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 碧、千草、瑠璃の三人は市の職員の男に連れられ、現場へとやってきた。先ほどまでいたホテルからここまで五分とかからなかった。

 海岸沿いの広場は、神戸や横浜を思わせる洒落た造りの場所だった。海岸から扇状に広がった広場には茶褐色とクリーム色のレンガが敷き詰めており、海に向かって低くなっていて、短い階段が形状にそって幾つも並んでいた。洋風の街灯が並び、観光船用の船着き場もあった。

 しかし、この広場に近づいてから身体にまとわりつくような嫌な雰囲気がどうしても拭えない。心に重石を置かれたような沈み込む感覚。切なさで身を切り刻まれるような不安と、大勢から監視されているような恐怖。狐面とはまた違った禍々しい力を感じる。真夏だというのに、全身に鳥肌が立って止まらない。

「私……ここ、恐い」

 瑠璃が肩を抱きながら、凍えるように震えた声で言った。

 千草は無言で広場のちょうど真ん中あたり、海との境まで歩くと膝をつき、足元のレンガを手のひらで撫でるようにして何かを確かめだした。

 碧が後を追うように千草の元へ行くと、千草はゆっくりと立ち上がり、袴に付いた砂を払った。

「碧、分かりますか? この場所には強い地脈が通っています」

「地脈?」

「地中に流れるエネルギー、気の流れのようなものです。この場所にはそれが強く感じられます。地脈の上では、人も自然も霊も少なからず影響を受けます。その力をどのような方向に増長させ、取り入れるかは受け手しだい。この場所では過去、不幸な事故が立て続けに起こった。それによって残った強い思念が地脈の力で増強され、この様な怨霊を生むこととなったのでしょう」

「──あのう……いかがでしょうか?」

 職員の男がやってきて、窺うように控えめに聞く。

 霊感や力のない人間には、この場の異様な雰囲気も禍々しさも全く感じないのだろう。男にとっては現在の事象は信じざるを得ない状況ではあっても、やはり霊の存在のこととなると半信半疑。下手なことを言って気分を害されるのも困るが、一体なにをやっているのかも分からない。自分自身どういう態度を取っていいのか分からず、結局こんなオカルトの霊能者に頼るしかなかったのだ。まるで腫れものにでも触れるような心境なのだろう。

「確かに、この場所には霊の痕跡があります。かなり強い怨念の塊となっているようです」

「なんとか、対処して頂くことは可能でしょうか?」

 男の使った『対処』という言葉に碧は強い違和感を感じ、それと同時にひどく事務的であると思った。この男にとって、やはり霊というものは他人事でしかないのだ。自分はその当事者ではなく、見ることも感じることすら出来ない。実感が沸かないというのは、それはいたしかたない。しかし、狐面という怪奇に日々命を脅かされている碧にとって、また、この怨霊に襲われ命を奪われた人たちにとって、それは、ひどく辛辣な言葉なように思えてならなかった。

「可能です」

 千草は短く、しかしはっきりとそう答える。本来の事情も理解していないであろう男の顔に安堵の表情が灯る。

「……しかし、今夜は現れないでしょう」

 空を仰ぎながら千草が続ける。

「分かるのですか?」

「今日は曇り、月は隠れてしまいます。地脈の流れも弱くなっているようですし、我々がここに来たという理由もあります。警戒し、今夜は姿を見せない確率が高い」

 空は曇天。雨が降るような気配はなかったが、厚い白濁した雲が一面に広がり、太陽の光は遮られ、辺りは昼間にしてはやや薄暗かった。

「はあ、そうですか」と男はいまいち煮え切らない、あいまいな返事をするが、千草が「明日の晩は現れるはずです。そこで浄化の儀式を行います」と言うと、一寸考えてから、なんとか納得したように「分かりました」と答えた。

 男との話が終わるころには、この場の禍々しい雰囲気にもなんとか慣れ、両腕に逆立った鳥肌も収まって来ていた。

 千草と男との話の最中から、なにかもじもじとしていた瑠璃が、意を決したように口を開く。

「ねえ、それじゃあお仕事は明日の夜ってことになるんでしょ? だったら明日の昼間、遊びに行っちゃダメかなあ?」

 首をすくめてそわそわとしながら、まるで小動物のような挙動でチラチラとテーマパークの方を窺いながら瑠璃は言う。

「おお、そうでしたな!」

 瑠璃の言わんとするところをいち早く察した男が、虚を突かれたような声を上げる。

「せっかくこんなところまでいらして下さったんだ。チケットはこちらで手配しておきましょう」

 男はかっぷくの良い腹を突き出してガハハと笑った。瑠璃は「やったー!」と飛び上がり、碧の腕を掴む。

「よかったね伏見くん、明日は遊園地だよ!」

 ぴょんぴょん飛び跳ねながら、碧の腕をブンブンと振る。なんで俺が行きたがってたみたいになってるんだ? 碧は無実であるにも拘らず、一方的に事に巻き込まれたようで不服の表情を浮かべる。しかし喜びに舞い上がる瑠璃は、そんな碧の無言の抗議に気づく由もなかった。



「よく聞け! ここをキャンプ地とする!!」

 瑠璃は訳の分からないことを口走りながら、ベッドにダイブした。

 あれから市の職員の男と別れた碧たちはホテルに戻り、クロークに預けていた荷物を受け取ると、予約してあった部屋へと向かった。

 ベッドに勢いよく飛び込んだ瑠璃の身体がスプリングでバウンドを繰り返す。

 部屋は小綺麗なツインルームだった。広さはそれほどないものの、アメニティは十分にそろっていて、調度品の隅々に至るまでこだわりが見受けられる、高級感漂う一室だった。

 女性二人の荷物を持っていた碧が、カーペットの床に荷物を下ろす。地上二十二階、窓から見える景色はなかなかのもので、大阪市街のビル群も遠くに見渡せた。ここの宿泊費も依頼人持ちだというのだから驚きである。人の金で随分な贅沢をしているようで、碧はやや後ろめいた気持になった。貧乏症の性である。もちろん碧の部屋は、女性陣とは別にもう一室用意してあった。

「ところで千草さん、明日ホントに遊びに行っちゃっていいんですか? 一応こっちは仕事で来てる訳だし、あまり不謹慎なことをするとまずいんじゃ……」

 碧が尋ねると、ベッドに寝そべっていた瑠璃が「ブウ」といって口を尖らせた。自分が楽しみにしていたテーマパークに行くことに否定的な碧の言葉が気に入らなかったのだろう。

「いえ、特に問題ないでしょう。さきほど現場を訪れて、怨霊の力のほども知れました。あのほど度の相手であれば紫苑様も言っていた通り、さほど問題なく事を運べるかと……」

 淡々と答える千草の言葉に、瑠璃の顔には笑顔が浮かぶ。

「それに今回は碧、あなたの息抜きも兼ねるようにと紫苑様から仰せつかっています。明日の夜に影響しないほど度になら、羽を伸ばすのも悪くないと思いますよ」

 羽を伸ばすか。

 正直、あんまり人の多い所に行くと逆に気疲れするんだけどな。碧は今日見た駅前の人ごみを思い返すと、今からうんざりしてきた。

 しかしどこから手に入れたのか、テーマパークのパンフレット片手に予定を立て始める気の早い瑠璃を前に、碧は明日のげんなりするような暑さと人出を想像しながらも、閉口せざるを得ないのであった。

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