12

 その日は、雨が窓を叩く音で目を覚ました。

 薄暗い、厚い雲が空を隙間なく覆い、冷たい秋雨が降り続いていた。

 雨は、夕方まで止まないらしい。

 先に起きていた音葉と挨拶を交わし、顔を洗いに階下へ下りる。普段より、少しだけ早い時間だった。

 特にこれと言った会話も持たず、家族で朝食をとる。親父は仕事を休めなかったらしく、定時に家を出ていった。

 葬儀が行われるのは昼過ぎからだ。

 午前中は時間があったので部屋でゆっくりしていると、しばらく窓の外を眺めていた音葉が、少し外に出たいと言いだした。

 今日は学校を休んでいるのと、雨が降っているのとで、外出するのはあまり気乗りしなかったが、音葉がどうしてもと言うので仕方なしに散歩に出た。

 開いた傘が、雨粒を弾く。

 思った以上に肌寒い。

 一つの傘に二人で肩を寄せ合って入っていると、いつもより音葉の顔が近くにあって、その横顔を意識すると少しだけ緊張した。

 しかし音葉は、せっかく外に出てもなにも見ていないようだった。なにもしゃべらず、ただ静かに雨音だけを聞いているようで、ずっと浮かない表情をしていた。

 当然か。

「音葉」

 声をかけると、音葉は静かに顔を上げた。

 遠くを見るような、いつもと違う物憂げな表情の音葉にドキリとする。

「俺、全然実感が沸かないんだ」

 如月音葉が死ぬ。

 それは音葉が目を閉じたときではない。心臓が止まったときでもない。

 葬儀という今日の儀式をもって、世間的に音葉の死は確定され、人々に認識されるのだろう。

 しかし、俺にとっての音葉の死とは、一体なんなのだろうか。

 分からない。

 だから、実感できない。

「私は……分かんないや」

 そもそも人は、自分の死など実感するものではないし、認識するものでもない。

 だって死とは、終わりなのだから。

 だからこそ、音葉はまだ生きている。

 俺の隣で、如月音葉は今も生きている。

 そう思わずにはいられない。

 昨日まで音葉はずっと明るく振る舞ってきていたが、たぶんこの物憂げで危うげな音葉が、本来の音葉のあるべき状態なのだろう。

 音葉の抱えるジレンマは、きっと俺なんかには比べものにならないはずなのだから。

 商店街を歩き、綱櫛神社の前を通り、そして家へと戻る。

 大した会話もしなかったが、家に戻った音葉は、先ほどよりも少しだけすっきりした表情をしていた。

 それから制服に着替え、母さんの運転する車で葬儀場へと向かった。

 葬儀には、学校の生徒たちもかなりの人数が参列に来ていた。

 クラス以外で来ているのは、たぶん合唱部の人たちだろう。その中には、三國さんの姿もあった。

 しばらく周囲を見回していると、三國さんが俺に気が付いたらしく、わざわざ挨拶をしに来てくれた。

「三國さんも、来てたんだね」

「はいです。……でも、やっぱり来なければ良かったかもって、今さら後悔してるんです」

「え、どうして?」

 驚く俺の隣で、音葉が不安そうな面持ちで三國さんを見つめる。

「だって、お葬式が終わったら、本当に音葉ともう会えなくなってしまう気がして。……ありす、怖いんです。今も、気を緩めたら涙が溢れ出てしまいそうで……」

 言いながら三國さんは、俺の肩に顔を隠すようにして、少しだけ涙をこぼした。

「迷惑でなければ、一緒にいてもいいですか?」

 消え入りそうな声で頼む三國さんを無碍にすることができるはずもなく、俺と三國さんは並んで椅子に座った。

 三國さん、もしかしたら合唱部の人たちとあまり仲が良くないのかもしれない。昨日も、音葉がいたから部活を続けてこれたって言ってたし、さっきも三國さんは、合唱部の輪からどこか外れているように見えた。



 そして、式は粛々と執り行われていった。

 坊主が経を詠む声と、すすり泣く声だけが場に響く。

 ……不思議な感じだった。

 きっと、音葉も俺と同じ気持ちだったのではないだろうか。

 まるで、この場で俺と音葉だけが別の世界にいて、そこからこの葬儀を眺めているような。

 周りの人が、なにをこんなに悲しんでいるのか、隣に座る三國さんがなぜこんなにも泣いているのか、理解できない。

 一体これは、誰のための葬式なのか。分からなかった。

 それは自分にとって一切の他人事であるかのように。たまたまやっていた誰か知らない人の葬式に、間違って入り込んでしまったように。

 これは一体誰の葬式をしているのですか?

 思わずそう尋ねてしまいそうなほど、この場の空気に、ただただ浮き足だってしまうばかりだった。

 しかしこの葬儀は、確かに如月音葉を葬る為のものだった。

 棺に入れられ、死に化粧を施された音葉の顔を見て、俺は愕然とした。

 ……違う。

 病院で、死んだ音葉の姿をみたときには、こんな気持ちにはならなかったのに。

 ……違う。

 否定の言葉を頭の中で反芻するが、もう、本当に分からなくなっていた。

 俺の後ろにいる音葉と、この死に装束を身にまとった音葉。どちらが本当の音葉なのだろうか?

 真っ白な音葉の顔を見た三國さんが、体を振るわせながら、俺の制服の裾を強く握った。花を手向けながら、涙を流した。

 彼女にとって、音葉は紛れもなく、この棺の中の少女なのだろう。

 でも、だとしたら、俺の後ろにいる音葉は一体何なんだろう? 幽霊? 幽霊だったら音葉ではないのか? 三國さんが涙を流したその少女は、俺のすぐ後ろにいるのに……

 焦燥と混乱で、思わず叫びだしてしまいそうだった。

 気持ちが悪い。

 必死にこらえて、必死にこらえて、大きく息を吐く。

 俺にとっての音葉は、一体どっちなのだろう?



 気づくと、式は終わっていた。

 三國さんが、「すみませんでした」と謝っていたが、なにを謝られたのか全く分からなかった。

 これから学校に戻るという三國さんと別れ、椅子に座ったまま呆けていると、姉さんが呼びにきた。

「ほら、行くよ悠太」

「……どこに?」

 ぼんやりとした思考のまま、特に意図もなく聞き返したその言葉に、姉さんは言った。

「火葬場」

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