3
ベッドの上で静かに眠る音葉は、とてもきれいな顔をしていた。
血も傷も既にきれいにしてあり、まるで本当にただ眠っているだけなのではないかと見紛うほどだった。
おばさんは泣き崩れ、立つこともままならないような状態だった。
「すまないが、今日はもう帰りなさい」
おばさんの肩を抱きながら力無く言ったおじさんの言葉に素直に従って、俺は病院を後にした。
あまりにもいたたまれない二人の様子に、そこにいることができなかった。
すまないとおじさんは言ったが、その言葉の意味がよく分からず、帰りの間ずっとその言葉を反芻していた。
音葉が死んだ。
その事実が、自分の中で実感できないでいた。理解できないのではない。実感ができない。
だから、涙は出なかった。
それは音葉の霊体が見えているためなのか。それとも音葉という存在が、俺の中であまりにも大きすぎたせいなのか。
音葉は帰り道、ずっと黙ったまま俺の後ろを付いてきていた。俺の言葉にも上の空で、ぎこちなさが深まるばかりだった。
胸に抱いた子猫が、小さく『みぃ』と鳴いた。
家に着き、心配そうに出迎えた母親を、「疲れてるから」と半ば拒否するように避けて二階の自室へと向かった。
子猫を降ろし、カバンを部屋の隅に投げ捨て、ベッドに勢いよく倒れ込む。
ネコ、結局つれて帰って来ちゃったけど、どうしよう。
最初に思い浮かんだのは、そんなことだった。
今日は、いろいろなことがあって本当に疲れていた。
「おじさんやおばさんと一緒にいてあげなくて、よかったのか?」
それは、部屋の隅で所在なさげにふわふわと浮いていた音葉へ向けた言葉だ。
「……うん。ごめんね、勝手に上がり込んじゃって。二人のあんな姿、見てられなくて」
「そっか」
自分の死を悲しむ両親を見るなんて。そんなこと想像もできないが、きっと耐えられるものではないだろう。
「それにね、悠太。聞いて欲しいことがあるんだけど……」
「ごめん。今日はいろいろあって、本当に疲れてるんだ。明日祝日で学校休みだし、明日ゆっくり話そう」
枕元の目覚まし時計を見ると、時刻は既に夜の十一時を回っていた。
学校を出たのが四時前くらいだったから、随分と長い間あの病院にいたことになる。
「分かった。明日……ね」
音葉も疲れたのだろう。床にぺたんと座るように腰を下ろす。
「どうする? 寝るのに布団出そうか?」
「ううん、いい」
立ち上がろうとする俺を制して音葉が言う。
「だって、私幽霊だもん」
その言葉に思わず、音葉の顔を見つめるが。音葉の表情はいつもと変わらない。ただ苦笑いのような、曖昧な笑顔を浮かべるだけだった。
「そっ……か」
音葉は、その後もう一度にっこりと微笑むと、自分の両膝を胸の前に抱えた。子猫がその隣に身体を丸めて横になる。
「なあ……音葉」
「なに?」
「……いや、なんでもない」
──大丈夫か?
──これからどうするんだ?
聞くべきことは山ほどあったが、それは今聞くべきことなのか、今聞かなければいけないことなのか分からなかった。
「おやすみ、悠太」
「ああ、おやすみ」
明かりを消すと、窓から隣の音葉の家が見えた。音葉の家には明かりは灯っていなかった。音葉の部屋も、窓の中には真っ黒な世界が広がっているだけだった。
それからすぐにして、俺は眠りの波に吸い込まれていった。
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