4

 瑠璃の元に碧が戻って来る。

 刀は既に鞘に納められていた。

「伏見……君?」

 おどおどと声をかける瑠璃に碧は、「悪かったな……」とばつが悪そうに頭を掻く。

「心配かけた……それに、また格好悪いところ見せちゃったな」

 肩をすくめ、困ったように笑って見せた。

 そのとたん、腰が抜けたようにヘナヘナと瑠璃がその場に座り込む。緊張の糸が切れたのだろう、嗚咽を漏らし、顔をくしゃくしゃにして泣きだしてしまう。さっきあれだけ泣き叫んでいたというのに、溢れる涙は止まらず、しまいには声をあげて子供のように泣きじゃくる。

「恐かったよー、伏見くん、死んじゃうんじゃないかって思って……狐面も恐いし、気持ち悪いし、どうしていいか分かんなくて……うううぅ」

「悪かった。悪かったってば」

 碧が慌ててなだめに入る。なにを謝っているのか分からなかったが、とっさにでたのがその言葉だった。

「もっと早く助けてよ! もうダメかと思ったよおおっ……」

「もう、だいじょぶだから。もう、終わったから」

「でも、伏見くんが無事でよかった。伏見くんが恐くなってなくてよかった……」

 一通り泣き終えたのか、瑠璃は声を引きつらせながら、ぐしぐしと目をこする。

「俺は、俺だよ。なんにも変わらない」

「だって、急に風が吹いて、地面が光って、雷みたいな音がして……目を開けたら伏見くんが全然違う人みたいで、恐かったんだもん。すごく恐かったんだから」

 そこまで恐い恐い言われると少々傷つくんだが……。碧は、それから瑠璃が落ち着くのを待って、座り込んだままの瑠璃に手を差し出した。

「さあ、帰ろう。今日はさすがに疲れたよ。腹も減ったし、早く千草さんのご飯が食べたい」

 差し出された手を素直に握り、瑠璃が立ち上がる。

「今日は、ありがとうな」

「うん」と、碧の言葉にやや嗚咽の残る声で瑠璃は答えた。

 最後に碧は振り返る。見つめる先には、首塚とその社があった。

「お前も、ありがとうな」

 つぶやくようにそう言い残すと、碧はゆっくりと歩きだした。



「力が、目覚めたようじゃな」

 紫苑は碧の目を覗くように見つめ、嬉しそうな笑みをたたえた。

 碧と瑠璃が鬼鎮神社に戻ると、出迎えに来ていた千草に本殿へと連れられた。本殿には、高座に座る紫苑が、笑顔で待っていた。

 本殿に碧と瑠璃、紫苑、もえぎ、千草と全員が揃う。

「どうじゃ、鬼の力を引き出した感想は?」

「分からない。力が上がった感じはするけど、そこまでの実感がないんです。でも、実際に身体を動かすと物凄い力がでるし……」

 碧は今の状態を正直に答えた。確かに碧は潜在する力を引き出すことに成功した。しかし、だからといって劇的な精神の変化がともなう訳でもなく、外見に変化が見られる訳でもない。もちろん、力がみなぎり、溢れだしてくるといような高揚感もほとんどもない。身体は以前とは比べ物にならないほど力強く、早く動くが、特にそれは意識してしなければいけない訳でもなかったので、事実、実感というものを得るには乏しかった。ただ普通に戦っているのだか、その段階と次元が一つ二つ上がったというような、ひどく抽象的な感覚だった。

「ふむ、まあそんなものじゃろうな」

 紫苑があごを撫でるように、手を添える。

「力の覚醒は、たとえるなら初めて自転車に乗れた時のようなものじゃ。目覚めた瞬間、その力は変革し身体から溢れ出もするだろうが、後は特に意識することもない。自転車の乗り方を一度覚えてしまえば忘れることはないし、乗り方を意識することもないのと一緒じゃな。感覚のようなものじゃ。今後、お主は意識することなく、鬼の力を扱うことができるだろう。もう既に、お主の身体は鬼の力の使い方を感覚として覚えておる。呼吸をすることが当たり前であるのと同じように、その力を使うことができる」

「そうなのか……」

 なんとなしに自分の手のひらを眺める。やはり実感は沸かなかった。しかしこの身体は既に力に目覚めている。

「今のお主ならば、妖狐と相対しても十分に戦え、打ち勝つこともできるじゃろうな」

 次の満月の晩に。

 紫苑の言葉に、碧はこぶしを強く握りしめた。

 紫苑はその様子に優しく口元を緩めると、碧が手に携える刀を顎で指し、

「その刀、大事に使えよ。大切なものじゃからな」

 たしなめるように、少し強めの口調で言った。

「ああ、はい」と碧が戸惑ったように応えると、紫苑はすぐに笑顔に戻り、

「今日はもう疲れたじゃろ、早く休むと良い。飯の準備もできておるぞ」

 ありがたかった。碧と瑠璃が思わず声をあげて喜んだ。

 紫苑が千草に目で合図を送る。

「碧様、瑠璃、すぐに用意しますので、座敷で待っていてください」

 千草は碧たちに言うと、足早に本殿を出ていく。碧と瑠璃も、千草を追うようにして本殿を後にした。

 廊下の奥に、足音が消えていく。

 紫苑は、ゆっくりと息をついた。

「……半分じゃな」

 呟くように、それは誰に告げた訳でもない言葉。傍らにいるもえぎですら、その言葉を聞き取ることはできなかったかもしれない。

 うつろな瞳が虚空をさ迷う。

「そもそも、人間という脆い器に力を無理に押し込めているのじゃ。この程度が、限界なのかもしれんな……」

 紫苑はゆっくりと目を閉じる。すっかり静かになった本殿には、耳をすませば虫たちの声と、夜風に揺れる木々のざわめきが聞こえた。

 高窓の格子から覗く月は極めて細く、刃のように鋭利な弧を、危うげに夜空に描いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る