やはりどこにいても目を惹くだろう。

「な、なんでだよ」

 動揺を表に出さないように心がけても、どうやら無理があるらしい。

「私は別に良いですけど。拓武くんはそれでいいの?」

 いきなりの名前呼びに焦り、それでいいの、の意味を理解できない。

「ど、どういう意味だよ」

 できる限りで強がってみせる。しかし続く彼女の言葉でそれは脆く崩れ去る。

「こんなところ誰かに見られたら、どう思われるかな?」

 試すように告げられる。だが、彼女の表情に変化はない。ゆえに一瞬では理解にまで追いつかなかったが、理解が追いついたそのとき。背筋に冷や汗が流れた。


 日曜日の朝早く。魔女コスした女子を家に呼んでいる。

 周囲の理解はそうなるだろう。

「ちょっと待てって、それはやばいから」

 慌ててインターフォンの通話状態を切り、玄関の前まで行く。

 ちょっと待て――ここでドアを開けて、あの女が入ったとする。そこを見られたら元も子もない。それに仮に入ったところを見られなくても、出て行くところを見られたら?

 冷えてきた頭が冴え、彼女の思惑に嵌められているのではという考えがよぎる。

 でも、このまま放置するのもな……。


 そう思い、おれはドアの鍵を開け、チェーンロックを解除してから、ドアを少しだけ開けて顔を覗かせる。

「こんにちは! 私は星宮茉莉ほしのみや-まりという名をもらってやってきました」

 弾けるような笑顔だが、それはどこか貼り付けられたように感じ違和感を覚える。

 素のブロンドヘアーは春の陽光に当てられきらきらと輝いている。かぶる漆黒の魔女帽はブロンドの髪に映えておりよく似合っている。

「は、はい」

 一体どんな反応を見せればいいのか。困惑気味のおれを、彼女は薄紅色の瞳で心の中をも見透かすように。

「ところで、なんでそんなにちょっとしか開けてくれないの?」

 魔女コス姿の彼女は疑問という概念が存在しないような能面のような表情で、しかし言葉だけは疑問調子で紡がれる。


 あまりにも強い違和感。おれは彼女が何で、何がしたいのかまるで分からない。

「アンタが怪しいからだよ」

 分からない。何もかもが理解できない。自分の身に何が起きているのか、認識出来ない。

「私のことは、茉莉って呼んで」

 彼女は、そう言うやようやく表情らしい表情を見せた。頬を膨らませ、どこかイジけるような印象を受ける。


「アンタ……じゃなくて。茉莉さんはなんでここに?」

「茉莉さんじゃなくて、茉莉っ!」

 かたくなに呼び捨てを希望する彼女は、先程よりもさらに頬を膨らませ、おれの質問に答える様子も伺えない。

「ま、茉莉……。なんでここにいるんだ?」

 身に襲う羞恥、照れ。頬が熱くなるのをひしひしと感じながら、そう紡ぐと彼女は表情を消して口を開く。

 意図的なのか、そうではないのか。おれには分からないが、彼女の様子は意図しているようには見えなかった。

 言うならば感情というものを制御コントロールされているようだった。


「来たかったから、かな」

 彼女は何の躊躇いもなくそう言い放つと、絵に描いたように与えられたことをこなすように、微笑んで見せた。


 ──そうして冒頭に戻る。


 * * * *


「な、なぁ」

 どこに視線の先を向ければいいのか分からず、おれは俯きながら彼女に声をかける。

「なっ、何っ?」

 ヒールを脱ぐことに少し手間取っているらしく、彼女は鼻息を荒くしながら返事をする。

「み、見えてるから」

「え、拓武くんも見えるの?」

「……も、ってなんだよ」

 一瞬、頷きかけるも言葉の異変に気がつく。

「見えてるんでしょ?」

 パンツが見えている。いや、視線を逸らしてるからはっきりとは見てはいないが……。まぁ、見ようと思えば見える。

「いや、はっきりとは見てないよ?」

「ん? 何言ってるの? はっきり見えるも何も、この流れははっきり見えてる方が怖いよ」

 ようやくヒールが脱げたらしく、コツ、とおれの靴が並べられている玄関にそれが置かれる音がする。

 ほっ、と息を洩らし顔を上げる。

「ねぇ、見えるでしょ?」

「いや、もう見えないけど」

 彼女は目を爛々らんらんとさせながらおれに言う。玄関先でのあの能面のような表情が偽りであるかのように、興奮が見て取れる。


「じゃあ、なんでさっきは見えてたの?」

 本当に分かってないのか……?

 その真剣さがあまりに滑稽で、思わず吹き出してしまいそうになる。

「そ、それは。キミが脚をあげていたから」

「私が脚をあげたら見えるようになるの?」

「ま、まぁ……。物理的にはそうなるかな」

 彼女はおれの言葉を聞くなり、右脚を上げ始める。

「いやいやいや、ど、どうして……」

「え? だってこうすると見えるんでしょ?」

 まぁ、見えるけど……。そうじゃないだろっ!

 大きくかぶりを振り、彼女のパンツを見ないように目を瞑る。

「ちょっ、ちょっと! 目つぶっちゃったら見えないじゃない!」

「ふざけるなよ! どこの国のやつが自分からパンツ見せつけてくるやつがいるんだよ!」

 途端、彼女のうるさいくらいの声が止んだ。

 まるで今までが嘘であったかのように、彼女の声は聞こえなくなり、同時にストン、という音がした。

 その音を聞いておれはようやく目を開ける。


「見たの?」

「いや、その……ちょっとだけ?」

 彼女の声音は恥ずかしさに満ちている。しかし恥ずかしいという感情が欠如しているかの如く、表情は能面のようだ。

「と、ところでキミは何なの?」

「キミじゃないよね?」

 気恥しくなった空気を変えようと、おれが慌てて訊くが彼女は感情が戻ったかのように口先を尖らせ、頬を膨らます。

「ま、茉莉は何なの?」

 まだ名前を呼ぶことに慣れてないのか、自分で自分の声がこもっていることを理解する。

「え、私?」

 表情はまた能面のそれに戻っている。しかし声色だけは驚きに満ちている。

 おれは、そんな彼女を見つめ、頷いてみせる。


「私はね──《魔女》なの」

 予想を遥かに超える彼女の言葉に、おれはただ何も言い返すことができず、ただ呆然としてしまった。

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