第5話 大 江 山

 月のみやこを立ち出でて、山道を進むこと三日。峰々はみな朱に染まり、はや晩秋の装いと見える。前を行く茨木童子は旅装。といっても薄衣を掛け、市女笠いちめがさを申し訳程度に被っている他はほぼ半裸である。


 慎みのないヤツだ。一方おれは、衣の裾を壺折つぼおりにからげた貴婦人スタイルでびっちりキメている。狐の姿になって走った方がラクなのだが、やはり高貴な者は佇まいを正さねば。


「あだっ」


 木の枝が額にぶつかってきた。おれが怯んで立ち止まると、茨木がこちらを振り返って言う。


「……そんな恰好してるから。街道ならいざ知らず……」


「か、かまうでない。それより、まだ着かんのか? 大江山には?」


「もうちょっと。……鬼が棲むとされる『大江山』が実際にはどの山なのかは諸説ある。京都の北のほう、丹後国たんごのくににある大江山だとされることが多いけど、みやこにほど近い大枝山おおえやまのことだという説もある」


「ふむ?」


「だけどいずれにせよ、本当の『大江山』は結界によって隠されている。特定の道順で進まなければ辿り着くことはできない……。時たま、修験者や旅僧が迷い込むことはあるけども」


「迷いの森とか、迷路ステージのようなものじゃな」


「そう。ちなみに京都の北、今でいう福知山市のあたりに大江山連峰というのがあるけど、これはあくまで『連峰』全体をさしていう名前で、『大江山』という頂上をもった山頂があるわけではない。そういう意味では、『大江山』という山は存在しないとも言える……」


「なるほど」


 ……ん? こんな会話あったっけ? 「今でいう」の「今」っていつの話だっけ。どうも、道が険しかったせいかディテールを覚えていない。


「にしても、茨木よ。おぬし、少女ではなく男じゃと言うておったに、なんで市女笠とか被っとるんじゃ。女装か?」


「……しゅうちゃんの趣味……。」


 この会話はあった。


 * * * * *


「などと言っているうちに、ここがシェアハウス『大江山』だよ」


 茨木が門の前で立ち止まる。それは唐突に現れた一軒の家で、見たところ人間の住処と変わらない。駐車場の付いたごく普通の三階建てで、人倫じんりん通わぬ奥地であることを除けば、奇妙な点はない。茨木はインターホンを鳴らす。ややあって、スピーカーから応答が返ってくる。


「だれだぁー?」


 屈託なき少年の声である。茨木はそれに答える。


「……ただいま、しゅうちゃん」


「あー、茨木! 今開けるよぉ!」


 音声が途切れるとともに、ロックが自動で外れる音がした。そうして茨木は扉を開け、おれを玄関に招き入れる。


「まあ、とりあえず上がって……。あ、一つ言っておくけど」


「のじゃ?」


しゅうちゃんに会ったら、してはいけないことがある」


「ここのルールか。何じゃ」


しゅうちゃんに会っても、絶対に……」


「絶対に……?」


「惚れちゃダメだから」


「……分かった分かった……」


 おれが呆れながら靴を脱いでいると、一人の稚児ちごが階段を下りて現れた。


「茨木、おかえりぃ」


「……しゅうちゃん。ただいま……」


 茨木は身をかがめ、しゅうちゃんと呼んだ稚児の胸に頬を寄せる。


「うん、久しぶりだぁ」


 稚児の外見は年の頃七つか八つくらいに見える。角は見えないが、茨木の話だと、幾千年もの齢を重ねた強力な鬼のはずである。その髪は赤く、瞳も赤い。頬もリンゴのように色づき、足元は引きずって穿くタイプの赤色の袴。その上に、金の刺繍が入った豪奢な唐織からおりを羽織っている。


「っと。茨木よ、そちらのお方は?」


 稚児がこちらを向いて言う。茨木が答える。


「これは妖狐・玉藻前、あるいは有栖川キャロル。色々と曖昧なのじゃロリ、あるいは男……。ボクの腕の一つを見つけてくれた。それでここへ案内した」


 おれは続いて挨拶する。


「暇じゃから案内されてみた」


 稚児が微笑んで応じる。


「茨木が世話になったねぇ、ありがとう。れはシェアハウスの主、酒呑しゅてん童子。まぁ、何もないけどゆっくりしてってよ」


 見た目は幼く口調もフランクだが、ゆったりとした話しぶりからは身分の高さが感じられる。同じく高貴なおれには分かる。


「では、お言葉に甘えてお邪魔するのじゃ。よろしく」


「最近はお客が多い。今も外部の人が二人ほど逗留してるから、退屈はしないと思うよ」


「ほう?」


「貴族っぽいのと僧っぽいのが居る。後で紹介するよぉ、とりあえず二階に上がって……」


「二階に上がって……?」


「一杯やろう!」


 たちまち宴席が始まった。外からは普通の家と見えたが、二階に上がると百畳からの座敷が広がっており、さながら旅館の大宴会場である。時おりMacBookProを抱えた黒鬼やパジャマ姿の青鬼がふすまを開けて現れ、自由に宴会に加わり、また自室に帰っていく。座敷の奥には鉄の扉がそびえ、その真ん前で半裸の鬼どもがむさ苦しく酔いつぶれている。筋肉が隆々と盛り上がったその腕を枕に寝そべるのが、主・酒呑童子の定位置らしかった。


「あはは、茨木に引かれたか! あははは!」


「のじゃ。あれしきのヘドロで戦意を無くすとか、普通思わないじゃん!? ねえ?」


 おれと酒呑童子はみやこでの戦いぶりを肴に飲む。茨木は酒呑童子の横に控えて酌をするが、話の成り行きには不満顔である。


「……だってさ、紫色のヘドロをさあ。口からさあ……」


「軟弱なのじゃ!」


「あははは。茨木はみやこ暮らしが長いからなぁ。まぁ、そういうトコがかわいいよ」


 酒呑童子は手を伸ばし、茨木の頬を人差し指で撫でる。


「……………………」


 茨木は顔を赤らめて黙り込んでしまう。おれは身体がむず痒くなる。


「あ~あ~、甘々じゃのう。風紀が乱れとるのう」


「あはは。ここはハーレムラノベだからね」


 その時、雅な歌声が宴会場に響いた。


「リア充よ 絶えなば絶えね ながらへば

 飲んで飲んで飲んで爆発もぞする」


 とうとうと詠み終えた歌い手が立ち上がると、その身の丈は六尺ばかりの堂々たる美男子。出で立ちは質素な狩衣かりぎぬ(運動着)ながら、端々に金銀の糸が使われ洒脱である。酒呑童子が拍手しながら迎える。


「いいコールしてるね、お客人! どれ、一杯いただくかぁ」


 そう言って酒呑童子は美男児より酌を受け、一気にあおる。その間、美男子は和歌のフレーズを繰り返す。


「飲んで飲んで飲んで 飲んで飲んで飲んで」


「ぷはぁ。イケメンの声を聞くと杯が進むね。あ、紹介しないとな。キャロルよ、これがお客のうち貴族っぽいほう」


 美男子はあぐらを組んで座り、おれの方に向き直って名乗る。


「ご紹介に預かりました、私は光るきみともあだ名される源氏の者。ミッチとでもお呼び下さい」


 わざとらしいまでに優男やさおとこのオーラ、なるほど貴族っぽい人物である。というか、源家げんけの者ならリアル貴族である。


「はぁ、わしはのじゃロリのキャロル。よろしゅうな」


 おれは無難に返事をする。いい奴っぽいしルックスもイケメンだが、おれのタイプとはやや違う。こういう男よりも、おれの気を引くのはむしろ。おれは、先ほどから宴会場の隅っこでもくもくと飲んでいる別の男に目をやる。


「酒呑よ、あそこで飲んでいるのがもう一人の客人かえ? 僧っぽい出で立ちだが」


「そうだよ、一緒に紹介しておこうか。おーい、お僧よ、ちょっと来てくれい」


 呼ばれた男はこちらに顔を向け、一瞬様子を伺ったのち、ゆっくりと立ち上がる。こちらも源氏の男と同じくらいの長身だが、その目は虚ろで、どことなく憂いを帯びている。悪く言えば陰キャっぽい。服装は全身ベージュの僧形そうぎょうであり、頭には三角の頭巾をかけ、顔の両サイドに布を垂らしている。それが目元に影を落として、ますます陰キャっぽい。

 こういう変人じみた奴の方が面白い。僧が我々の傍まで来ると、酒呑童子が立ち上がって話しかける。


「うぇ~い、お僧よ、飲んでるか? 一杯どうよ?」


「……さあらば一つ、下されそうろうべし」


 僧は杯を静かに傾け、しかし一息に飲み干した。その肩に手を回しながら酒呑童子が言う。


「お僧よ、呼びたてて悪いな。新メンバーを紹介しようと思ってな。こちらはのじゃロリのキャロル。しばらく滞在するそうだ」


「キャロルじゃ。暇つぶしに来ておる。よろしゅうな」


「……宜しく頼み申す。それがし土佐坊とさのぼう正尊しょうぞんと申す者。熊野もうでのため東国よりまかす道中、此方こなたに宿を求めて候」


 ……異様に堅苦しい。生真面目な男なのかもしれないが、何かを隠そうとしているようにも感じる。やはり面白そうだ。


「さあさあ、皆の衆。紹介が済んだところで、一つ余興と行こうじゃないか!」


 酒呑童子が手を打ち鳴らして告げる。


みかどゲ~~~ム。①番が⑤番にキスする! はいくじ引き! キャロルから!」


 酒呑童子が宣言すると、茨木が目に何らかの決意を漲らせる。やれやれ、退廃的なハウスだ。源氏の男は場を自然に盛り立て、正尊はあからさまに居心地悪そうにし始める。茨木から焼き付くような視線が注がれる中、おれはくじに手を伸ばした。

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