第二章 比叡山の巫女

1

 夏休み初日。

 碧は東京駅にいた。時刻は午前七時半前。改札口の前の壁を背に立っている。

 辺りは人でごった返していた。スーツケースやキャリーバックを持った人たちがあちこちに見受けられる。帰省や旅行に行く人々だろう。家族連れやカップル、友達同士。様々な人々が行き交っていく。

 ズボンのポケットを漁り、一枚の紙切れを取りだす。『東京→京都』と太字で書かれたそれは、紛れもない新幹線のチケットだった。碧はそれをまじまじと見つめる。

「とうとうここまで来てしまった」

 碧にとってここに至るまでの経緯は、あまりにも上手く出来すぎているのではないかと、疑いたくなるほどすんなりとしたものだった。狐面と交戦した翌日の放課後、再び瑠璃に会うと、その時には既に出発の日取りは決まっており、その場で新幹線のチケットを渡された。夏休みシーズン、早めにチケットを取って置かないとというのには納得したが、せめてこっちの都合も確認して欲しいものだった。もちろん、瑠璃のあの力を見せられて、今さら断るつもりはなかったが、それにしてもいささか強引すぎるのではないか。そして、さらに驚いたのは京都での滞在日数だった。「最低半月」と可愛い笑顔で言われた時にはどうしようかと思った。「宿泊の場所もちゃんとこちらで用意してありますので大丈夫です!」となぜか彼女は誇らしげに言っていたが、問題はそこじゃなかった。そして、もう用意してあるというのは一体どういうことだったのだろう。

 とりあえずその時は、親に相談させてほしいとお願いして、いったん話を持って帰った。実は出発予定日は母親の入院日で、その手伝いをしなければいけなかったのだ。それじゃなくとも、高校生の一人息子を夏休みに半月以上も他人に預けて、しかもお金は全部向こう持ちなどと言われれば、普通の親ならば絶対に許さないだろう。というか絶対ムリだろと思い、ダメもとで相談してみると、

「そうかあ、碧も高校生だもんな。友達と長期の旅行なんて若いうちじゃないとできないぞ。青春時代を大事にしろよ! 心配するな、母さんのことは父さんに任せろ!」と父。

 いや、まあ任せるのはいいんだけどさ……

「そうね。母さんこんな体だから、ずっと旅行なんて連れて行ってあげられなかったものね。楽しんでらっしゃい」母も笑顔だった。

 反対はおろか、心配する素振りすら見せやしない。行かせてくれるのはありがたいのだが、こうもあっさり許可してもらえると、なにか逆に寂しいものがあった。

 と、いう訳で今日この場所に至る訳なのだが、なにか流されてこの場に立っているようで、碧はこの状況をいまいち快く納得できないでいた。

 ここで、改札上に設けられた時計が七時半ちょうどを指す。それと同時に琴引瑠璃が姿を見せた。

 大きめのキャリーバックをゴロゴロ引きずりながらこちらに駆けてくる。その姿はどこか危なっかしく、目を離せなかった。

「遅れてすみません!」

 なんとかかんとかやって来たという様子で、瑠璃が開口一番に謝る。

「時間ピッタリじゃん」

「そうですか、遅れてないならよかった」

「じゃあ、行くか。中で駅弁買おうぜ」

 床に置いた荷物を拾い歩き出す碧に、瑠璃は「はい」と小気味良い返事をして改札へと続いて行った。


 京都駅は非常に近代的な作りだった。古都京都と言うくらいだから、駅の造りも景観と情緒を鑑みた控えめなものになっているのかと勝手に想像していたが、その造りは近代的かつ新しく、とても綺麗なものだった。碧は小学校の修学旅行の時、一度京都に来たことがあったが、駅の様子まで記憶になかった。

 外観は一面のガラス張りで、吹き抜けの広壮な空間が広がっている。駅ビルのある、どこまでも続く長い階段の方を指さして、「クリスマスにはあそこにすごく大きなツリーが飾られるんですよ」と瑠璃が言っていた。

 その瑠璃はというと、バスの時間を確認するとかでロータリーの方に走って行ってしまった。

 一人残された碧は吹き抜けの天井を仰いだ。ガラス越しに京都タワーが見える。

 しかし暑い。さすが盆地だ。東京では、今週の頭から猛暑日となる日が続いていた。京都のこの盆地では、気温は一体どれほどまでになるのか。考えたくもなかった。

 駅構内を見渡すと、空きスペースを利用しての出店があるのが目に入った。ただボーっと瑠璃が戻って来るのを待っていても暑いだけなので、少し覗いてみることにした。八ツ橋やキーホルダー等の定番の土産物に豊富に並んでいる。と、その中に碧はいいものを見つけた。

 それは扇子だった。何本も並ぶ中から黒色のものを手に取る。値段も手ごろだった。自分の分だけ買うというのもなんとなく気がひけたので、色違いの桜色の扇子も一緒に購入した。戻ってきた瑠璃にそれを手渡すと、思っていた以上に喜んでくれたのでよかった。なにか、何度も頭を下げて嬉しそうにしていた。

 そして、在来線へと乗り込んだ。どうやら目的地である比叡山行きのバスと時間が上手く合わないらしく、電車で別の駅に移動してからバス、ケーブルカーと乗り継ぐらしい。あと一時間くらいで延暦寺に着くと瑠璃は言っていた。

 現在、電車に揺られながら、瑠璃は隣でうつらうつらとしている。この子もいろいろ気を張って疲れているのだろう。考えてもみれば、碧と瑠璃が出会ってからまだ二週間ほどしかたっていない。そんな出会って間もない男と京都まで一緒に来ているのだ。気を張らない訳もないのだろう。

 こっくりこっくり頭を揺らしながらも、さっきあげた扇子の入った紙袋をずっと大事そうに抱えている、そんな瑠璃の姿を碧は微笑ましく思った。

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