13

 クラクションを高らかに鳴らして、霊柩車が出発する。

 その後ろを、母さんが運転する車で付いていった。

 ふわふわとした思考から抜け出せない。

 強い混乱から身を守る為なのだろうか。脳が考えるという働きを一切停止していた。

 夢の中にいるように全てが受動的で、時間が進む感覚さえも曖昧だった。

 やがて停車した車から降り、傘を広げる。

 雨音がうれしかった。

 ノイズのように聴覚を乱し、思考を深く閉ざしてくれる。

 音葉は、なにもしゃべらない。

 ──そういえば、火葬場ってなにをするところだっけ?

 頭が回らない。ただ、燃やすというイメージだけがあった。

 燃やす? なにを?

 建物を仰ぐと、屋根に煙突が見えた。雨の中、煙突から白煙が上がっている。

 ふと、一抹の焦燥が俺の中に生まれた。

 霊柩車が、建物の中に入っていく。

 燃やす。

 急速にその焦燥が大きく膨らんでいく。

 燃やす。

 霊柩車から、棺が降ろされる。

 そして、一気に思考が合点へと結びつく。

 ──音葉の身体が燃やされる。

 焦燥は瞬間的に頂点を越え、押さえきれない感情が俺の中で爆発した。

「やめろおおおおおおおおおおおおっ!!」

 叫び声をあげていた。

 傘を投げ捨て、水たまりを蹴って走り出す。

「やめろよおおおお!! 音葉を……なんで!! 音葉が、音葉あああああああ!!」 

 発狂する俺に驚いた大人たちが、慌てて俺を取り押さえようとする。

 必死に棺へと、音葉へと手を伸ばすが、どうしてもあと数センチが届かない。大人数人に取り押さえられ、身動きが取れなかった。

 俺を取り押さえた大人の一人が、怒鳴り声を上げた。しかし、それでも俺は叫び、手を伸ばす。

「なんでだよ! なんで音葉を燃やしちゃうんだよ!! そんなことしたら、音葉が……音葉の身体が……」

 ずっとこれまで、十六年間一緒に過ごしてきた音葉の身体。

 手を繋いだり、喧嘩したり、笑ったり、泣いたり、怒ったり、無視したり……

 ずっと、俺はこの音葉の身体と一緒だったんだ。

 なのに、なのに、どうしてそれを燃やそうとするんだよ?

 音葉の身体がなくなってしまったら、そんなことしたら、音葉の魂が戻る場所がなくなってしまうじゃないか!

「ふざけんなよ!! 音葉……音葉……音葉ああああああああ──」


 ──パンッ!


 乾いた破裂音が雨の中に響き、叫びは強制的に遮断された。

 顔面に強い衝撃を受け、俺は身体ごと地面に倒れ込み、水たまりに顔を突っ込んだ。

 口に入った泥水を吐き出しながら顔を上げると、目の前に姉さんが立っていた。

 泣きながら、それでも必死に涙を堪えるように歯を食いしばり、毅然として俺を見下ろしている。

 頬を、思い切り叩かれた。

「あんた……あんた、一体なにをしてるのよ!?」

 俺を叩いた自分自身の手も痛いのだろう。右手を押さえながら姉さんは、震える声で俺を叱りつける。

「でも、音葉が……」

「そんなことして、音葉ちゃんが喜ぶわけないでしょう!!」

 それは、悲鳴にも似た叫びだった。

 ──音葉は、喜ばない?

 姉さんの言葉で、また頭が真っ白になる。

 音葉が……音葉が……

 そして、俺は思い出したようにハッとして。雨の中、無様にも地面にはいつくばったまま、後ろを振り返った。

 雨に打たれながら、音葉が俺を見下ろしていた。

 長い髪に雨を滴らせ、今までに見たことのない暗く、悲しそうな表情の音葉。

 まるで俺の姿を見ることで、自分自身を呪おうとするかのような自責の念。

 言葉を失い、俺はそこから動くことができなかった。

 どうして、そんな顔を……

 不意に、身体が引き寄せられたかと思うと、姉さんに抱きしめられた。

「音葉……音葉……」

 壊れたように、明後日の方に向かって音葉の名前をつぶやく俺を見て、哀れに思ったのだろう。抱きしめる姉さんの腕に力が入る。

「悠太……音葉ちゃんは、もう……いないんだよ」



 音葉の身体が燃えていく。

 煙突から昇る煙を見て、得も言われぬ虚無感を覚えた。

 雨は、すでにあがった。

 色鮮やかな夕焼けの空に浮かぶ群雲が、金色に輝いている。水たまりに映る世界もまた、茜色にきらめいていた。

 俺は、火葬場の外の縁石の上に腰掛けていた。すぐ後ろに、音葉も立っている。

「しょうがないよ。もう私、死んでるんだから」

 昇り行く煙を眺め続ける俺に、音葉が言う。

「だって、だっておまえはちゃんとここにいるじゃないか! 身体がなくなったらどうすんだよ? どうやって元に戻るんだよ!?」

「あの身体はもうダメだよ。もし、たとえ身体に戻れたとしても、脳みそも、血も全部ダメになっちゃってるよ。……だから、しょうがないんだよ」

「なんでだよ! どうしてそんなに冷静でいられるんだよ!? おまえは……おまえは……」

 淡々とした音葉の言葉に、思わず語気を荒げる。

 そして涙が溢れて、金色の世界が滲んでぼやけた。

 すぐ隣にある音葉の腕を掴もうと、手を伸ばす。しかし、その手はやはり空を切り、こんなにも近くにいる音葉に触れることは決して叶わない。

 二度、三度と繰り返すも結果は同じ。やがて、涙に視界が完全に奪われる。

 ただ、音葉が悲しそうな、辛そうな顔をしているのだけは分かった。

 だから余計涙が止まらなかった。

 俺は、声を上げて泣いていた。

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