第4話 戻 橋

「返して……」


 浅黒い肌の少女が無表情のまま言う。肩に掛けた薄衣がぼんやりと揺らめく。


「返せじゃと? おぬしの腕か?」


 おれは腕をもう一度見る。その皮膚の色はなるほど、少女と似て浅黒い。だが。


「おぬし、腕は二つ付いているではないか。おぬしが如きっぱより腕を取った覚えもない。何用じゃ?」


「…………」


 少女は問いには答えず、麻布にくるまれた顔からじっと視線を送ってくる。おれが持っている腕を見つめて動きも喋りもしない。


「まさか物乞いか? わしが鬼神じゃと分からんのか。目が不自由とかか? 教えてやってもいいが、わしはなぁ。やあ、わしこそは。天竺にては班足太子の塚の神、大唐にては幽王の……」


 その時、少女の瞳が藍色に閃いた。と思ったのは、咄嗟の気配におれが飛びのいてからだった。背後からの異様な殺気。

 おれの喉仏が一瞬前まで占めていた空間を、冷たい刃が貫いていた。


「!? ……なんじゃ!?」


「…………チッ。仕損じた」


 少女の舌打ちは前方から聞こえてくる。しかし、おれの感じた殺気は完全に背後からのものであった。湾曲刀の類を投げたのか? 否、月光を浴びて白く輝く刀身は、今日おれが武士どもから奪った二尺五寸の太刀。それを握る毛むくじゃらの手は。


「……なるほど、おぬし屍術師ネクロマンサーか」


 太刀を握る手は、おれが肩からもいだ腕の一つだった。その腕がまた別の腕に支えられ、あたかも多関節の腕が地から生えたようになって刀を構えているのだ。疑いなく、死体を操る屍術師の術に違いない。


「……腕を返せ……」


 少女の声は低くくぐもり、瞳が立て続けに三回収縮する。と同時に地に生えた腕が滑るように跳ね、こちらに切り込んでくる。右、左、右。もはやうろたえるおれではない。


「かかっ、愉快なり! 女児が我を退治せんとするか!」


 おれは刀を三つ跳びに避け、鉤爪一閃、女児の首を落とす。つもりであったが、女児の薄衣を四つに裂くのみだった。屍術師の少女は後ろに宙返りして三回、千切れた薄衣に紛れて白刃に薙がしめる。おれはそれらをすり抜け、少女に向けてヘドロ爆弾を吐いた。


「げぼーっ!!」


「うわ、こいつ!?」


 おれの口から出た紫色のヘドロは少女の顔面を直撃……するつもりだったが、地に生えた腕が素早く飛び上がってガードする。腕とヘドロは揉みくちゃになって落下し、構えていた刀も地に落ちる。


 ジュウゥゥゥウウ……。肉の焦げる音と共に、生ごみを煮詰めて酢で溶いたような匂いが立ち込める。腕は二秒ばかりもがいて白骨になる。ヘドロは溶けた肉と混ざって橋をも浸潤し、木材をほぐしていく。刀はぼろ雑巾のようになる。


「見たか、必殺ヘドロ玉。わしの妖狐としてのスキルじゃ」


「…………汚なっ。」


 少女は麻布を手で覆って口元を押さえ、鼻まで隠している。おれが殺生石として身に付けた毒のスキルは、レベルが上がってコントロール可能になっていた。かの老僧を殺すには十数分を要したが、今や二秒で人間を溶かすことができる。おれの口元も若干溶けるが、痛みは妖力で和らげる。


「さあ、覚悟!」


「……いや、ごめん……。ちょっと止めとく……」


「お、おぬし、屍術師であろう! この程度で気持ち悪がって何とする!」


「いや、えぐい戦法は理解する……んだけど……。何というか……」


 少女はグズグズになった白骨と星とヘドロをちらちら見ながら眉をひそめる。


「……確かに、ネクロマンサーは悪臭に対する訓練を受ける……。人体をグチャグチャに扱うことも躊躇わない。戦闘思想もえぐい方。しかし逆に言うと、通常とは別の形で『いのちの尊厳』みたいなものを大事にしている奴が多い……。無意識かどうかにかかわらず。


 あんたの下品な技は、何というかやる気を無くさせるものがある」


 いきなり長文でディスられた。なんか、微妙にひどいこと言われてない? おれは反論しようとするが、舌先が溶けてしまってうまく喋れない。


「もごもご。人間ふぜいが、感傷的なことを……」


「人間? ああ……そう見えるか」


 少女はそう言うと、頭をくるんだ麻布を小さくめくって見せた。あらわになった額には一本の角が斜めに生えている。親指の先くらいの大きさだ。


「のじゃ? おぬし……鬼?」


「そう」


「え、女児に化けてる? いやでも、だって。妖気がなくない?」


「……あー……。とりあえず、腕返して」


 鬼と称する少女は、おれの手から浅黒い腕をさっとひったくる。そして顔の前に掲げると、かぶりついて一息に飲み込んでしまった。腕の指先はすぼまり、少女の歯の間に消える。


「ふう……。これでやっと五本……」


 おれは何だかわけが分からない。疑問が口からこぼれ出そうになる前に、少女は説明を始めた。


「ボクは茨木童子。詳細は言いたくないが、以前、片腕を斬られて無くした。妖気が弱いのはそのせいだ。今くっつけてるのはボクの元々の腕じゃなく、死体の腕だ。これを動かすために、わざわざ屍術を習う羽目になった……。」


「ふむ?」


「斬られたボクの腕は十のかけらに分けられ、みやこの土に埋められてしまった。取り戻しにくくするためだ。……人間のウィザードも、近頃は悪知恵が回る。


 土に返ってしまった腕は、みやこで生まれる全ての勇者の腕の中にランダムでドロップすることになった。その腕は、勇者が生きている間は見分けがつかないが、勇者が死ぬと十万分の一の確率でレアアイテム、つまりボクの腕に変化する。それを十本集めれば、本来の腕を合成することができる。


 それで周回してるってわけ」


「それはまた……。ご苦労なことじゃなあ」


「ほんと、結構大変なんだよね……。ドロップさせるための条件も色々あるし。人間が僕の腕を集めてるって噂もある」


「まあ、それで合点がいった。齧った時に死体の腕かと思ったが、鬼の腕じゃったわけじゃな。どうりで苦いわけじゃ」


 おれは納得し、改めて別の腕を齧ってみる。


「ほら、こっちは苦くない。おぬしもいるか?」


「……もらう」


 茨木はおれが差し出した腕を受け取り、おれの横に三角座りで座る。被っていた薄衣をおれが裂いてしまったので、腰布を残して半裸の状態である。その腰布の横にぶら下げた瓢箪を、茨木は外してこちらに差し出す。


「……飲む?」


「あ、もらうわ。一杯やりたかったとこじゃ」


 おれは瓢箪を受け取って唇に当てる。爽やかな香りの液体が口の中を満たす。と同時に、炭酸がしゅわしゅわいって鼻に抜ける。


「お、強零きょうれいの大吟醸。ハイカラなもんを飲んどるな」


「……いま流行のスパークリング日本酒。女性にも人気……。けどボク、男だけど」


「そうなの」


「この時代の日本酒は濁り酒がメインで、清酒も甘いものが多いと言われている……。そこへ持ってきて、辛口の造りと強い炭酸でドライに仕上げたのがこの強零きょうれい。嫌いじゃない……」


「うむ。殺伐とした戦いに殺伐とした酒……素晴らしい」


 そう、この時代にはまだあの屍術師の少女、弁慶は生まれてもいないのだ。確かにそうだ。酒をあおって月を見やると、黄ばんだ光がおれの眼球を照らす。濁った記憶に炭酸が注がれて泡立つ。

 おれの横でぽりぽりと腕を齧っている少年、茨木は屍術の手練れだ。その腕前は弁慶に迫る。細い体躯、伏せがちな眼差しもよく似ている。しかし、別人だ。そう言い切れる理由についてはすぐに語ることとなるだろう。なぜならこの後……。


「……いっぺん山に帰ろうかな……。装備を整えたいし、しゅうちゃんにも会いたいし」


 茨木が言う。


「山?」


「うん、大江山。鬼のシェアハウスがある……。来る?」


「面白そうじゃな。みやこにいても何かヒマじゃし」


「腕を見つけてくれたし。殺そうと思ったけど、生きてるから。お礼に案内するよ」


 茨木は瓢箪に栓をし、立ち上がる。月はいまだ高いが、山の向こうは白みつつあった。


しゅうちゃんってのはおぬしの彼氏イロか?」


「ばっ! ちが、そんなんじゃ……」


 茨木は躓きかけ、慌てて姿勢を立て直す。あやうく溶けた橋の穴に足を突っ込むところだった。


「……あるけど……。」

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