3

 女子生徒は、琴引瑠璃と名乗った。

 碧と同じ、高校二年生だった。

 あの後、碧は腹の上で喚く瑠璃を無理やりどかし、すぐさま瑠璃を連れてその場を後にした。人だかりの出来た校門の前で、他校の女子生徒とあんなことをやっていては、一体どんな噂を立てられるか分かったものではない。既に事は起こってしまっていたので、もう手遅れである感は否めなかったが、それでもずっとあそこにいる訳にはいかなかった。驚愕に見開かれた、男どもの視線に殺気が混じりつつあるのを感じたからだ。

 それから碧は、瑠璃の手を引っ張ったまま、人目を避けて、街の小さな喫茶店に入った。

 向かい合って座る二人の前には、それぞれアイスティーが置かれている。

「……あの、さっきは取り乱してしまってすみませんでした」不機嫌そうな碧の顔色を窺いながら、瑠璃が頭を下げる。「よければ、お名前を教えてくれませんか?」

 碧が、自分の名を顔も見ずにぶっきらぼうに名乗る。

「伏見、碧くんですか」

 瑠璃は、碧の名前を噛みしめるように繰り返した。

「あ、あの……伏見くん?」

 瑠璃がもじもじと、自分の指をいじりながらうつむく。碧が、「なに?」と聞き返すと、瑠璃はにわかに顔を赤らめて、

「なんか、これってデートみたいだよね?」

 つぶやくように言う。

「へ? なんて?」

 囁くような瑠璃の声がよく聞こえなかったのと、予想の範囲を遥かに超越した言葉に碧がすっとんきょうな声を上げる。

「ううん、なんでもないんです。……なんでもないの」

 赤かった顔をさらに赤くして、瑠璃は首をブンブン左右に振った。そして、顔の火照りをさますためか、アイスティーを勢いよくすする。

「それで、一体なんの用? 校門で待ち伏せまでして。俺、君とはあったこともないと思うけど?」

「あ、あの、覚えてませんか? 先週の日曜日、神社のお祭りで会ったの──」

 その言葉を聞いて、碧の脳裏に少女の記憶が蘇る。先日の祭りの際、森の奥での狐面との戦いを見ていた一人の少女。

 目の前に座る瑠璃の顔をよくよく見ると、確かにあの少女に間違いなかった。あの時は浴衣姿で、髪も結っていた。夜薄暗かったこともあって、すぐには分からなかった。

「狐面の姿、見えてたのか?」

「はい」

「あれは普通の人には見えないんだ。だからあの時も、君には俺が一人で刀を振り回しているか、見えていたとしても影のようなものが動いているようにしか見えていないと思ってた」

「実は、私にも少しそういうものを感じる力があって」

「そうなんだ」と驚いた素振りを見せながら、碧はアイスティーを一口すすった。頭の中で言葉をまとめ、それからまた口を開く。

「あいつらが何で俺のことを襲ってくるのかとか、あいつらの正体は一体何なのかとか、そういうのは正直全然分からない。あいつら口きけないみたいだし。夜になると時々人気のないところに現れて、俺のことを殺そうと狙ってくるんだ。倒しても倒してもまた襲ってくる。それがもう、五年くらい続いてる」

「あの狐面は怨霊です。何者かの恨みつらみが具象化したもの。お祭の日、伏見くんに倒されあの狐面は消えましたが、怨念の元……というか本体までは消えていませんでした。それに今日、伏見くんに会って確信しました。あなたは、強い怨念に呪われています」

「強い怨念ねぇ……。そんな恨みを買うようなことをした覚えはないんだけどなあ」

 碧が遠い目をする。五年前と言えば碧はまだ小学生。子供だった碧に、それだけの恨みをかうようななにが出来たというのだろうか。

「で、結局話っていうのは? そんなことを聞くためにわざわざきたわけじゃないんだろ?」

 はい、と瑠璃は改まる。

「あの、実は伏見くんに紹介したい人がいて。その人なら伏見くんを呪いから解放する手助けをしてくれると──」

 やっぱりかと、そこまで聞いて碧は内心うんざりしていた。瑠璃が力を持っていると言った時点でこの展開は予想していたが、碧はこの手の話を歓迎しなかった。

「以前に何人か、琴引さんみたいにあの狐面が見えた人がいたんだ」

半ば瑠璃の言葉を遮るようにして、碧がしゃべりだす。

「一人は普通の人で、たまたま俺と狐面が戦ってるのを見ちゃったらしくて、悲鳴を上げて逃げて行った。二人は霊能力者を名乗る人だった。俺だって今まで、誰にも頼らなかった訳じゃないんだ。二人とも狐面の姿は見えていたから、詐欺師ではなかったんだろうけど、狐面を目の当たりにするなり逃げて行ったよ。二人とも同じように。自分には無理だって言って」

碧はそこまで話して一呼吸ついた。碧を見つめる瑠璃の目はさびしげな色を浮かべていた。

「だから俺はやめたんだ。これは他人に頼ってはいけないことなんだって。もう、誰かを巻き込んではいけないことなんだって」

「そんな、じゃあ一人でなんとかするっていうんですか?」

「そうだよ」と、少し疲れたように碧は肯定する。

「だって、伏見くんは襲ってくる者の正体も、どうすれば助かるかも分かってないじゃないですか! 紫苑様は……その方は狐面を前に逃げ出したりしません。あの方はとても強い力を持っているんです。必ず伏見くんの力になってくれます」

 碧の言葉がおざなりに聞こえたのか、瑠璃は言葉の語気を強める。

「私、生まれつき取り憑かれやすい体質で、幼いころは霊に取り憑かれていろんな人に迷惑かけてきたんです。幼稚園や小学校では友達を傷つけてしまったこともあって。外に出るのも怖くて……ずっと一人だった。でも、そんな私を助けてくれたのが紫苑様なんです」

 瑠璃は胸のあたりを、強く握りしめる。目には、薄く涙が浮かんでいるように見えた。

「急に押し掛けて、初対面の人間がこんなことを言って信用できないのは分かります。でも、お金を取ろうとしている訳ではないし、だますつもりもありません! あの方は本当にすごい方なんです! 一度会ってみるだけでもお願いできませんか?」

 一見おとなしい印象を受ける瑠璃からは想像がつかないほどにまくし立ててくる。その勢いに気圧されたように碧は言葉に詰まっていた。

「──わ、分かった、分かったよ。会うよ。別に会うってだけなら断る理由もないし」

 放っておくと今にも泣き出してしまいそうな瑠璃を見て、それまで唖然としていた碧は、なだめるように言う。

「でも、それこそ初対面に等しいような俺になんでこんなに?」

 碧の色よい言葉に少し安堵した瑠璃は、目の周りを軽く拭い、気持ちを落ち着けるようにアイスティーを一口含んだ。

「あの、勝手にで申し訳なかったんですが、紫苑様に伏見くんのことを伝えてみたんです。そしたら、伏見くんに興味を持ったらしく、ぜひ連れて来いと言われて」

「俺のかかってる呪いって、そんなに珍しい事案なのか?」

「ええ、もちろんこれだけの怨念を受けるなんてことはそうそうあり得ることじゃないのですが、それ以上に、伏見くんの持っている鬼の力に興味があるらしくて……」

「鬼の、力?」

 その言葉にピクリと碧の動きが止まる。

「狐面と戦っていた時に見せた、あの常人ばなれした身体能力のことです。紫苑様は、あれは鬼の力に違いないと言ってました」

 正直、自分の異常な身体能力についても、碧自身それが何なのか全く分かっていなかった。その異常な身体能力は、狐面が現れ出した五年前から突如身についたもので、単純に狐面と戦うための力としか思っていなかった。

 鬼の力。

 さすがにこの呪いから救い出してもらうことは不可能かもしれないが、自分を長年に渡って苦しめ続けるこの事象について、少なからず分かることがあるかもしれない。そう思うと、瑠璃の言う紫苑という人物に会ってみるのもまんざらではないと、碧は思い始めていた。

「それで、その人に会うにはどこに行けばいい?」

 その言葉に瑠璃の表情が晴れる。初めて彼女の笑顔を見たような気がした。

「はい、比叡山です」

「比叡山?」

 一瞬、碧の頭に疑問符が浮かぶ。そういえば、校門で馬乗りになられた時も言っていた。どこかで聞いたことのある名前だったが、それが一体どこにあるのか頭が上手く働かなかった。

「それってさ……どの辺にある山だっけ?」

「はい、京都の方に」

 笑みを湛える瑠璃と対照的に、碧の表情は凍りついた。

「きょうと? キョウトって……あの京都?」

「? どのきょうとのことを言ってるか分かりませんが、たぶんその京都だと思いますけど……。まあ、正確には京都府と滋賀県の間くらいなんですが──」

「……ゴメン、やっぱさっきの話なしで」

「ちょっ、ど、どうしてですか、急に。会ってくれるって言ったじゃないですか」

 話を切り上げ、立ち上がろうとする碧を瑠璃は必死に止めにかかる。

「だって京都って、遠すぎるだろ。せいぜい東京都内を想像してた。新幹線使っても二時間半はかかるとこだぜ? 京都なんて行くだけでいくらかかるんだよ?」

 碧は頭を抱える。

「大丈夫です! 旅費や新幹線のチケットは全部こっちで用意しますし、私も一緒に行きますから!」

 力強く瑠璃は言うが、もはや怪しさしかなかった。急に女の子が学校までやってきて、「向こうが興味を持っているから──」とか人を紹介されるのは、まあ百歩譲って良しとしよう。しかしだ、今日名前を知った、初めて会話したような相手と即、京都旅行。しかも旅費は向こう持ちって。いくら頭の中まで盛りきってるバカな男子高校生でも疑いの目を持って然るべきだろう。

 完全にだまされてる。そう頭の中で結論付けた碧は、伝票を手にさっさと席を立った。

「ちょっと、待ってください。……ねえ、待ってってば!」

 鞄を持って立ちあがるのになにを手間取っているのか、瑠璃の焦った声が響く。制止を求める叫びを背に、碧は会計を済ませ、速やかに店を後にした。

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