第二章 ハヤシライス

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  音葉が背後霊となって俺に取り憑くようになってから、二週間ほどが経っていた。

 音葉の葬式の夜のことがあってから、なんだか落ち着かないことも多かったが、やっとこの共存生活にもなれてきて、今はそこそこ上手くやっている。たぶん。

 ちなみにあの一件以来、俺と音葉の間には特になにもない。残念ながら、情けないことに全くと言っていいほどなにもなかった。

 さて、どうでもいいことだが、音葉と一緒に生活するようになってから、俺の部屋はずいぶんと綺麗になった。

 音葉が暇を見つけては掃除をしてくれるのだ。ゴミ袋とファ○リーズとクイッ○ルワ○パーを用意させた音葉は、せっせといらないものを片づけ始めた。

 無精者の俺の部屋は、お世辞にも綺麗とは言い難く、掃除をしてくれるのは大変ありがたいことなのだが、ある日ふと気づくと、部屋に貼ってあったまゆゆのポスターがなくなっていた。

 音葉にどこへやったのかと訪ねると、

「捨てた」

 と簡潔な答えが返ってきた。悪びれる様子のない音葉に、なぜ捨てたのか問いつめると、

「え、あんなのもういらないでしょ? 私がいるんだからそれでいいじゃない」

 二の句を告げさせる気はないようだった。

 まったく、女とは恐ろしい生き物である。

 だが、それよりもっと恐ろしい出来事が最近俺の部屋では起こっている。

 エロ本が、徐々になくなっていっているのだ。

 ここ一週間ほどの出来事なのだが、ベッドの下に隠して……もといしまっておいたエロ本が、日を追うごとに少しずつ減っていってるのである。

 どうせこれも音葉が捨てているのだろうと思い、音葉が掃除した後のゴミ袋をこっそり開けてみたが、その中にブツは入っていなかった。

 音葉は俺から一メートル五十センチ以上離れることはできないので、内緒で捨てに行くことはできない。

 ならば犯人は音葉ではないのだろう。

 だとすれば犯人は、姉さんか。はたまた母さんか。

 どちらにしろ、これはゆゆしき事態である。一歩間違えば、家庭崩壊の危機を招きかねない大事件である。

 最近俺は、それを思うと食事中も気が気じゃない。さっさと飯をかき込んで、逃げるように自室へと戻る。そんな気の抜けない日々が続き、どうにも身体に疲れが溜まってきているような気がする。まったくストレス社会とは恐ろしいものである。

 だがしかし、今はそんなことを悔やみ、恐れている時間はないのだ。

 なぜならば、明日から学校では地獄のテスト週間が始まるからだ。

 成績などそもそもあまり期待されていない俺は、とりあえず赤点を取らない程度にがんばってればいいやという極めて低い志でもって、あまり熱心に授業も受けず、毎回テスト前の一週間程で根を詰めて勉強するというスタンスを取ってきていたわけだが、今回はテスト前にいろんなごたごたがあったせいで、はっきりいって全く勉強をしていなかった。おそらくこのままでは赤点は必至、補習は免れないであろう。

 これはまずいと思い、本気で勉強をし始めたのが一昨日の金曜の夜。そして明日の試験科目は、現国と化学と数学である。

 現国はアドリブでたぶんなんとかなるはず。俺のセンスをもってすれば、赤点を避ける程度は造作もないこと。化学も単純な暗記ものなので、時間ギリギリでもそれなりになんとかできる。問題なのは数学だ。こればっかりはどうにもならない。公式さえ頭に入れれば、基礎問題くらいならなんとかなるだろうが、その他の応用問題に全く歯が立たない。そればかりは一朝一夕でなんとかなるものではない。基礎だけで赤点をクリアできる可能性はきわめて低く、これに関しては絶望的だった。

 だいたい何なんだよ、シグマって!? あんなMを横にしたのなんてもはや数字でもなんでもないし、意味分かんねえよ!

 俺が机に向って頭を抱えていると、横から笑い声が聞こえてきた。

 俺の守護霊様である。

 音葉は幽霊という身でありながら、ベッドにうつ伏せで肘を立て、スナック菓子をつまみながらテレビを見ていた。

 見ているのはバラエティ番組で、芸人たちがスタッフの用意したおもしろ仕掛けを見て笑ってしまうと、ケツを強制的にど突かれるという、不条理きわまりない内容のものだった。

 音葉がつまんだ菓子をなんの疑問もなく口に運び、サクサクと音を立てる。

 それを見る度に、俺は思う。

「おまえ、なんかずるくね?」

「え? なにがなにが?」

「幽霊なのになんで菓子食ってんの? 腹減らないんだろ?」

「うん。でも、味がおいしいのは分かるよ? それに、いくら食べても太らないし」

 なぜか音葉は、勝ち誇ったようなどや顔をする。

 音葉曰く、いくら時間が経っても空腹を感じることはないそうだが、おいしいものを食べたいという欲求はあるらしい。そして、いくら食べてもその後トイレに行きたくなることはないとのこと。

 ならば、食べたものは一体どこへ行ってしまうのか。

「それは女の子の秘密だよ!」

 ウインクをして、きっぱりと言い切った音葉をはり倒してやりたいと思ったのは、記憶に新しい。

「つーか、横でテレビなんかみてられると気が散るんだけど」 

「もう、普段からちゃんと勉強してないから間際になって焦ることになるんだよ?」

 なんだよ、母親みたいなこと言って。これだから優等生は。

 音葉はぷりぷりしながら起きあがると、ふわふわとこちらに飛んできた。そして、俺の口にスナック菓子を突っ込みながら、

「悠太、授業中も寝てばっかで全然勉強しないんだから。補習とか、カッコ悪いからやめてよね」

「そんなこと言ったってしょうがないだろ。最近いろいろあって大変だったんだから」

 言ってから、今のは嫌味に聞こえてしまったのではないかと勘ぐり音葉の顔を伺うが、音葉は気にする様子もなく、机に広げた教科書とノートをのぞき込む。

 そして俺の頭にポンと手を乗せ、ぐりぐりとなで回しながら、

「しょうがないなあ。おバカな悠太くんに音葉さんが特別に勉強を教えてあげよう」

 フフンと鼻を鳴らして、音葉は後ろにひっくり返るんじゃないかと思うほどふんぞり返った。


 音葉は俺には触れることがでる。そして、俺も音葉に触れることができる。

 この二週間、いろいろ試みた上で分かったことがこれだ。

 音葉は無機物に対して物理的な干渉をする事ができる。そしてまた、動物や草花に対しても同様に物理的な干渉を持つことができる。

 しかし、あえて俺にはと言ったように、音葉は他の人間に干渉する事ができない。姿が見えないのはもちろんのこと、触れられもしないし、声も聞こえない。

 俺たちがお互いに触れ合えるのにも、なにやら制約があるらしく、月が出ている夜に音葉ががんばればということらしかった。

 音葉がなにをどうがんばっているのか俺には分からないし、月がどう作用しているのかも分からない。

 ただ綱櫛神社の神様のおかげだと音葉は言っていたが、菓子を食ったり、好きな洋服に着替えてみたりと、適当さ極まる自称守護霊の音葉のことである。

 そもそも、まじめに考えるのがバカらしいというもの。事実がそうであるならば、それをそのまま受け入れ、深く追求しないのが利口だろう。


 そんなこんなで、音葉先生による一夜漬け勉強会が始まり、ここ二週間ほどの、普段通りの夜は更けていった。

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