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 縁結びのお守りを一人で買いにくる男子高校生を、巫女のお姉さんはどう思うのだろうか? それも二つも。

 まあ、どうも思いはしないのだろうが、このお願いは、精神的にも金銭的にも、そこそこなダメージを負うものだった。

 それから家に帰る道すがら商店街を通った時に、本屋の前で音葉が「そういえば、今日発売のファッション誌が……」とかおもむろに口にしていたが、俺はそれを聞こえない振りをして、家へと真っ直ぐ向かった。

 家につき、部屋に入るやいなや音葉は、出迎えた子猫を抱き上げ、俺のベッドを占領した。制服姿のままあぐらをかき、不満げに俺を睨む。

「いーじゃん別に、雑誌の一冊くらい。服買ってって言ってるわけじゃないんだよ?」

 こいつは分かってない。俺の財布の財政事情を全く理解していない。

「別に買わなくても、立ち読みだけでも良かったのに」

「俺に、本屋の店先で女性誌を立ち読みする勇気はない。それに、お守り買ってやったんだから文句言うなよな」

 言って、お守りの二つ入った小袋をカバンから取り出し、音葉へ放る。

 音葉は「それは、ありがとうだけど」と言いながらそれを受け取るが、

「エッチなのばっかり買ってるからお金なくなるんだよ」

 口を尖らせながらつぶやいた。

 確かにそれは、俺のこづかいが消費される一端ではあるが、それだけが理由で金がないわけでは断じてない。そもそもこづかい自体が少ないのだ。それに、昼飯代もこづかいから出さなきゃいけないし……

 しかし、そんなことを音葉に説明してもなんの意味もないし、なんの解決にもならない。そしてなにより、言い訳するのが面倒だ。

「じゃあ、姉さんのファッション誌借りてきてやるから、それでいいだろ?」

 そう提案すると、音葉は不満が残る顔をしながらも、結局それでいいと折れてくれた。

「じゃあ、ちょっと取ってくるから」

「一番新しいの借りてきてね」

 この後におよんでまだ注文を付けるのか。

 手をひらひらと振る音葉を置いて部屋を出る。

 姉さんの部屋は俺の部屋の隣で、音葉が付いてこなくてもなんとかなる距離だった。

 音葉は俺の背後霊になってから、家族のプライベートまで覗いてしまうことを気にしているようで、リビングと俺の部屋以外にはあまり入りたがらなかった。家族ぐるみで育ってきた俺たちが、今さらそんなことを気にする必要もないと思うのだが、無理強いすることでもないので、とりあえずは好きにさせていた。

 まだ大学から帰っていない姉の部屋に入り、手直にあったファション誌数冊を回収する。

 表紙に『今年の最新秋冬ファッション特集』と書いてあるので、新しいのもには間違いないだろう。

 ことを済ませれば長居は無用。そそくさと姉さんの部屋を出て、自室に戻る。と、ベッドに寝転がった音葉が既に雑誌を広げていた。

「なんだよ、人がわざわざ取りに行ってやったのに。雑誌あるんじゃんか」

「……うん」

「で、なんの雑誌見てんだ?」

「……うん」

 よほど雑誌に集中しているのか、聞いているのか聞いていないのか分からない返事をする音葉。

 そっと音葉の頭越しに、見ている雑誌を覗いてみる。

 そこには、たくさんの女の子が見開きで写っていた。それぞれポーズを取り、それは笑顔であったり、少し怒った表情だったり、苦悶に満ちた表情だったり……。衣装も、学生服やOL、ナースにメイドと様々で、水着や、もうむしろ服をなにも着ていない女の子も……

「って、うおおおおおおおおい!! なにを見てんだー!!」

 俺はこの十六年間生きてきた中で最速の動きでもって、音葉の見ていた雑誌を奪い取った。 

「……エロ本?」

「普通に答えてんじゃねえええ! つーかこれ、どこで見つけた!?」

「下に、落ちてたけど?」

 叫ぶ俺に驚いたように、きょとんとして音葉がベッドの下を指さす。

「それは落ちてたんじゃねえええ! それは隠して……いや、しまって……」

 どっちも一緒だった。

 とにかく、奪った聖書を慌てて机の引き出しへと放り込む。

 と、そこで我に返って気づく。

 音葉に、エロ本が見つかった。

 そこから行き着く俺の未来とは……。

 それはすなわち死を意味すると。

 瞬間、背後に殺気を感じたようで身が縮こまる。

 恐怖で、音葉を振り返れない。

 川に突き落とされた、あのときの恐怖が鮮やかに蘇る。

「……あの、音葉さん? もしかして、怒ってらっしゃいますか?」

 震える声で尋ねる俺。しかし、後ろから返ってきた言葉はとても意外なものだった。

「怒ってないよ。……もう、悠太がエッチなのはどうしようもないって分かったから、諦めたよ」

 呆れたように大きなため息をついて、音葉が言う。と、それと同時にポンッという乾いた音が聞こえた。

 本当か? 本当なのか?

 俺は許されたのか? ここで命を落とさずに済むというのか?

「だから悠太……ちょっとこっち見てよ」

 音葉の言葉に従い、そっと背後を振り返る。

 そして俺は言葉を失った。

 メイド服を着た音葉が、そこにいた。

 フリルの付いたブラウンのワンピースに白のエプロンを付けたメイド服。胸元には大きなピンク色のリボンがあしらわれている。

 音葉はベッドの上で、両足を崩してぺたんと座る、俗に言う女の子座りをして、甘えるような表情でこっちを見ていた。

 スカートから覗く白い太ももと、黒のニーソックスから透ける膝のラインについつい目がいってしまう。

「ななな、なんて格好をしてるんだおまえ!?」

「だって、悠太こういう格好が好きなんでしょ? 悠太のもってるエッチな本、みんなこういう服着た女の子ばっかりだったし、ありすがメイドカフェでバイトしてるって聞いたときだって……」

 自分でやっててやはり恥ずかしいのか、音葉は頬を紅潮させ、目線を泳がせ始める。音葉の息づかいが少しづつ荒くなっていくのが分かった。

「いや、だからそうじゃなくて、なんで急にこんな──」

「ねえ、私なんかでも……これならかわいいと思ってくれる?」



 俺は部屋を飛びだした。

 そのままトイレまでダッシュし、ドアを力一杯閉める。

 なんだあれは?

 一体何なんだ、今のは?

 音葉のやつ、幽霊になって頭でもおかしくなったのか?

 とりあえず便座に腰を下ろし、気持ちを落ち着ける。

 心臓が早鐘を打つようにドキドキいっている。

 不覚にも、音葉を見て興奮してしまった。いや、この言い方は誤解を生む。……そう、音葉を見て胸が高鳴ってしまった。

 ……どっちもダメだ。

 でも、音葉のあの姿、

「かわい……かったな」

 思い出して、無意識に声が漏れる。

 と、そこへ、

「ちょっとお、なんで逃げるわけ?」

 音葉がトイレのドアをすり抜け、顔を出した。

 急に出てくるもんだから、驚いて心臓が止まりそうになる。

「うわあっ! か、勝手に入ってくんなよ。ここトイレだぞ!?」

「だって、いきなり逃げるんだもん! せっかく変態な悠太のためにメイドさんになってあげたのに」

 音葉はぷりぷりしながら、エプロンを旗めかせてみせる。

 くそうっ、こいつやっぱり最初から俺のことバカにしてこんな格好してやがったのか。

 怒りはあったが、とりあえずトイレに二人でいるのはあまりにも狭いので、さっさと自室へと引き返した。

「どうどう? かわいかろう?」

 メイド服が気に入ったらしい音葉は、子猫を抱いて、うれしそうにくるりと一回転してせる。

「ああ、そうだな」

 机に頬杖をつき、不機嫌なのをアピールしてみるが音葉が気にする様子は微塵もない。

「コスプレってさあ、ちょっと恥ずかしいけど、すっごいかわいいよね。今度はあんなエッチなのじゃなくて、もっとちゃんとしたコスプレの本借りてきてよ。鈴成くんに言ってさ」

 いや、別に俺も宗介もコスプレが好きとか、そういう趣向があるわけではないのだが……

 変な性癖があると思われるのは非常に心外だ。宗介が変態だと思われるのは一向に構わないが。

「ね、ますらお~。ますらおもかわいいと思うよねー」

 音葉に頭をなでられた子猫が、気持ちよさそうに目をつむる。

「え、ますらお? なんだそれ?」

「なにって、この子の名前だよ。ねえ、ますらお」

 音葉が子猫の耳元で言うと、子猫が『みぃ』と鳴いた。

 ますらお……

 それを聞いた俺は、子猫のことをあまりにも不憫に思い、嫌悪の表情を隠しきれなかった。

「マジでますらおなのか? ネコにそんな雄々しい名前……おまえ、ほんとそういうセンスないよな」

「え~、そうかな? ますらおかわいいと思うんだけどなあ」

 自分のネーミングセンスを否定され、ふくれる音葉。

 そう、なんでもそつなくこなす音葉だったが、美術や文章などそう言った方面のセンスだけはからっきしだった。

 音葉が中学の時に七夕という題で描いた天の川はどう見てもドブ川にしか見えず、小学校の時に飼っていたハムスターの名前はサラエボだった。もう、トンヌラもびっくりのネーミングセンスだ。

「じゃあこの子の名前、シシカバブっていうのは?」

「なんで急に中近東の肉料理が出てくるんだよ?」

「だってかわいくない? 響きが」

「かわいくねーよ! 一体どんな感性してるんだおまえ」

「えー、だってー」

 かわいいと思ったのになあ。と、音葉が肩を落とす。しかしすぐに、

「よし、決めた。悠太をぎゃふんと言わせるような、かわいい名前付けてあげるからね! ネコちゃん」

 奮起したように、鼻息荒く音葉が子猫に言う。

 俺をぎゃふんと言わせる名前って……。普通に良い名前つけてやれよ。

 変な主人を持つと、苦労するな。

 音葉の胸に抱かれる子猫に、哀れむような視線を向けると、それに応えるように子猫は『みぃ』と小さく鳴いた。


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