5

 一階のリビングに下りると、ダイニングテーブルに一人分の朝食が用意してあった。

 両親の姿はなく、もうみんな食事は済ませてしまったのだろう。

 たぶん、両親は音葉の家へ行っているはずだ。

 白米に味噌汁。それに昨日の残りであろう炒め物。

 まともに食事をしたのが昨日の昼が最後だったので、胃はとても食欲旺盛だった。

「音葉も食う?」

「ううん、私モノさわれないし。それに不思議とお腹空かないんだ」

 聞いた俺に音葉は、胃の辺りをさすりながら答えた。

 まあ、幽霊なんだから腹が空かないのも当たり前か。

 しかし、そう言う割に音葉はなぜか、後ろから俺が飯を食ってるのをずっと見ている。

 食べれるということ自体がうらやましいのかと思い、しばらく放っておいたが、ずっと後ろでふわふわされてるのもなにか居心地が悪い。というか、非常に食いづらい。

「なあ、飯食ったら戻るからさ。ちょっと俺の部屋で待っててくれないか?」

 とうとう我慢しきれなくなった俺に、「あはは、やっぱ気になっちゃう?」と、音葉はなにか煮えきらないような笑みを浮かべてお茶を濁そうとする。

「それについては、悠太がご飯食べ終わって落ち着いたら話すよ。だから気にしないで」

 何か言いづらそうに、ごまかす音葉に頭を傾げながら、俺は仕方なしに食事に戻る。

 いや、おまえに見られてるのが落ち着かないから言ってるんだけどなあ。

 そういえば、さっき飯の前に顔を洗ったときもずっと後ろにいて、自分の姿が鏡に映らないとか、わーきゃー言ってたっけ。

 一体、なに考えてんだコイツ。

 そう不思議に思いながら、俺は音葉の視線の中、そそくさと食事を済ませた。



「は、離れられないいいいいいい!?」

 部屋に戻った俺は、またしても叫び声をあげた。

「そうなの。悠太と離れられないの、私」

 男ならば一度は女性から言ってもらいたい言葉だろう、『離れられない』。

 しかし今の俺にとって、それは死の宣告にも聞こえる言葉だった。

「な、な、何メートルだ?」

 これは、ショックで俺の頭がおかしくなったわけではない。俺は正常だ。おかしいのはこの世の不条理だ。

 どこまでなら離れられることができるのか、それはとても重要な問題だった。

 朝食を済ませて部屋に戻ったところ、「大事な話がある」と極めてまじめに切り出した音葉の、その話というのがこれだった。

 俺から離れられない。

 これは心理的な愛情表現を比喩した話などでは決してない。音葉曰く、物理的に俺から離れることができないのだそうだ。

 そこでさっきの俺の叫びと、質問とになるわけなのだが。

「だいたい二メートル、くらいだと思う……」

 上目遣いに俺の表情を伺いながら答える音葉に、俺は蒼白する。

 これはゆゆしき事態だ。

 女の子とずっと一緒にいられてキャッキャウフフとかそんなのは本当に浅はかすぎる思考だ。

 だって相手は幼馴染の音葉。それ以上に幽霊……

「いつまで離れられないんだ?!」

「え、知らないよ。……でも、昨日からずっと──」

「なんでこんな大変なこともっと早く言わなかったんだよ!」

「だってだって、昨日の夜言おうとしたら悠太疲れてるからって……」

 思わず語気を荒げてしまうと、音葉が珍しく泣きそうな声を上げたので、俺は口をつぐんだ。

 確かにそうだ。昨日寝る前に音葉はなにか言いかけていた。っていうか、昨日音葉が自分の家に帰らず俺の部屋に泊まった時点で、なんか変だと気づけ俺!

 しかし、これはゆゆしき事態である。

 音葉と四六時中一緒。これから先、いつまでかは分からないが、朝から晩まで音葉が必ず二メートル以内にいる。

 ……まったくゆゆしき事態だ。

 俺は今後のことを想像するだに、冷や汗をかいた。

「音葉、ちょっとそこに立て」

 俺は部屋の隅を指さし、音葉を移動させる。

「一体なにするの?」

 不安げに隅に立つ音葉に目もくれず、俺は部屋を対角線上に走った。ごく一般的な六畳の俺の部屋だが、最大距離を取れば五メートルにはなるはず。

 音葉の立つ角から逆の角へ向かい、ベッドへと飛び乗った。と、そこでちょうど距離の限界を迎えたらしく、音葉の身体が引っ張られるように走る俺に付いてきた。

「音葉、踏ん張れ!」

「ええっ!? 無理だよ。浮いてる状態なんだから、踏ん張りなんて効かないよ」

 必死に抵抗を試みる音葉だったが、結局あらがうことができずに磁石かゴムで引っ張られるように、俺との一定の距離まで戻ってきてしまう。

「くそう! この世に神はいないのか!」

 俺は両膝を折り、拳を床に叩きつけた。

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