6
天と地を震わす、怒号のような咆哮。耳をつんざき、体中に響き渡る。
そっと刀を引き抜き、白刃を夜風に晒す。切っ先を静かに妖狐の鼻頭に突きつける。
「随分長い間待たせたな。でも、ここで終わりにしよう。真白とお前の数百年と、俺との五年間を──!!」
潮風が砂を散らす。碧の髪と、着物の裾が揺れる。
妖狐が再び吠える。九つの巨大な尾が光を放ち、灼熱の炎が生み出された。
炎がうねりを上げて、意志を持つかのように碧に襲いかかる。
剣先が揺れ、碧が動く。疾風のごとく砂を蹴る。空気さえ焼き尽くさんとする灼火の波をくぐり、妖狐へと駆けた。
袴姿というのは動きにくいものと思っていたのだが、存外これが動き易い。物が良いせいなのかもしれないが、風の抵抗を全く感じない。まるで翼が生えたように、身体が前へ前へと突き進む。
妖狐の正面。前脚を振るっての、爪の斬撃が飛んでくる。
瞬時にそれを避ける。消えたと見まごうほどの早さ。死角である首下にもぐりこみ、首元を刀で斬りつける。
金色の毛を裂き、鮮血が散った。妖狐が悲鳴を上げる。
首を返して妖狐が睨む。捕えた碧の身体を引裂かんと、鋭い牙が頭上に迫る。碧は着物をひるがえして後ろに飛び退き、砂地を滑る。妖狐の牙が空を斬った。
直ちに態勢を立て直すと、斬りつけた妖狐の傷がみるみる塞がっていくのが見えた。血は瞬時に凝固し、皮膚が再生され、傷跡一つ残っていない。
「ちっ、超速再生か」
言葉を漏らす碧の元には、既に炎が押し寄せていた。砂浜全てを囲うように、炎の壁が渦を巻く。青色を帯びる業火が立ち上がり、白い砂が黒く焼け焦げていく。しかし、不思議とさほどの熱さを感じない。これも火浣布の衣のおかげなのだろう。
妖狐が跳躍する。全身を使い、その巨体で逃げ場を断たれた碧にのしかかろうとする。
それを炎の壁に背中を沿わせるようにしてなんとかかわす。妖狐の着地と同時に砂塵が舞い上がる。
刀身と爪がぶつかり合って、冷たい金属音を無数に奏でた。
速い。これだけの巨体をもってして、これだけの動きができるということに驚かされる。
妖狐の尾が揺れ、不気味な光を放つ。中空に炎の矢が生み出された。
矢は火炎の球となって、碧を狙う。その数はざっと五十を超えていた。射られた炎が飛翔する。
防ぎきれないと判断した碧は、打ち合っていた妖狐の腕を思い切り蹴り上げ、体勢を崩させた。打ち放たれた炎を着弾する寸瞬の間に見切り、白刃で撃ち落とす。二十一発。残りは捌ききれず、後方に回転しその場を凌ぐ。碧のいた場所に次々と矢が降り注いでほむらが上がる。碧の髪の先がチリと焼け焦げた。
と、燃え盛る火炎の中から妖狐の腕が飛んできた。不意を突かれた碧が防御にすぐに転じるも、真横に薙がれた巨大な腕を、まともに受け止めてしまう。
ものすごい衝撃が碧を打ち付ける。小さな身体がそれに耐えきれるはずもなく、抵抗することも出来ずに、碧の身体が人形のように吹き飛んでいく。炎の壁を突き抜け、海を滑る。二度三度と海面をはじかれた後、長い水しぶきを上げて碧が海に沈む。
だが、すぐに海を打ち上げるような高い水しぶきとともに碧が、跳躍した。
着水とともに、水を蹴り、海面を走る。しぶきが舞い、加速する。
またも幾多の炎の矢が碧を狙う。射られた炎をかいくぐる。
そしてまた跳躍。大きく飛び上がり、空中で刀を構える。
力を込めて、振り下ろす。
「──疾空っ!!]
振り下ろした剣先が風を生んだ。風は凝縮された疾風となって、斬撃へと昇華する。
唸りを上げる、見えない斬撃が妖狐に襲いかかる。
幾重にも叩きつけられる疾風。それは、一閃一閃がその身を一刀両断する必殺の剣。
砂煙が舞い上がり、視界がなくなる。
碧は砂浜に着地し、距離を取って牽制した。
空まで昇る砂塵が未だに消えない。碧の髪から、水が滴り落ちる。
「懐かしいな。あの時もこうしてお前と切り結んだっけ……」
それは真白の記憶。焼け野が原と化した村で、金色の九尾の狐と戦った記憶。黄昏の朱と炎の赤が入り交じる惨状が目に浮かぶ。あの時も、火の海の中で一人、剣を握っていた。
雄叫びが夜空に轟いた。碧の言葉に呼応するように、妖狐が吠えた。
声が聞こえたのは、上空。
碧が夜空を見上げる。
妖狐が天空を駆けていた。紅蓮の炎を身にまとい、闇夜を走る軌跡が光の尾を描く。
月の上で宙返りし、月に吠えるようにまた雄叫びを上げる。
「やっぱり、飛べるのかよ……」
妖狐が碧に目測を定める。九つの尾がたなびき、中空に発生した炎が雨のように降り注ぐ。
碧は走り、松の木に飛んだ。幹を足場に上空へ飛び上がる。妖狐に向かって、一直線に舞いあがる。
妖狐の目が、怪しく光る。威嚇するように大きく開いた口から、炎が吐きだされた。
放射された業火が、飛び勇む碧を飲み込むように空に広がっていく。
碧が刀を持ちかえ、白刃を回転させる。高速で回転させた刃が風を帯びて、炎を吹き飛ばしていく。
吐きだされた業火の海を、碧が進む。そして、剣を打ち込む。
轟音とも呼べる衝撃が走り、刀が牙で受け止められた。
その勢いを殺すことなく身をひるがえし、回転しながら妖狐の背に足を着く。そしてまた空高く舞いあがる。
妖狐の遥か上空から、疾風の斬撃を五月雨のように打ちおろす。
いくつかの斬激が妖狐の身体をかすめるも、致命傷にはほど遠い。妖狐が空を昇る。
頂点に達した碧は、落下する速度を持って妖狐に斬りかかる。しかし、いかんせん身の自由のきかない空中。身体を返した妖狐にいとも簡単にいなされ、碧は地上へと落ちていく。
──打ち合う度に分かる。妖狐の、琥珀の想いが伝わってくる。
母狐が殺された寂しさ、真白に逢った喜び、名前を呼ばれる温かさ、日々の至福。
そして、一人置き去りにされた悲しみ、心が蝕まれていく恐怖、苦しみと、村を襲った憤怒。
「寂しかったろう……琥珀……」
夜空を舞う、妖狐の光を仰ぐ。風切り音が耳を支配する。
落下の最中、碧は身を転じて態勢を整えた。
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