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 ──天橋立を知っておるか?

 丹後にある砂州でな、日本三景として有名な場所じゃ。

 碧、お主にはそこで妖狐と戦ってもらう。

 天橋立は天に渡る橋と言われておって、事実、あそこは強い力が集まる場所であり、異界への道が通じておる。

 満月の夜、わしらがその異界への道を開く。まあ、有体に言えば魔界の門を開くと言ったところじゃな。そして、妖狐をこちらの世界に引っ張り出す。

 お主は難しいことは考えずとも良い。妖狐と向き合い、戦うことだけを考えよ。全てはわしらが手筈しておいてやる。

 数百年の長き想いに終止符を打つのじゃ、存分に暴れて来るが良い。



 翌朝、蝉たちのまだ起き出す前に碧たちは鬼鎮神社を発った。

 碧と瑠璃、そして今回同行する紫苑の三人でもえぎの運転する車に乗り込む。普段起きることのない早い時間の出発である紫苑は、なにか半分寝ているようにうつらうつらとしていたが、腰には本殿に飾ってあった、茶褐色の日本刀が差してあった。

「いってらっしゃいませ」と深々と頭を下げる千草を残し、車が発進する。

 揺れる山道に、寝ぼけ眼の紫苑が不機嫌そうに口を尖らせていた。

 駅に到着し、車を降り、紫苑を引っ張りだす。

「碧くん、帰ってきたらお姉さんがたくさん抱きしめてあげるからね!」

「あはは、楽しみにしてます」

 いつもの調子で軽口を叩くもえぎに、碧は笑って答える。

「じゃあ、がんばってよね」

 もえぎに見送られて、三人は駅の改札をくぐった。

 京都駅から天橋立までは、特急でも約二時間はかかる。天橋立行きの電車のホームは、京都駅の端にあって、知らない者ならば思わず迷ってしまいそうな奥まった場所だった。

 瑠璃は一度も行ったことがないようで、道に疎くて全く役に立たない。紫苑にいたっては未だ眠気が抜けないらしく、仏頂面で口すらも開かない。昨日、千草に行き方を確認しておいて正解だったと碧は安堵した。

 しかし、巫女装束に刀を腰に携えた紫苑の姿は、異常なほどに人目を引いていた。というか、その姿自体が異常だった。一度、刀をしまうように言ってみたが、年甲斐もなく子供のようにいやいやをして、頑として刀を手放そうとはしなかった。まったく幾つになるんだよと、心の中で悪態をついたが、これ以上言っても聞きそうになかったので、碧は仕方なく諦めて、極力気にしないことにした。

 電車の席に着くと、ほどなくして電車が動き出した。

 碧がホッと息をつく。後は乗っているだけで目的地に到着する。

 電車に乗るだけで随分と疲れてしまった。千草と一緒の時とは大違いだった。



 四両編成の短い列車が夏空の下を進む。車窓はすぐに京都の町並みから、田園風景へと変わっていった。濃緑の深い、山の稜線が四方を囲む。青く澄みきった空に、入道雲が浮かんでいた。

 渓谷と山々を抜け、都会からどんどん遠ざかっていく。やがて、過ぎる駅も小さな駅舎のようなものになっていき、行き交う人々も少なくなっていった。山と森の、代わり映えしない景色が続く。

 紫苑は列車に乗った直後から寝こけていた。瑠璃もいつの間にか寝息を立てている。二人が並んで船をこいでいる姿はなにか微笑ましくあった。まるで子猫のような寝顔ですやすやと眠る紫苑、その面影にはどこか少女のような、儚いかわいらしさを覚えた。

「これで刀がなかったらいいんだけどな」

 紫苑が胸にさぞ大事そうに抱く日本刀を眺めながら、碧は苦笑気味に言葉を漏らす。

 しかしよく寝ている。この姿を見たら、この人が神社一社を仕切る、日本でも有数の霊能力者だと言っても誰も信じる者はいないだろう。せいぜいがバイトの巫女さんである。

 もしかしてこれ、熟睡しててなにしても起きねえんじゃね? と、そんなことがふと頭をよぎると同時に、碧の手が恐る恐る紫苑の顔に伸びた。

 頬をつつく。プニプニと柔らかい、しかし弾力のある感触が指先に伝わる。

 紫苑は不快そうに顔をしかめるものの、起きる気配は全くない。

 これは面白いとほくそ笑んだ碧は、日頃ボロクソに言われている恨みとばかりに、紫苑の頬を指でつまみ、つねってやった。

 なにか短いうめき声を上げ、苦悶の表情を浮かべるが、紫苑はそれでも夢の中。調子に乗った碧が、笑いを堪えながら頬を引っ張る。ムニムニと、円を描くように紫苑の頬をいじくり回す。

 と、思い切り噛みつかれた。

「いってぇ!」

 噛みついた紫苑が亀のように離れない。手をブンブンと振り、やっと口から引き抜いた指先には、くっきりと歯型が刻まれていた。

 指先をさすりながら恨めし気に紫苑をみるが、紫苑は何事もなったかのように、安らかな寝息を立てている。碧は、もう決して余計なことはするまいと心に決め、座席に座りなおした。

 退屈そうに窓枠に肘をつき、ふと外を眺めると、電車が海の上を走っていた。

 果てのない海が車窓に広がっていた。青い真夏の空に、白い入道雲が水平線の先からわき上がる。日差しを受けて、水面がキラキラと乱反射して輝いていた。

 海の上を滑るように、列車が走っていく。水面に影を落とし、どこまでも海を渡り、どこまでも遠くへ走っていくように思えた。

 思わず、碧の胸が高鳴った。現実にあり得るようなことではない、海を列車が走っていくという現実。

 しかしそれは、正確に言えば海の浅瀬に架けられた橋の上を走っていく列車からの光景。すぐに岸に上がり、また森の中へと列車は入っていってしまう。

 この感動を誰かと共有したいと思い、碧が口を開くが、連れの二人はいかんせん夢の中。感嘆の言葉を声にせずにそのまま飲み込み、碧はまた、つまらなさそうに山ばかりが続く車窓に目を戻した。

 そして、目的地に至る。

 そこは、海沿いの小さな町。

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