2
夢。
淡い夢。場所も、時間もはっきりとしない。ただ熱く、熱く、苦しい夢だった。
焼けるにおい。村が、家が、草木が、土が、そして肉が。異臭を放って燃えていく。
空にまで炎が上がっていた。
紅蓮の炎をまとい、それが自分を闇の中から睨みつける。
苦しみ、恨み、憎しみ。憎悪の感情に押しつぶされそうになる。
世界が燃えつきていく中、たった一人で立ちつくす。
空を仰ぎ、空を舞う獣を見つめる。
言葉を必死に発するが、その声はもう決して届かない。
ただ、虚空にさ迷うように、炎の燃える音にかき消されていく──
そこで、伏見碧ふしみあおは目を覚ました。
寝ぼけ眼で顔を上げると、傍らにほうきを持った女子生徒が仁王立ちしていた。
「ちょっと、掃除の邪魔なんだけどいつまで寝てるの?」
女子生徒は机の足をほうきでバシバシ叩いている。
「まったくガサツな奴だな。授業は……もう終わったみたいだな」
放課後。
教室の中には、掃除をしている生徒数人の姿しかなかった。既に陽は傾き始め、夕日を反射して黒板が茜色に染まっていた。
「もうあんたが最後よ。あんたがあまりにもぐっすり眠ってるもんだから、先生も呆れて起こさなかったみたいね」
嫌味っぽく女子生徒が言う。
あくびをしながらダルそうに碧が立ち上がると、女子生徒はそそくさとほうきで椅子の下を掃き出した。
そんな女子生徒の様子をしばし眺めてから、碧は鞄と、壁に立てかけてあった長さ百二十センチほどの黒い袋を手に取った。じゃあなと女子生徒に声をかけるが、女子生徒は一瞥もくれることなく、ただ碧の言葉に片手を左右にひらひらと振って答えるだけだった。
生徒のまばらになった廊下を進み、下駄箱で靴を履き替えて碧は校舎を出た。
空は沈む夕日に照らされて、朱を混ぜたようなオレンジ色に染め上げられていた。雲が黄金色に光り輝く。夏の暑さは陽が傾いてもなお和らぐことはなく、校庭ではそんな暑さの中、様々な部活動の練習が行われていた。
運動部の活気のある声が響き渡る。そのなかにどこから聞こえるのか、一匹のひぐらしのはかなげな声が混じっていた。
ふと、校門の方に視線を向けると、なにやら人だかりのようなものが出来ているのが見えた。なにかあったのかと訝しんでいると、横を通り過ぎる生徒たちの声が聞こえてきた。
「おい、なんか校門に天ヶ崎の子が来てるらしいぜ。しかもすっげえかわいいの」
天ヶ崎とは、近隣にある私立天ヶ崎女子高校の事である。高い偏差値と、区内きってのお嬢様学校で知られる金持ち校だ。そんな高校に通うお嬢様が、この平平凡凡の公立高校になんの用なのか。校門に向かうさっきの生徒たちを視線で追うと、確かに校門で取り巻きのように人だかりを構成しているのは男子生徒ばかりだった。
碧の口から大きなあくびが漏れる。
いくら女子高の生徒が校門にいようが、碧にはそんなことは関係ない。そもそも天ヶ崎の生徒に知り合いなんていないのだからしょうがない。なにが楽しいのか、他校の女子生徒をアイドルさながらに取り巻く男どもをご苦労なことだと眺めながら、帰宅するため、碧も校門へと足を向けた。
校門を出ると、すぐにその人だかりに行き当たった。天ヶ崎女子の生徒は校門を背に立ち、確かに誰かを待っているようだった。
と、野次馬根性はないのだが、せっかくなので彼氏でも待っているのであろう、今どき珍しい健気で且つ甲斐甲斐しい少女を眺めてみることにした。
天ヶ崎はさすがお嬢様学校と言われるだけあって、制服のデザインからして違っていた。男子は学ラン、女子はグレーのセーラー服という地味を絵で表したような、昔ながらの制服を未だに採用している我が校とは打って変わって、天ヶ崎の制服はブラウスに赤のチェック柄のスカートというおしゃれな代物だった。ブラウスの襟には細かい刺繍が施されていて高級感が漂い、スカートもまたただの赤ではなく、落ち着いた風合いを持つ上品な色だった。
まあ、制服がいくらかわいかろうが、それを着る人が実際問題重要になってくる訳なのだが、その女子生徒自体、とてもかわいらしい子だった。肩の下まで伸ばした髪に化粧っ気はほとんどなく、どこか幼い印象を受けた。身長も低く、百五十センチもないように見える。同年代の子と比べるとかなり小さい方なのではないか。あどけない表情はどこか不安げで、それは他校に来ているからなのか、それとも周りを囲む成龍高校男子生徒のせいなのか。……たぶんどっちもなんだろうが、まるで天敵に震える小動物のようだった。
ふと、一瞬彼女と目が合ったような気がした。
しかし、なんにせよ、俺には関係ないけどな。そう思って向かい直り、冷めたように碧は帰路を辿り始めた。と、その時だった。
「あ、あの、待ってください!」
唐突に呼びとめられる。その声にまさかと思い振り返ると、次の瞬間、碧の腹に鈍い衝撃が走った。
急な衝撃に逆流しそうになるのを堪えながら、自分の腹部を見やると、さっきまで校門横に立っていた天ヶ崎の女子生徒が、碧の腹に思いっきりタックルをかましていた。
いや、よくよく見るとそれはタックルではない。女子生徒は碧の腰に手を回し、抱きつくように飛び込んできていた。頭を思いっきり碧の腹部にめり込ませながら。
あまりに突然のことで、碧は抵抗することもできずに、女子生徒に押し倒される形で地面に倒れた。
「やっとみつけました! ずっと、あなたのこと待ってたんです!」
仰向けに倒れた碧に馬乗りになりながら、女子生徒が歓喜の声を上げる。
「お願いします! 私と一緒に、比叡山に来てください!!」
わけも分からず目を白黒させる碧に、女子生徒は懇願するように言った。
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