5

 住宅街のとあるマンション。

 碧は玄関の鍵を開け、扉を引いた。部屋の表札には、『伏見』の文字があった。

 玄関をくぐると、中は真っ暗だった。靴を脱ぎながら壁のスイッチを探り、電気をつける。

 天井の蛍光灯が灯り、廊下が照らしだされる。白く綺麗な壁の続く廊下。飾り気はないが、清潔感のある印象だった。

 碧はそのまま廊下を抜け、リビングのドアを開ける。

 二十畳ほどの広々とした空間。目の前の一面が窓になっており、薄暗い室内を月明かりが淡く照らしだしていた。

「おかえりなさい、碧」

 不意にリビングの奥から声がかかる。薄暗いせいでよく見えなかったが、よく見ると窓際に一人の女性が座っていた。明かりもつけず、一人きりで。月明りに照らされているせいか、女性の肌は驚くほど蒼白だった。

「ただいま、母さん」

 答えながら碧は電気のスイッチを入れる。リビングが、まばゆい明かりで満ちた。

 碧が、思わずまぶしさに目を覆う。

「今日は少し遅かったのね」

「ちょっと友達と一緒だったんだ」

 窓際に座る女性に近づいていく碧。明かりが灯って初めて分かったが、女性は車椅子に座っていた。

 傍らまで近付いた碧が、そっと女性の手を握る。

 女性は嬉しそうに笑うが、その目は開かない。ずっと閉じられたままだった。

「父さんはまだ帰ってないの?」

「今日は遅くなるって、さっき電話があった」

「そっか」と相槌を打って碧も微笑む。しかし、たぶんそれは女性には見えていないのだろう。

「夕飯はもう食べた?」

「まだ。碧と一緒に食べようと思ってたから」

「そう、じゃあ待たせちゃったな」

 碧は女性の後ろに回り、車椅子をダイニングテーブルまで押していく。女性は碧の母親としての歳を考えると、とても若い容姿に見えた。しかし、その身体の線は非常に細く、ひどく儚げな印象を受けた。

「母さん、来週また入院だろ? それまでは早く帰って来るようにするよ」

「いいのよ、別にそんな気を遣わなくても。連絡くれればお友達とご飯食べてきてもよかったのに」

 母がまた笑う。

 優しい母が。

 母のこの儚げな笑顔を見るたびに、碧の胸は締め付けられるように痛むのだった。

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