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 観光地となっている天橋立駅は、小さいが小綺麗な造りをしていた。

 駅を出て、活気のある土産物通りへと入る。名産品や菓子、定番の土産を販売する店の他、甘味処や軽食屋が軒を連ねていた。

 駅に着いてからの紫苑は、車内でぐっすり寝ていたせいか、機嫌も直り、いつもの調子を取り戻していた。いつの間に買ったのか、みたらしだんごを頬張りながら歩いている。

 その観光客で賑わう通りを抜けると、いよいよ天橋立に至る。

 天橋立は、宮津市文殊から丹後半島までを海を隔てて繋ぐ砂州の道で、海を別つように伸びるその形状から、天に昇る龍の姿にも例えられる。

 幅数十メートル砂州は、徒歩で渡ることのできるプロムナードになっていて、途中には砂浜もあり、海水浴も楽しめた。左右を見渡す限りの海に挟まれたプロムナードは、まるで海の上を渡り歩いているような、そんな不思議な感覚を与えてくれる。

 今回宿泊する宿は天橋立を渡った先、丹後半島側にあるということだった。

 十分ほどで半島側まで渡れる汽船も出ていたが、せっかくなので、観光がてら歩いて渡ることにした。ただし、荷物は全て碧が持たされた。

 三人で砂利の敷き詰められた道を歩いていく。遊歩道に沿って松並木が続いていた。まぶしい陽射が松の葉を通り抜けて、白い道に夏影を落とす。潮の香が、改めて海のある町に来たのだという実感を促した。

 とんびが空に、大きな輪を描く。汗ばむ肌に、潮を含んだ空気がベタつく。耳をすませば、さざ波のせめぎ合う音が聞こえた。潮風が吹き抜けると光が揺れ、清々しさに身体が包まれた。

 前方に砂浜を見つけた瑠璃が駆けだした。

 走りながら脱いだミュールを手の指に引っかけて、寄せる波に足を晒す。水の冷たさに身体を震わせる。ワンピースの裾を濡れないようにたくし上げ、そのままバシャバシャと、波打ち際で水を蹴って遊び出した。

 足を止め、子供のようにはしゃぐ瑠璃の姿をぼけーっと眺めていると、隣の紫苑が口を開いた。

「碧は、やはりああいうヒラヒラした洋服が……その、かわいいと思うか?」

「へ?」

 思わず呆けたような顔で紫苑を振り返る。

「今の若い者は、ああいった露出の多いものが好きなんじゃろ? もえぎの買っておる雑誌にも、そういうのばかり載っておった」

「はあ……」

「わしも、ヒラヒラした洋服にすれば良かったかのお。これでは水にも入れん」

 紅い袴の裾をつまみ上げ、紫苑はなにかはにかんだように、上目づかいに碧の表情を窺う。

 碧の背筋に寒気が走った。

 なんだこれは? おかしい。服を着るのも面倒くさいと言っていた、万年巫女装束姿の紫苑が服装を気にかけるなんて……。ましてやヒラヒラの洋服を着ようだなんて、もはや天変地異だろ。なにか悪いものでも食ったのか、それともまだ寝ぼけているのか……。

「……ワンピースだと、刀を差すところがないですよ?」

 引きつった表情で碧が言うと、紫苑はふくれっ面になった。そうとう気に食わなかったのか、キッと碧のことを睨みつける。

「お主、意地の悪いことを言うようになったのお。そんなことを言っておると、わしの寝てる間にいたずらしたことをばらすぞ」

「なっ!?」

 碧が思わず言葉を詰まらせる。

「わしの寝顔は、つい魔が差してしまうほど愛らしかったかの?」

「……憎たらしい」

 勝ち誇ったように、あごをしゃくり上げる紫苑に、碧はぼそりと声を漏らす。

「なにか言ったか? エロガキ」

「誤解を生むような言い方は止めてください。頬をちょっとつねっただけじゃないですか」

「ふんっ、間違ってはおらんじゃろ。頬をつままれるなど、もえぎが赤子の時以来じゃったぞ。まったく命知らずよのお。……で、瑠璃には一体どんないたずらをしたんじゃ? この外道丸が」

「……してない」

「お主、最近わしに対する物言いがちと冷たくはないか?」

「かわいさ余って憎さ百倍ってところですかね」

「なんじゃそれは。しかし嬉しないのう。そんなんじゃから、彼女の一人もできんのじゃぞ」

「余計なお世話です」

「…………」

「…………」

 そんな碧と紫苑のやり取りなど露知らず、瑠璃は波と戯れる。

 水平線の果てで空と海の青が入り交じる。光を受けた水面がハレーションを起こすほどに白く輝き、目がくらむ。肩口の開いたワンピースで夏空の日差しを浴びる瑠璃の、その白い肌が日に焼けてしまうのではないかと、碧は他人事ながら心配になった。

 瑠璃の細い足首が澄んだ海に透ける。波にさらわれるのを楽しむように、白い渚をつま先で歩いていく。微笑む瑠璃の姿が、夏影に溶け込むようにまぶしく見えた。

「……瑠璃には、手を出させんからな」

「…………」

「もえぎと千草もだめじゃぞ」

「…………」

 ボーっと瑠璃の姿を眺めながら、紫苑の言葉を聞き流す。

 瑠璃が大きく手を振った。碧と紫苑を呼んでいる。

 碧がふらりと、意図せぬように砂浜に向かう。

「ちょっと待て。聞いておるのか?」

 紫苑のそんな声を背中に受けながらも、抱えていた荷物を砂浜に放り、走り出す。

「ちょっと……こ、こら。置いてくでない!」

 焦った紫苑が、碧の後を追う。

 刀を外し、放られた荷物の上に投げ置く。草履を脱ぎ捨て、砂浜を駆ける。

 水が光る。

 はまなすの白が、涼風に吹かれ揺れていた。

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