第四章 大江山の鬼

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 次の満月の夜に九尾の狐との直接対決を言い渡された後、碧は自分の弱さについて紫苑に思いっきりダメ出しを受けた。

 まず精神が弱い、なぜ諦める? 生きたいという気持ちはないのか? 自分が戦うのを他人のせいにするのは弱い証拠だ! だから彼女の一人も出来ないんだ、この虫野郎! 等々。もう言われ放題、言われるがままだった。

 結局のところ、紫苑の言いたいことは「意志の力が弱い」その一点だった。

 そして碧は、来る妖狐との決戦の日に向けて、武器を取りに行くように命じられた。それは大江山山頂の洞窟にある祠に祀ってある剣で、碧の力を引き出すきっかけになるかも知れないものだと紫苑は言った。

 なぜそんなものが大江山にあるのか、そもそも祀ってあるものを勝手に持ってきていいのか疑問を投げかけると、「あれは、わしが昔あそこに置いてきたものじゃ。それを勝手に取ってこようとなんの問題もないじゃろ」身も蓋もないが、まったくもってその通りだった。しかし、なぜそんな場所に置いてきたのか。

「もう、次の満月まで半月ほどしかない。これでダメなら他の方法を考えねばならん。さっさと手に入れて来い」

 紫苑はややスッキリした面持ちで言う。まあ、あれだけ人の欠点をつき、文句を連呼したのだ、気持ちも清々して当然だろう。

 それに比べ、碧ときたらもう妖狐との戦いを告げられた緊張感はどこへやら。紫苑のお説教にうんざりしていた。

 なにかひどく思春期の傷つき易い心をえぐられたような気がする……このへこみ具合は一体なんだろう。

「ま、まあ、そんなに気を落とさないで。だいじょぶよ、碧くんなら。お母さんの病気を治すんでしょ、また山登りだけどがんばって!」

 肩を落とす碧に、今まで黙っていたもえぎが見かねて声をかける。ああ、もえぎさんマジ天使……

「ところで、碧くんってこれまで一度も彼女いたことないの? ホントに??」

 嬉しそうに聞くもえぎのテンションは、異常な高ぶりで持っていた。今までになく、瞳がキラキラと輝いていた。

 余計、死にたくなってきた。


 バスを使って移動できたのは、大江山の麓までだった。そこから先は、車も入れない登山道となり、おのずと移動手段は徒歩となる。

 このほど度の山道、碧がその気になれば目的地まで往復しても一時間とかからない行ほどだったが、隣を歩く瑠璃のことを考えるとそれはできなかった。

 そもそも、なぜまた瑠璃が同行しているのか。瑠璃は今回、大江山へ来る目的を紫苑から聞かされていなかったはず。さも当然のごとくついて来たので不思議にも思わなかったが、今回は自分一人でも十分だったのではないか。碧は山道を歩きながら思っていた。

 ちらりと瑠璃の方を見やる。瑠璃はリュックサックを背負い、足元を確認しながら慎重に歩いている。碧がこちらを見ているのに気付くと、

「今日お弁当作って来たんだあ。頂上で食べようね」

 頬を緩めて、にへら~と笑う。ピクニックだとでも思ってついて来ているのかもしれない。思わず碧は気が抜けてしまった。

 真夏の焼けるような日差しは、登山には厳しかった。登り始めたのも昼を回ってからだったので、気温もぐんぐん上がってきている。

 頂上付近の洞窟まで行って剣を回収、それからの下山。日暮れまでに麓まで戻って来れるだろうか。こんなことならもっと早い時間に来るんだった。碧の脳裏に不安がよぎる。しかし、ひたすら懸命に足もとの悪い山道を登る瑠璃を見ると、なにも言えなかった。

 山を少し登ったところに、石の積み上げられた塚があった。周囲を木の柵で囲ってあり、小さな祠がそばに建てられている。石造りの鳥居に『首塚大明神』とあった。首塚というくらいだからなにかの首が埋まっているのだろうが、碧はそれについての知識は全く持ち合わせていなかった。ただ、随分辺ぴな場所に祀ってあるものだと、それを横目に通り過ぎた。

 それから一時間ほど斜面を登り、やっと山頂に至った。山頂には背の高い木々は少なく、草原が広がっていた。薄く霧がかっており、視界はやや悪かったものの、その分夏の暑さは和らいでいた。頂からは四方に山々を望むことができ、秋から冬の季節には雲海を見ることができるらしい。緑生い茂るこれだけの山々を一望できるこの景色は、中々に爽快なものだった。

 紫苑に教えられたように洞窟を探す。しかし、山頂は想像以上に広大で、紫苑の大雑把な説明では探すのに随分苦労した。やっと洞窟を探し当てた時、二人は声を出して喜んだ。

 山頂から少し下った薄暗い森の中、人目を避けるような岩陰に、えぐり取られたように洞窟が大きく口を開けていた。その様子は不気味であり、深く続く奥には太陽の光も届かず、漆黒の闇がどこまでも広がっていた。普通ならば、あえて入ろうとは思う者は誰もいないだろう。

「本当にここ、入るの?」

 先ほどの喜びは既に消え失せ、瑠璃はこの闇深い洞窟に足を踏み入れる不安に怖気づいていた。

「ここで待ってるか?」

「ううん、行く!」

 瑠璃が首をブンブン振る。中に入るのも怖いが、こんな人気のない薄暗い森で一人で待っているのはもっと心細かった。

 別に無理してついて来なくてもいいのにと、碧は怪訝そうな顔をするが、瑠璃は意を決したように碧の服の裾をギュッと掴む。それでもへっぴり腰はどうにもならないらしく、碧はその姿にやれやれと頭を掻いた。

「うわ、ホントに真っ暗だな」

 中に入って数歩足を進めただけで、視界は暗闇に包まれた。足元を見るのもやっとの状態。先はおろか、周囲の壁の位置を測ることさえも危うかった。

 なにか照らすものはないかと荷物を探る碧に、「明かりは私が」と瑠璃がポケットから護符を取り出す。

「光よ」

 護符を手のひらにのせ、もう片方の手で撫でるようにしてそう唱えると、護符がぼわりと淡い光を帯びだした。弱い光が辺りを照らす。奥まで照らし出すほどの光源ではなかったが、周囲を見渡すには十分の明るさだった。

 以前、狐面を吹き飛ばした光の球に似ていたが、あの時のまばゆいほどの光を放ってはいない。

「あんまり強い光だと維持できないから、明るさはこんなものでがまんしてください」

 意識を光に集中させながら瑠璃は言うが、空いた手ですぐに碧の服の裾を掴み直す。どうやらこの手を離す気はないらしい。

 瑠璃の造り出した光源を頼りに五分ほど進むと、最奥である祠にたどり着いた。

 祠は人の背丈ほどの大きさで、木製の簡素なものだった。時の流れによるものなのか、洞窟の湿気によるものなのか、その状態はひどく、木は半分腐っていて、色も黒く変色していた。

 かろうじて形の残る観音開きの戸に手を掛ける。湿った、冷たい木の感触。力を入れれば崩れてしまうのではないかと思うほど脆かった。壊さないように慎重に戸を開く。

 中には、台座に飾られた一本の刀が祀ってあった。

「これ……」

 思わず碧が言葉に詰まる。確かに紫苑の言う通り刀はあった。しかし、それは今となっては刀だったものと言った方が正しい。祠と同じく、中に祀られていた刀の状態もまた、無残なものだった。鍔は欠けてボロボロ、鞘の先から柄の端まで錆がこびりついて、真っ黒に色を変えていた。これが刀だと知らない者がみたならば、ただの錆びた鉄の塊としか思わないだろう。

 碧はそれに手を伸ばそうとして躊躇する。なにか、呪われそうだった。得体のしれないものに手を触れるようで、気持ち悪さもあった。とは言っても、もう既に狐に呪われてるんだけどな、俺。などと、自虐的なことを思ってみるが、それとこれとは別問題だった。決して信心深い訳ではないが、この雰囲気で奉納物を取って帰るという罰当たりな行為に、気が引けていた。だが、ここでおめおめ引き下がることは紫苑が許さないだろう。しこたま文句を言われたあげく、また取りに来させられるのが関の山だ。碧は思い切って刀に手を伸ばした。

 刀はあっさりと碧の手の中に収まった。もちろんなんの変化も起こらない。手に取ると、錆がボロボロと崩れ落ちた。

「こんな刀、ホントに使えるのかよ?」

 碧は刀を抜こうとして途中で止めた。下手に力を入れると刃が折れてしまいそうだったからだ。錆の塊としか見えないそれを碧はしげしげと見つめる。今、碧が肩に掛けている刀の方がよほどましに見えて仕方なかった。

「ねえ、もう早く出ようよ」

 瑠璃が不安げな表情で裾を引っ張るので、つい「ああ」と間の抜けた声で返事をしてしまう。碧は用意していた簡単な布袋に錆びた刀をしまうと、もと来た道を引き返し、その祠を後にした。

 洞窟を出ると、日が傾き始めていた。空が朱に染まっている。

 山頂でゆっくりしすぎたか。なによりも、洞窟探しに時間を取られたのが大きかった。

「早く山を下りよう」

 二人は急いで山道に戻った。

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