第7話 正 尊

 暴れる亡霊、傾く卒塔婆。必死でぶら下がる小町とおれに向かって霊の鉄杖てつじょうが振り下ろされる。その時突然、念仏が聞こえてきた。


見我身者けんがしんしゃ 發菩提心ほつぼだいしん  聞我名者もんがみょうしゃ 断悪修善だんなくしゅぜん……」


「!?」


 小町の頭蓋を割らんとする鉄杖の勢いが、その3センチ手前でぴたりと止まる。念仏は続く。


聴我説者ちょうがせっしゃ 得大智慧とくだいちえ  知我心者ちがしんしゃ ……即身成佛そくしんじょうぶつ!」


 詠唱が響き渡ると、三体の霊はボンドで固められたかのように動かなくなる。義経は好機とばかり、目の前の霊に剣技をたたき込む。連続クリティカルヒット! 斬られた霊どもはピクリとも動かない。一方、小町を殴ろうとしていた霊も完全に静止し、その手から鉄杖がゆるゆると滑り落ちる。それに伴い、おれと小町に掛けられた重力魔法も和らいでいく。


「のじゃ……。助かった……のか?」


「そうみたい……ね……」


 小町は安堵と共に力尽きたか、浮遊卒塔婆をよろよろと地面に降ろす。灯台ほどもある巨石の卒塔婆が横倒しとなって、草の上に着地する。おれと小町は汗だくのまま、大の字になって寝ころんだ。そこに全身ベージュ色の服を着た男が近づいてくる。


「危ないところにござったな、旅の方々」


 男はそう言って、横たわるおれと小町に薬草を差し出した。おれは蜘蛛の腕を伸ばして薬草を受け取る。


「かたじけない。おぬしが念仏を唱えてくれたのか?」


「なかなか(その通りです)。それがしも旅の道中なれども、通りすがりに強い妖気を感じ、様子を見にきたった次第」


「強い妖気……。それってわしのじゃない?」


 おれは蜘蛛の手をひらひらさせながら言う。男は落ち着き払って答える。


ぞうろう、しかし。妖魔も色々、人間も色々なれば。あなたは良い妖怪とお見受けした」


「いかにもわしは優良のじゃロリ、土蜘蛛のキャロルじゃ。おぬしは何じゃ?」


「名乗るほどの身にあらねども、それがし土佐坊正尊とさのぼうしょうぞん。熊野参詣さんけいの僧にて候」


 男は簡潔に名乗る。その眼差しは穏やかでありながら、どこか虚ろにも見える。この特徴的な目付きと堅苦しい口調を、おれは知っている気がする。


 * * * * *


 おれたち一行は正尊をもてなし、キャンプファイアーを囲むことにした。おれと義経が獣を狩り、小町は卒塔婆を変形させてコンロを用意する。聖徳太子はめしをよそう。正尊には休んでいてほしいと告げたが、結局、薪集めに協力してくれた。日が傾き、夕闇が辺りを包み始める頃、おれたちはバーベキューを開始した。


「うん、んまい! 小町も食え、焼けておるぞ!」


「あんたに言われなくとも! っていうか、その肉はまだ焼いてるの。あたしはウェルダンが好きなのよ」


 おれと小町は相争って肉を食う。義経がそれを諫めて言う。


「二人とも、まず土佐殿に取り分けて差し上げようよ……」


 正尊はコンロから少し離れ、一人でたまねぎを食べていた。が、おれが肉を持っていこうとすると、正尊は手を上げて制止する。


「お構いなく。それがし出家しゅっけの身ゆえ、肉食にくじきは避けてそうろうほどに」


「うえっ、マジかよ。誰じゃ、バーベキューにしようと言うた奴は!」


「いやいや、野菜だけでも十分有り難う候。旅の糧食は貴重なれば」


 そこへ義経が近づいてきた。


「土佐殿、此度こたびの助け、改めて感謝申し上げる」


勿体もったいのうお言葉にて候。むしろ、かかる所で義経殿に相まみえんとは望外のほまれにて候」


「こちらこそ」


 そう言って、二人は静かにビールを注ぎ合う。


「なんじゃ、おぬしら知り合いか?」


 おれが疑問を口にすると、正尊が微笑みながら答える。


それがしは義経殿が兄君、源頼朝よりとも公の家来にて候。義経殿のことは、鎌倉でお見掛けしたことがあり申す」


「ほう、義経の兄貴の……? じゃあ、敵なのかえ? 頼朝公は義経を討とうとしていると聞くが」


 おれは義経に目線を送る。が、義経は笑って答えた。


「土佐殿は何も知らぬそうだ。そう仰るなら、そうなのだろう。武士の指示系統は縦割りだしな」


 そう言って義経はジョッキを傾ける。正尊は痛ましげに言葉を継ぐ。


「御兄弟の行き違いのよし、風の噂には聞き及んで候。事実なら返す返すも残念にて候、さりながら、それがしは熊野参詣の途中。今はただ、天竺を目指して候」


「熊野参詣というとあれじゃな、全国888か所の熊野神社を巡るとかいう……。天竺に向かうということは、その修行も大詰めということじゃな」


「然り、天竺の熊野はスタンプラリーのゴールにて」


 正尊はたもとから朱印帳を取り出す。


「御覧ずるか、集めた887個のスタンプを。これらは一つ一つに由緒あり、神訓あり、教説あり。まずは旅の初め、シベリアの熊野で授かった印について申せば……」


「いや、遠慮するのじゃ。わしは妖魔じゃから、そういうの苦手じゃし」


 正尊は朱印帳を引っ込める。そこに小町がやって来た。


「土佐さま、食べてらっしゃるかしら。イモはいかが?」


「好物にて候。かたじけない」


「とんでもないですわ、命の恩人ですもの。霊のストーカーを倒して頂いて、ありがとうございます。ところであれって……消えないんですの?」


 小町は霊の方を指さした。三体の霊は白っぽいエフェクトがかかったまま、未だコンロの傍に立ち尽くしている。その動きは完全に止まっているが、姿は消えずに残っているのであった。義経がこれに答える。


「どうも、いくら斬ってもHP0にはならないみたいだ。そういうタイプの敵らしい」


「除霊には至らねども、それがしがパーティにいれば大丈夫にて候。見たところ御一行にはプリーストがいない様子。差支えなければ、しばし同行して護衛つかまつるが、如何か」


 正尊が申し出ると、弁慶が義経の影の中からぬぼっと現れる。


「……このパーティの対霊防御はネクロマンサーがやっている……。プリーストは必ずしも必要ない。さっきはちょっと相性が悪かっただけ……」


 弁慶はあからさまに不満顔である。しかし義経がそれを制する。


「なに、目的地は同じなんだ。それに人員に余裕があれば、それだけ弁慶はおれの護衛に専念してくれる。そうだろ?」


「……反対とは言ってない……」


 弁慶は口元をぶくぶくと泡立て、再び影の中に潜っていく。義経は正尊のほうに向き直って言う。


「土佐殿、頼もしい限りだ。さあ、キャンプファイアーを囲もう」


 * * * * *


 おれたちは食事を終え、火を囲んで車座に座った。小町がBGMに琴をつま弾く。正尊が持参したウイスキーを開け、皆に振る舞う。


「義経殿はなぜ天竺へ?」


 正尊が尋ねる。


「ああ、まあ……。お察しの通り、兄上絡みだよ」


 義経はそう言って杯を傾け、一息ついて話を続ける。


「兄上とおれのことは噂になっているようだが。実のところ、何がどうなってるのか未だによく知らない。兄上が何を言ってるのか、おれには全体的に分からん。おれは雰囲気でやっている。


 おれにはある種のコミュニケーション能力が欠けているのかもしれない。……天竺のみやこに行けば、どんな願いも一つ叶うと聞く。それでおれは、人間の心を入れてもらおうと」


「然様にござったか。差し出たことを尋ねてしまい……」


「……それか、あるいは。天竺一の勇者と戦わせてもらうか、どちらの願いで行くか迷っている」


 義経は杯を空け、お代わりを手酌で注ぐ。正尊の目元が一瞬暗さを増したように見えたが、すぐ元にかえる。正尊はグラスを揺らしながら今度は小町に尋ねる。


「小町殿は?」


「あたしは、特に願いとかはないわね。困ってることとか欠点とか、ないから。ま、ちょっとしたレジャーかしら。セレブというのは時々、社交界から離れたくなるものよ」


「わしが誘ったんじゃなかったっけ? 確か、あの時はみやこの舞踏会で、わしが会場をめちゃくちゃに壊して……」


「そうだったかしら? 覚えてないけど、何にせよ退屈してたわね」


 おれが口を挟むと、小町はすげなく流す。そこで正尊はおれの方を向き、三たび尋ねる。


「キャロル殿は?」


「わしは……。わしは、何じゃろな。……そう、『最も極楽に近い』とかいう話じゃった。そういう島があって、そこは一度見てみたい。じゃがまあ、それはどっちでもよくて、それより、わしは義経のおりじゃゆえの。こやつについて行くと退屈せんのじゃ」


「わかる」


「……わかる」


「何となく分かり申す。……いや、これは失礼」


 その場の全員が同意した。義経だけは微妙に分かっていない。


 * * * * *


 皆が寝静まり、虫の音ばかりが響く中、正尊の気配がゆらりと動く。亡霊の妖気も微かに揺れる。正尊は辺りを見回している。その虚ろな視線を、おれは肌に感じる。目を瞑ったままだがおれには分かる。おれは確かにこの男を知っている。少なくとも、かつてのおれは知っていた。


 この男を、おれは殺したはずだったのだが。

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