3

 放課後、「地獄へ落ちるならばおまえも道連れだ!」とわけの分からないことをのたまいながら、足にしがみついてくる宗介を階段から蹴り落とし、ダッシュで昇降口をくぐった俺は、通学路を歩きながら、音葉のことを問いつめていた。

 さっきののりうつりの件でだ。

「で、いつから出来るようになってたんだ?」

「えっと……一週間前くらいからかな」

「なんで秘密にしてたんだよ?」

「別に隠してたわけじゃないんだよ? ただ、なんか言いにくかったっていうか、タイミングがなかったっていうか……」

 一日中離れられず一緒にいるっていうのに、タイミングもなにもないだろうに。

「そ、それにね、これが出来るって分かったのもホントに偶然だったし」

「偶然ってなんだよ?」

「え? ……あの、怒らない?」

 いつになくおどおどした様子の音葉。言いづらそうに身体をくねらせる。はっきり言ってキャラじゃない。

「あのね、あの……夜ね、すごく時間があってね、なんて言うのかな? 魔が差したってわけじゃないんだけど、ちょっとだけ寂しくなっちゃってね、悠太は寝てるし、静かだし。それで……」

「それで?」

 なぜか恥ずかしそうに顔を赤く染める音葉の煮えきらない言葉に、思わず後を促してしまう。

「少しだけ、本当に少しだけと思って、悠太に身体を重ねてみたら……その、のりうつれたの」

 なるほど。そういう事だったのか。

 夜、一人でいるのがあまりにも寂しかった音葉が、寝ている俺にこっそり抱きついてみたところ、のりうつれることが偶然分かったと。

「……って、うおおおおい!!」

 急に大声を上げた俺に音葉がビクッと身体を震わせる。

 なんだよそれ、なんだよその寂しかったからつい抱きついちゃったとかいう羨ましい状況は! ……って抱きつかれたの俺か。

 だったら、起きてるときに言えよ! 抱きつきたいなら言えよ! あの日の夜から一人で悶々としてた俺がバカみたいじゃんか!

「あの……悠太、大丈夫?」

 音葉の声にハッとして我に返る。大声をあげて突っ込みを入れた状態で俺は固まっていた。

 気づくと、通学路を歩く他の生徒たちの視線が俺に集まっている。

 咳払いをし、何事もなかったようにそしらぬ顔で歩き出す。

「ごめんね、悠太。悠太が寝てる間に変なことして」

 音葉がすまなそうに頭を下げるが、そのセリフはなにか背徳的な誤解を大いに生む危険性があるぞ。

「まあ、それはいいよ。ってか、そんな理由で今まで言えないでいたのか?」

「う、うーん。まあ、主な理由はそれかな」

 なんだよ、主な理由はって。いまいちはっきりとしない音葉を訝しげに見ていると、ふと、俺の頭の中に浮かんだことがあった。

「もしかして、最近エロ本がなくなってたのって、おまえが勝手におれの身体を使って……」

 あちゃー、感づかれたかと言わんばかりに音葉が渋面をつくる。

 どうりで最近身体の疲れが取れないと思ったら、夜中にかってに俺の身体使ってたのかよ!

「いいじゃない。今さら恥ずかしがる間柄でもないでしょ。私、寝なくてもいいから夜暇なのよ」

「だからって人のエロ本勝手に捨てんなよ!」

「全部捨ててないだからありがたく思いなさい! ちゃんと中身見て、あまりにもヒドイ内容のやつだけ選んで捨ててあげてるんだから!」

 あの内容はあり得ないよと、どこか軽蔑を含んだ視線でが突き刺さる。

 違う! あれは俺の趣味じゃない。おまえが捨ててるのは全部宗介から押し付けられたやつだ!

「それに、私がいるのになんであんなもの取っといてるのよ? エロ本なんてもういらないじゃない!」

 また誰かに聞かれたら誤解を受けそうなことを。まあ、音葉の声は俺以外には聞こえないから問題ないのだが。

 しかし、音葉ってこんなに嫉妬深かったのか。今までは単にそういうのが嫌いだから、俺がエロ本を買おうとする度に鬼の形相で襲いかかってくるのだと思っていたのだが、どうやらそれだけではなかったらしい。

 いや、よくよく考えれば嬉しいことなのかもしれないが……

 音葉に取り憑かれてからというもの、エロ本を鑑賞する時間などあるはずもなく、確かにもう全て処分してしまってもいいのかなあ。などと、今まで集めに集めてきたEXランクの宝具たちを手放すことを割と本気で考えていると、

「悠太、あれ」

 音葉の声に思考は中断された。

 なんだよと思い振り返ると、音葉が真剣な表情でなにかを見ていた。音葉の視線の先にあるのは駅。そしてそのロータリーが広がっている。

 音葉の指差した先を追って目線を走らせると、そこにはウチの高校の女子生徒が、男二人と話しているのが見えた。 

 いや、話しているという表現は正しくない。女子生徒が男に絡まれていると言うのが正確だろう。

 二人の男はたぶん近隣の大学生。女子生徒を左右から挟み込むように、身振り手振りを交えてなにやら話しかけている。

 しかも、よくよく見れば、その絡まれている女子生徒は俺と同じクラスの子だった。

 井口陽菜子。ウチのクラスのクラス委員をやっている女の子だ。あまり目立つタイプではなく、どちらかといえばおとなしい印象の子で、クラス委員になったのも、他に誰もやりたがらなかったのを、担任からの逆指名を受けての就任という形だった。

 押しに弱く、他人からのお願いを断れないお人好しで、教師からいいように使われているのを良く見る。まあ、簡単に言えば、貧乏くじを引きやすい性格らしい。

 とは言うものの、高校入学からのこの半年間、井口さんとは数える程度の会話しかしたことがなく、それも簡単な挨拶や、「生活指導の先生が宮本くんのこと呼んでるよ」みたいな業務的な会話したことがないので、単に端から見た印象でしかないのだが……

 男二人に絡まれる井口さんは、かわいそうに萎縮してうつむいてしまっていた。身体は小刻みに震え、カバンの柄を両手でギュッと握りしめている。

 セミロングの黒髪に顔は隠れて表情は窺えないが、怯えて動けなくなってしまっているのは遠目にも分かる。

 しかし、こんな田舎でナンパに絡まれるなんて、ホント井口さんってついてないよな~。貧乏くじ引きまくりだ、かわいそうに。さて、じゃあ俺はさっさと帰って明日のテスト勉強でもやるかな~。などときびすを返して、家路を急ごうとしたとき、

「悠太、助けてあげて」

「は? 音葉さん、今なんて?」

「井口さんを助けてあげてって言ってるの」

 どうやら貧乏くじの引き具合に関しては、俺も井口さんに負けず劣らずというところらしかった。

「おまえ、本気で言ってるのか? だってあれ、あれだぞ? っていうか、もしかしたら井口さんも合意の上でのあれかもしれないし……」

「あれがそんなふうに見えるの?」

 音葉に一喝される。

 確かに俺の言い訳もあれだが、それを一蹴してしまう音葉もあれだと思う……

 というか、井口さんを助けろって、また無茶なことを言い出したものだ。絡まれてる女の子を助けるなんて、どう考えても俺のキャラじゃない。そういうのは、もっとこう屈強な人や、イケメンがやる仕事のはずだ。俺みたいなモブがやることじゃないし、やってはいけないことだ。

 いくら音葉がなんと言おうとそれは無理だ。出来ないことは出来ない。この際だからはっきり言っておくが、そんな勇気は全くない!

「いいから助けてあげて!」

「……はい」

 そしてはっきり言っておこう。音葉の命令を断る勇気も全くないと。

 しぶしぶロータリーの現場へ向かって足を進める。

 ……っべーよ。マジでべーよ。まさかこんなハメになるとは思ってもみなかったよ。こんなことなら、宗介を階段から蹴り落とすんじゃなかったよ。もっとじゃれ合ってれば良かったよ。ホントごめん、宗介。蹴り落とした上に、階段下で踏みつけたりしてホントごめん。

 しかし、今さらそんなことを悔やんでも遅い。腹を括らなくては。

 未練がましく二度ほど後ろを振り返ってみたが、その度に音葉は大げさに首をしゃくり上げて見せた。さっさと行けとおっしゃっている。有無を言わさぬ迫力だった。

 もはや、後戻りはできない。

 現場に近づくにつれ、男たちの声が聞こえてくる。

「こんな時間からこんなとこにいて、学校行くのイヤになっちゃったんだろ? 俺たちと遊ぼうよ」

「ねぇ、いいだろ? っていうかキミ、おっぱい大きくない? かわいいしさあ」

 うわ、こいつらマジだよ。まじチャラいよ。

 確かにそうだよ。井口さんはクラスでもトップを誇る巨乳だよ。良く見てるじゃん、それは俺も太鼓判だよ。

「……いえ、違うんです。今日はテストがあって。その、それで学校終わるのが、早くて……」

 井口さんが必死に口を開くが、萎縮したその声はナンパ男たちには全く届かないようで、

「え、なに? 全然聞こえないんだけど」

「もしかして怯えちゃってる? ホントかわいいねー、キミ」

 その井口さんの様子を見たナンパ男たちがまた下品な笑いを浮かべる。

 こいつらマジ腹立つわー。もう、本物のクズだ。一発ブン殴ってやりてえ。

 でも恐いわー。ホント無理だよ、音葉さん。今から俺、この中に入って行かなきゃいけないんだろ? マジかよもー。

 ……いや、弱気になっちゃダメだ。覚悟を決めろ、宮本悠太。男を見せるんだ!

 そうだ、まずは右のヤツからだ。仮にナンパ男Aと名付けよう。

 あいつなら身体も小さいし、不意打ちで倒してしまえばナンパ男Bと一対一に持ち込める。Bは背の高いイケメンふうではあるが、決して筋力があるようには見えない。二対一では分が悪いが、一対一ならばなんとかできるはず。

 よし、これで行くしかない。気合いを入れるんだ!

 まずはそっとAの背後から近づいて一撃……

「い、いや~。井口さん待った~?」

 そのときの俺は、ひどく格好悪かった、と思う。

 声は震え、腰の引けた状態で、列を横切るおっさんのように手刀を切りながら、ナンパ男たちの間に入っていく。

 突然やってきた挙動不審の男子高校生に、なんだこいつはと言わんばかりの男たちの冷たい目線が突き刺さる。

「ご、ごめんね~、遅くなっちゃって」

「……宮本、くん?」

 井口さんが、思いもよらぬ人物の登場に、呆けたような声を出す。

 俺はその場の空気を無視し、とりあえず井口さんの手をつかむと、「じゃあ、行こっかー」と言ってその場を去ろうと歩きだした。

「いやー、ホントお騒がせしてすみませんでしたー」

 などと、もはや誰に対してのものだか分からない言葉を残して早足に立ち去ろうとする。

 しかし、意外にもそんな俺に対してナンパ男たちはなにも言ってこない。

 これはもしかして、いけたんじゃね? このまま何事もなくミッションコンプリートできるんじゃね?

 俺が心の中で、ガッツポーズをしながら安堵したその瞬間、

「おい、ちょっ待てよ!」

 ナンパ男Bが、どこぞのアイドル俳優のような台詞を口にしながら、俺の肩を掴もうと手を伸ばしてきた。

 瞬間、俺は情けなくも、井口さんの手を掴んだまま一目散に逃げ出した。

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