6

 明朝、七時。

 起こしに来たのは瑠璃だった。神社の朝ということで、早朝四時とか五時に叩き起こされるのではないかと心配していたのだが、そうでもないようで安心した。それでも眠い目をこすって布団の中でぐずぐずしていると、瑠璃に布団を引っぺがされた。

「今日はお祭に行くんだから、早く起きてください!」

 お祭? お使いじゃなかったのか? なんだかメインが入れ替わっているが、まあいいだろう。

 顔を洗い、座敷に行くと朝食が用意してあった。既に席についていた瑠璃と巫女姿の千草と一緒に朝食を頂く。昨日の夕食もそうだったが、千草の作る料理は旨かった。それに手が込んでいる。今日も朝から、味噌汁に焼き魚、和え物に煮つけまで用意されていた。千草に勧められ、碧は朝から二杯もご飯をお代わりしてしまった。しかし、紫苑ともえぎは食事が終わる頃になっても、結局姿を見せなかった。

 九時が近くなった頃、支度も終わり座敷でテレビを見ながら刀の手入れをしていると、瑠璃が小走りに入ってきた。

 見て見て、と嬉しそうにいう瑠璃は薄桜色の浴衣を着ていた。千草に着付けてもらったらしく、袖を広げて見せる。帯には、昨日碧があげた桜色の扇子が差されていた。

 瑠璃の浴衣姿に思わず目を奪われると、そこへ、ふすまの淵に手を掛けながら、もえぎが姿を見せた。

 おはようと挨拶をする瑠璃に、もえぎは見るからにダルそうに、ボサボサの頭をかく。

「あぁ~、眠い……」

 しわの寄った寝巻姿で、もうここまでくるとせっかくの美人が台無しだった。しかし、昨日は巫女装束で分からなかったが、もえぎのスタイルの良さはモデル並みだった。身長が高く、全身のラインはスマートだが胸が大きく、寝巻姿だとその膨らみが際立っていた。

「もえぎさん、駅まで送ってって」

「わーってるわよ。その為に起きてきたんでしょーが」

 ちょっと顔洗ってくると言って、もえぎは洗面所へ向かう。ほんと残念な美人だと、碧はそのだらしない、二日酔いに苦しむおっさんのようなもえぎの背中を見送った。


 もえぎの運転で舗装すらされていない山道を下る。社殿の裏手から続く道で、車はこっちの道しか通れないらしい。もえぎは相変わらず寝巻姿のままだった。

「瑠璃ったらねえ、碧くんからもらった扇子すごく大事にしてるのよ。昨日の夜も、あたしと千草に見せびらかして、伏見くんがくれたの伏見くんがくれたのってうるさいのよ」

 後部座席に乗る瑠璃の帯に差された扇子を見つけてもえぎが言う。

「あう~、なんでバラすのお? だって嬉しかったんだもん! 男の人にプレゼント貰うのはじめてだったし……」

「瑠璃ちゃんか~わ~い~い~」赤面する瑠璃をもえぎはさらにからかう。

「……ところで、千草さんって料理上手ですよね。今日も朝からおいしいごはん作ってくれて。毎日あんなすごいの用意してくれるんですか?」

 瑠璃がもじもじしながら黙り込んでしまったので、碧が話題を変える。

「違う違う、いつもはあの子トースト焼いて食べてるわ。前までは作ってたみたいだけど。ほら、弟はいないことが多いし、あたしも紫苑様も朝起きないから。なんだか作りがいがないみたいで。だから今日は二人がいるんで気合入れてたのよ」

 もえぎがアハハと笑う。

「表情乏しいから分かりにくいと思うけど、あの子二人が来てすごく喜んでるのよ」

 取り留めもない話をしながら、車は山を下っていく。ふもとの駅に着くのに、約三十分ほどかかった。

「帰りは駅に着くころに適当に電話して。迎えに来るから」

 車から降りた碧と瑠璃にもえぎは言う。

「あ、でももしあれだったら河原町あたりでお泊まりしちゃってもいいのよ?」

 そうちゃかすもえぎに瑠璃はまた顔を赤くするが、もう無駄だと思ったのかなにも言い返さなかった。

 もえぎの車がロータリーを出ていく。

「行こう」そう言って瑠璃は碧の腕を引いた。


 在来線と地下鉄を乗り継いで二人が向かったのは、京都でも有数の観光地。修学旅行では必ず訪れであろう場所、音羽山清水寺だった。

 地下鉄を降りて、坂を上り、また狭い坂を登っていく。そして茶碗坂を登ると清水寺の境内に入った。まあ、とりあえずずっと坂だった。祭のせいもあるのか、人出はものすごく、碧は途中で半分嫌になった。道中の坂がびっしりと人で埋め尽くされるほどの盛況ぶりだった。

 境内では、順路に従い本堂をぐるりと一周する。本尊前で賽銭を投げ入れ、一応頭をさげる。碧は特に神に祈ることもなかったが、瑠璃が隣で長々と真剣に拝んでいた。歩きながらなにを願っていたのか聞いてみると、「秘密です」と軽くあしらわれた。そう言う瑠璃は可愛かったが、なにか少しイラッとした。

 本堂を過ぎ、崖沿いの道を歩いていると、生垣越しに清水の舞台の全景が見渡せた。少し左を向けば、京都市街も一望できる。京都タワーも小さいが見とめることができた。

 ここからの清水の舞台の風景は、よく写真などで使われるのだと瑠璃が教えてくれた。

 そして音羽の滝。社のようなところの屋根から三つに分かれてちょろちょろと流れ落ちるそれは、果たして滝と呼べるのだろうかと碧は疑問に思ったが、あえて口には出さなかった。

 なにを隠そう今日のお使いの目的はこれなのである。音羽の滝の水汲み。紫苑からお使いと称して頼まれたのはこれだった。

 一体なにに使うのか、なんの役に立つのか分からない。だが、紫苑のことだからきっとなにか考えがあるのだろう。しかしこの人ごみ。夏の日中の炎天下、ちょろちょろ落ちる滝の水を汲むのに一時間待ちというのは苦行としか言いようがなかった。

 やっと二人の順番が回ってきたときには、碧は人の熱気と暑さにやや参ってしまっていた。瑠璃はこういうのは平気なようで、今も元気に水を汲もうと長柄杓を手に腕を伸ばしている。

「音羽の滝の水は延命水って呼ばれる清めの水で、飲むと御利益があるんだよ」

 手にさげた巾着袋から、透明な手のひらに収まるくらいの小瓶を二つ取り出し、瑠璃はそれぞれに水を入れていく。

 碧もせっかくここまで並んだのだからと長柄杓を伸ばし、水を飲もうとするが、

「あ、でも伏見くんは鬼の力を持ってるから、飲んだら浄化されちゃうかもしれないですね」

 笑顔で言う瑠璃の言葉を聞いて、そっと柄杓をひっくり返し、水をこぼした。

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