7

 テーマパーク駅前。辺りは昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 街灯が道を照らすも、人通りは皆無。並ぶキャラクターショップもレストランも皆、店は閉まり、明かりの灯る店舗は一つとしてなかった。昼間の賑わいを思えばこそ、その寂しさはひと際に不気味さを醸し出す。

 そこへ、薄気味の悪い不快な笑い声が、地響きとともに近づいてくる。それは正確には笑い声と言って正しいのか分からない。人間とは違う声音をけたたましく響かせた、ぞっとするような狂った叫び。それがこちらへと、近づいてきている。

「ぎぃやはははははははははははははははははははははっ!!」

 それは青黒い濁った水が球状に固まったような姿。直径三メートルにもなるその身体には無数の人の顔が刻まれている。

 巨体を地面に打ち付け、ボールのように大きくバウンドしながら進んでいく。

 地面をバウンドする度に地響きが鳴る。禍々しい無数の顔が歪む。不協和音のような雄叫びを上げながら、踊り狂うように進み行く怨霊。

 その後方、二十メートルほどから瑠璃が必死に怨霊の姿を追っていた。

 速い。怨霊はその姿からは想像できないほどに素早い動きを見せていた。瑠璃は走って追いかけるのがやっとで、もう息も絶え絶えだった。

 怨霊が瑠璃をあざ笑うかのように、トーンを一つ上げて笑いだす。身体を回転させ、さらに跳躍。

 そして立ち並ぶ建物の一つ、突き出した看板へとぶつかっていく。看板にかたどられたキャラクター、青いゴリラの看板が怨霊の体当たりを受けて大破した。壊れた破片を舞い散らせながら看板が吹き飛んでいく。

「あーっ、壊したー!!」

 瑠璃が叫ぶ。まるで瑠璃をおちょくるように逃げ回る怨霊。一つまた大きく跳躍し、瑠璃との距離を広める。

「もー、許さないんだからあ!」

 駅前のショップ街を抜け、テーマパークのエントランス前、大きな石畳の広場に出る。端には地球を模した大きなオブジェが鎮座していた。

 瑠璃は懐に手を入れ護符を取り出す。その数三枚。

 取り出した護符を構えるように指先で広げる。そして意識を集中、念を込める。

「光よ! 彼の者を捕えよ!!」

 叫ぶと同時に、護符を跳躍する怨霊めがけて投げ払う。

 放たれた護符が、光をまといて怨霊に向かって一直線に飛んでいく。すぐさま怨霊に追いつくと、護符は三方に弾けて地面に着地。光の柱を上げ、瞬時に光の線が護符同士を繋ぐと、怨霊を囲う光のトライアングルを作りだした。

 怨霊の動きが止まる。

 さらに取り出した護符を、念を込めて放つ。同じように飛んでいく護符は、今度は怨霊の頭上に位置を留めた。同じように光を放ち、線を繋ぐ。

 光の線で紡ぎだされた、三角錐の捕縛壁が怨霊を捕え、その動きを封じた。

 それでもう、完全に怨霊が沈黙する。……はずだった。しかし、動きを封じたはずの怨霊がすぐさま暴れ出す。

「え? うそ……」

 怨霊がまた、狂ったような笑い声を上げながら光の捕縛壁を破ろうとする。身体を打ち当てて、壁を破壊しようとする。強烈な衝撃が瑠璃にまで届いた。

 瑠璃が慌てて力を込める。護符の光が増し、頂点が押し下がり、怨霊が身動きできないように、身体を押しつぶしてく。

 しかし、怨霊は決して動きを止めようとはしない、地に押しつけられながらも身体をよじり、捕縛壁を破ろうとする。

 ──あまり長い間は、抑えていられない。

 瑠璃の顔に焦燥が浮かぶ。

 そして、怨霊が激昂した。

 押しつぶされながらも叫んだ声は、もはや笑い声でも悲鳴でもなんでもなく、それはただの不快な音の共鳴だった。

 壁に押しつぶされた個所から、青い液体が流れ出す。身体に浮かんだ顔が歪み、言うに言われぬ恐ろしい形相に変わっていく。

 支柱となる護符が緩み、ガタガタと揺れ出した。

「ムリムリムリムリ、私の力じゃもう無理いいいい!! っていうか、怖いよ~っ!!」

 瑠璃が恐怖に怯えて叫び出す。目には涙が浮かび始めていた。

 必死に力を込めるが、いつ壁を破壊されるか分からない。

 と、そこへ装着していた小型ヘッドフォンに千草から通信が入った。

「瑠璃、もう少しだけ頑張って。絶対にそこから逃がさないでください」

「そんなこと言われたってーっ! 無理なモノは無理なんだってばー!!」

「もう少しだけ耐えて! 今逃がしたら、確実にあなたに向かって襲いかかってきます」

「それは、もっと無理いいいいい!!」

 瑠璃の叫びに呼応するように護符がさらに光を放つ。ギリギリとまた怨霊が押しつぶされていく。

 しかし、怨霊はその動きを止めない。振動するように動き、なんとか逃れようとする。

 激しい動きを繰り返す怨霊。徐々に頂点の護符が押し上げられていく。

 瑠璃が歯を食いしばる。しかし、それを上回る力で怨霊が捕縛壁を跳ねあげる。

 怨霊が瑠璃の顔を舐めるように捕える。護符がガタガタと振動し、光の壁がきしむ。射ほどを完全に瑠璃に絞り、狙う禍々しい怨霊の形相。

 ──もう、限界……

 壁が破られる。そう、諦めた瞬間だった。

「──よくやった、交代だ!」

 風が、瑠璃の横を通り抜けた。

 もの凄いスピードで風をまとった影が瑠璃を追い越し、跳躍。遥か怨霊の上空高くに舞い上がった。

「碧くん!!」

 瑠璃が歓喜の声を上げる。

 そのとたん護符の光が消え、捕縛壁が消滅する。瑠璃がへなへなと座り込んだ。

 そして、解放された怨霊が一気に飛び上がる。碧の待つ上空へと。

 対空。

 待ち受けた碧が、上空に跳ねあがった怨霊に対し、身体を回転、かかと落としを叩きこむ。球体状の身体にかかとが鋭くめり込み、あり得ないほどに形が変形た。そして怨霊が放たれた弾丸のように地に墜落していく。

 着弾。地響きは爆発となって辺りを振動させ、石畳の地面を穿つ。

 怨霊に遅れて着地する碧。着弾の砂煙も消えないままに、怨霊の元へと突っ込んでいく。

 砂煙の中、弾け飛んだ青黒い液体を吸収し、球体を復元していく怨霊に向かい、拳を伸ばす。下方向から打ち上げるアッパーカット。怨霊の下部に大きくめり込み、三メートルを超える巨体が浮き上がった。

 続けざまに拳を叩きこむ。左手には日本刀が握られている。それでも、拳の威力は落ちることなく、怨霊の身体を持ち上げていく。潜り込むように怨霊の下へ移動、掌底を打ち上げる。そして、身体を反転。倒立するように片手をつき、渾身の力で怨霊を蹴りあげた。

 花火のように打ちあがっていく怨霊が低いうめき声を漏らす。身体に浮き出た無数の目で、地上を見る。碧の姿を捕えようとする。しかし、そこには碧の姿はなかった。

 消えた碧を探して、全方位に位置する目が忙しなく動き回る。

 ……碧は、頭上にいた。その姿を怨霊の目が捕えた時、碧は両の指を絡めるように握った手を、大きく頭の上に振りかぶっていた。そして、それを怨霊めがけて容赦なく振り下ろす。

 怨霊は成す術もなく、またも地面に急降下していく。

 爆発音とともに、砂煙が舞い上がった。

 碧がゆっくりと地に足をつける。遅れて、先ほどさらに上空に放り投げておいた刀が舞い降り、静かに碧の手に収まった。

 息を落ち着ける。煙幕のように立ち上る砂煙で視界が遮断され、怨霊の姿が視認できない。まだ致命傷は与えていない。窺うように砂塵の奥を碧が見据える。と、その中から急に青い流体状の槍が襲いかかった。まるで蛇のようなその槍は、木の幹ほどの太さでもって碧へと一瞬で迫る。まばたきする間もなく、碧の身体を射抜く。

 だが、それを碧は半歩。ただ半身を返すだけの動作で、避けた。鼻先を、かするように青黒い槍が過ぎていく。風圧が碧の髪を揺らす。

 そして、その風圧をまとった豪速の槍を、碧は片手で無造作に掴む。碧が掴み取った瞬間、怨霊の放った槍の動きがピタリと止まる。そのまま腕に巻き込むように槍を固定。担ぎ上げるように、怨霊の本体もろとも空中に振り上げた。まるで重力を失ったように怨霊の身体が宙に浮く。大きな弧を描き、地に叩きつけられる。またも爆音。

 そして二度、三度と続けざまに左右に叩きつける。

 その時、通信が入った。千草からだ。

「碧、こちらの準備が完了しました。怨霊を、動けないようにしてください」

「了……解!」

 言って、怨霊の身体の一部であるその槍を、本体もろとも空中に放り投げた。みるみる怨霊の姿が遠く空に昇っていく。追って、碧が地面を蹴る。暗闇の空へと急上昇。昇る怨霊を追い抜いて、頂点へと達する。

 鞘から刀身を引き抜く。白刃が月光を反射し、きらめいた。

 怨霊が碧を追うように、頂点へと達する。そのタイミングを狙うように、碧は手の内を返して刀を逆刃に構えて振りかぶる。そして、峰打ちに構えた刀で、怨霊を渾身の力で叩き落とした。

 怨霊が地面に叩きつけられる。つぶれたような音と叫びがこだました。

 さらに碧は、上空で瞬時に刀を逆手に持ちかえた。大きく身体を反らせて振りかぶる。それはまるで、投てき。投槍でも持つような構え。反り返らせた身体をバネにして、地にひれ伏した怨霊めがけ、白銀く輝く刀を投げ射った。

「悪く……思うなよ!」

 放たれた刀は矢のごとく、はやてのごとく怨霊に迫る。そしてその身体をいとも簡単に射抜き、地面へと串刺した。

「ぎいやあああああああああああああああああああっ!!」

 再三の怨霊の悲鳴が耳を切る。怨霊が暴れまわるが、簡単には動けない。身体を貫通した刀の刃が、深々と地面に突き刺さっていた。

 碧は刀を投げた反動を利用し、広場の端、入口付近へと着地した。

 怨霊の叫びが止まらない。

 さきの事があったばかりの碧に、その叫びは胸をえぐるような痛みを与えた。もがくように這いつくばる怨霊の姿に、思わず目を逸らしてしまいそうになる。しかし、もう迷わない。惑ったりしない。千草が教えてくれた。自分たちは、苦しみに飲みこまれた者たちを救えるのだと。

 だから、決して目を背けたりしない。


 ──シャン

 ──シャン


 鈴の音が聞こえた。

 その刹那、串刺しにされた怨霊の周りに五角形に光の柱が浮かび上がる。真っ白な、しかし、とても温かな光が音もなく浮き立つ。


 ──シャン

 ──シャン


 光の柱を起点に、大地を滑るように光の線が伸びていく。その光は互いの柱を結びあい、やがて五芒星を描く。そして、最後に大きな円を結んで陣と成す。

 怨霊を中心に、五芒星の陣が完成した。

 陣に光が溢れ、叫ぶ怨霊を、その場の全てを包み込んでいく。


 ──シャン

 ──シャン


 千草が、姿を見せた。

 巫女装束の上に、神楽を舞う時に着用する、千早と呼ばれる純白の羽織物をまとい、手には柄と長い五色の布を付けた房鈴──神楽鈴を掲げていた。

 その姿はまさに神の使い。ともすれば、天女にも見えた。


 ──シャン

 ──シャン


 ゆっくりと、陣の中へ足を踏み入れていく千草。

 やがて怯えた獣が懐くように、怨霊の叫びが止んでいく。

 光の中で、千草が舞う。鈴の音が鳴り響く。どこからともなく、囃子音の聞こえてくるような気がした。

 蛍のような青白い光が、ゆっくりと、空に昇り始める。


 ──シャン

 ──シャン


 無数の青いほのかな光が、まるで花開くように、陣に満ちて溢れる。

 怨霊が、消えていく。

 憎しみが、怒りが、悲しみが。青い光の欠けらとなって、浄化していく。

 全てが柔らかな光に包まれていく。

 怨念が、穏やかに鎮まっていく。


 ──シャン

 ──シャン


 透き通るような千草の肌が月光を浴び、神秘的な美しさを印象する。

 闇に溶けるような長い黒髪が夜風になびき、光に陰影を与える。

 細い指がくうを舞い、月明かりをそっとなぞる。

 光の中で舞う千草の姿はまるで、月下の花畑を舞う、白銀の月光蝶のようだった。

「千草さんが浄化する時の魂魄が、一番きれいな光を放つんだよ」

 いつの間にか、後ろに立っていた瑠璃が言った。

 思わず見とれてしまっていた。

 怨霊が消える……それはもはや怨霊ではない。福音を受けた魂。救われた、まっさらな魂魄となって光に還っていく。

 青い光の欠けらが夜空に立ち昇る。夜の闇に吸い込まれるように消えていく。

 どこか冷たそうな、日向に影を落としたような女性。それが千草に対する碧の第一印象だった。しかし、それは大きな間違いだった。

 彼女は、神の祝福を受けた、巫女。

 千草は舞い続ける。自分の過去や境遇を乗り越えて、誰がために耳を傾け、誰がために救いの祈りを捧げ続けるのか──


 ──シャン


 最後にひと際まばゆい光が辺りを包んだ。ふわりと、広がるように青い光が消えていく。

 怨霊の魂魄は、もうそこにはなかった。

 月を仰ぐ千草の頬に、一筋の涙が光を湛えていた。



 光の陣も怨霊も、あの叫びと悲鳴さえも、全てが夜の闇に還っていった。

 千草はその余韻を残すまま、いまだに月を仰ぎ続けている。

 終わった。

 静かな夜が戻って来る。

 いまだに夢を見ているようで、立ちつくしたままの足を上手く運ぶ自身がなかった。

「終わったね」

 瑠璃がつぶやくように言った。

「浄化って……怨霊の魂も、あんなにきれいな光になって還っていくんだな」

「魂っていうのは、もともとはみんなきれいな色をしているんだよ。ただそれが、苦しみや恐れに蝕まれて色を変えてしまうだけ。その苦しみを取り除いてあげるのが、浄化なの」

 魂は、皆同じ。好んで人を憎む者なんていない……

 狐面は、どうだったのだろう? 今まで自分が葬っていった、数えきれない狐面達。

 彼らの苦しみを、自分は取り除いてあげられていたのだろうか? それとも苦しみのままに、その魂を消滅させてしまっていたのだろうか?

 答えなんて、火を見るよりも明らかだった。

 どんなに力を得ても、妖狐と戦うだけの力があったとしても、俺は弱い……

 碧は、千草の姿を眺めた。苦しみの渦に沈む魂のために、涙を流す千草の姿を。

 倒すためではない。憎しみと、苦しみの輪廻を断ち切るための戦い。

 やがて、千草がこちらに歩いて来る。

 表情はいつもの落ち着いた様子に戻り、涙のあとも消えていた

「碧、瑠璃、お疲れ様でした。これで依頼は完了です」

「千草さん、すごいきれいだったよ」

 目を輝かせる瑠璃に、千草は「ありがとう」と素直に答えた。

「明朝、依頼主に報告に行きますので、夕方には京都に帰れると思います。今日はもう、海岸に置いてきた機材を片付けて、ホテルに戻りましょう」

「は~い」と返事をして、瑠璃が踵を返して歩きだす。瑠璃を追うように、碧も歩きだすが、そこで不意に服の裾をくいと引かれた。

 何事かと思い振り返ると、千草がなにか言いにくそうに、もじもじと千早の結び目をいじっていた。

「あの……ごめんなさい。本当は抜いてこようと思っていたのですが……」

「え、なにをですか?」

「あれ……」

 おずおずと千草が指を差した先には、深々と刀身を地面に突き刺したままの刀が、寂しく置いてきぼりになっていた。

 見れば当然だが、手に持った鞘には刀身がお留守の状態だった。

「おあっ、完全に忘れてた!」

「私の力じゃ全然抜けなくって……すみません」

 もしこんなところに忘れてなんて行ったら、紫苑に大目玉を食らう。

 申し訳なさそうに肩を落とす千草に笑顔を残し、碧は刀の回収にいそいそと駆けだした。

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