第3話 丘 弁 慶

「ブギョゲボーッ!!」


 一刀のもとに斬り伏せられた兵士が足元に転がる。真二つに割れた頭から血潮がほとばしり、具足を赤く染める。……と言いたいところだが、兵士の武装は元より赤い。番傘から草履に至るまで赤く染め抜かれた鎧、これは平家のイメージ・カラーである。


 その屍を源氏の貴公子・義経が踏み越え、さらに二、三の敵をなで斬りに斬る。頸、腿、頸。流れ作業に致命傷を受けた敵はしかし、地に臥した瞬間赤い霧と化して消える。


「血液系のアンデッドか。こりゃまた厄介じゃのう!」


 おれは義経に負けじと、背中の蜘蛛脚で敵を引き裂きながら言う。おれたちは平家の亡霊に包囲されていた。足元は泥のぬかるみ、周囲は霧渡る森。アンデッドどものおめきに混じって、ヒヨドリの金切り声が暁の空に響く。


「わくらばに 死ぬ人あらばひよの坂に 血糊垂れつつ寝不足と答へよ」


 小野小町が和歌を詠む。その声はアンデッドに劣らず低く、安眠を妨げられた恨みが籠もっている。髪はぼさぼさで全くツヤがなく、ぶちまけたような白粉おしろいの口元から塗りたくったお歯黒が覗く。こちらが怨霊かと見紛うばかりだ。


「あたしは低血圧なのよ!」


 小町は胸元をはだけたまま叫ぶ。首から臍にかけて露になった肌には、香ががんがんに焚き込められている。


「とんだ豪傑じゃのう、小町こまっちゃんよ」


 おれは妖魔特有の遊び心が湧いて、ついおちょくりを入れてしまう。すぐさま、冷水のような小町の視線が浴びせかけられる。


「キャロルあんた、十二単なめてんでしょ。只でさえ、戦場でこれ着こなすのは大変なのよ! 香の火加減だって、ましてや寝不足で……。あ、めっちゃダルくなってきた。ふぁあ……」


 小町はかこちつつ浮遊卒塔婆そとばをぞんざいに動かし、蠅でも払うかのように亡霊どもを掃く。


 聖徳太子はしゃもじを構えて米をよそっている。事が片付いたらすぐ朝食を取れるようにとの心遣いだ。聖徳太子の専門は法律関係なので、いくさの場ではあまり出番がない。


 五十人、いや百人倒しただろうか。敵の勢いはいまだ止まらず、おれたちを波状に攻め掛けてくる。義経は少しも騒がず、機械めいた動きで兵を切り続けている。……ようやるわなあ、おれは少々疲れてきた。あいつ、この辺で声を掛けてやらないと延々りつづける気だな。森に踏み込もうとしている義経に向け、おれは後ろから声を掛ける。


「おーい、義経や~い。こやつら、キリがない系じゃありゃせんか~?」


「うーん、そうかも分からんね。ボスがいるタイプの亡霊ならそろそろ出てきてるよな、これくらい切ったら」


 義経が切りながら答えてくる。


「そろそろ頼むか……。弁慶に。おい弁慶、いるか?」


 義経が振り返って問うと、そこには一人の少女が立っている。義経の影から現れたかの如くだ。


「いけるか?」


「……うん。」


 弁慶と呼ばれた少女は虚ろな目つきで答える。その口元は、巻きつけた粗布に半ば埋もれている。頭と腰にまとった粗布の他は、墨染の衣を肩に掛けただけの簡素な格好だ。いや、それに加えて、藍色のポンポンを左右の胸に3つずつ下げている。肌は不健康に浅黒く、まるで浮浪者が山伏から盗んだ服を引っ掛けているといった風情である。

 少女はゆっくりと腰に手をやると、粗布のひだから数珠じゅずを取り出す。それを両手で握りしめ、再びゆっくりと腕を持ち上げて、額の前に構える。

 その動作の間、義経はさらに五、六体の亡霊を切り払う。

 少女が口を開く。


「……こいつら、血液系のアンデッドは大地の水分を吸って蘇る。打物技うちものわざではキリがない……。


 ……ボス個体や、操っている屍術師は付近に見当たらない。義経様への怨念に駆られて自然発生した軍勢だと考えられる。


 ……火攻めが有効だけど、この規模に対応できる呪力はボクらにはない」


「なら、どうする?」


「……力技で。」


 途端、弁慶は両手を激しく揉み合わせ、数珠をジャラジャラと鳴らす。同時に低い声で呪文を唱え始める。


「……唵ル・ルヴ・トゥルー・リム・モダン・ドルチェ・ポンティア・オーウェル・フロール・ヴォウ・ワオ・ドロー……」


 弁慶の足元あたりの泥が、数珠と呪文のリズムに合わせてうねり始める。

 いや。


「おわっ? ここまで範囲に入ってるの?」


 おれの足元までも膨らみ始める。辺り一帯に地鳴りが低く響き、森の枝々からカラスが飛び立つ。呪文は続く。


「……私の体の髪を見てください私の体の髪を見て私の体の髪を見てボディ心私の名前は壊れて悪い修復聞いて私の心を知っている人の偉大な知恵仏……


 すなわち、仏……」


 ぬかるんだ地面が波打って上下し、ついにそれを突き破って白い腕が生える。泥をかき分け、青ざめた人間の腕が無数に生えてくる!

 辺りに満ちる気配を警戒してか、敵兵の動きがやや鈍る。いや、敵の脚に白い腕が群がって捕まえ始めていた。もがく敵兵に縋りつくように、白装束の軍勢が泥から立ち上がった。


「これは源氏の亡霊だ!!」


 白い兜に白い衣、白い旗竿、白い刀はまさしく在りし日の源氏のユニフォームであった。白く濁った眼と肌を除いては。源氏の亡霊たちは鬨の声を上げ、平家の亡霊たちに斬りかかる。


「……軍勢には軍勢、アンデッドにはアンデッド……」


 西塔の屍術師、武蔵坊弁慶は数珠をしまいながらぼそりと呟く。


「……こいつら、コントロールしてないから。とっととずらかろう、義経様……」


「え、コントロールしてないんだ」


「源平の亡霊は惹かれ合う。放っておいても亡霊同士で戦うけど、平家が全滅したらこっちを襲ってくるだろうから……」


「懐かしい源氏の連中、もう少し眺めていたいが……。まあ、逃げるか!」


 義経はそう言うと、弁慶を小脇に抱えて走り出した。おれは慌てて二人を追いかける。


「いてっ、ごめん!」


 今や源平の亡霊がそこらじゅうで切り結び、混雑の中をぶつからずに走り抜けるのは至難の業だ。小町は構わず、卒塔婆に乗って敵も味方もなぎ倒しながら進んでいる。おれはなんとなく通勤時の癖が出て、アンデッドを避けようとしてしまう。朝の横浜駅より大変だ。


 にしても弁慶の奴、見かけによらず大味な技を使いよる。考えてみれば、初めて会った時もそんな感じであった。


 あれはいつだったか。確か、おれはみやこに着いたばかりで。義経がまだ牛若だったころ……。


 * * * * *


「のじゃっ」


「ひええええ!」


 サムライどもがどたばたと逃げていく。なんだ、根性のない。ちょっと腕をもいでやっただけではないか。半分欠けた月は今やっと上り始めたばかり、夜は始まったばかり。何もかも中途半端で、おぼろな光がみやこを照らしている。


「これからなのに……」


 ここはみやこの西北、一条戻橋もどりばし。「戻り橋」という名は、かつてこの付近に屍術師ギルドの本部があり、持ち込まれた屍を有料で蘇生していたことに由来する。だが今後はこのおれ、キャロル、あるいは玉藻前が舞い戻ってきたことを記念してこそ「戻り橋」と呼ばれるべきだろう。


「あーあ、つまんないな」


 集めた腕をぽりぽりと齧りながら、おれは独り託つ。我が遊び相手、義経を求めて都までやって来たというのに、きゃつは出家の身だという。ん、頼経だっけ。頼光だっけ……? 千年前には確かそういう名であった。


 最初は、寺に火をつけて炙り出してやろうと思ったが、この辺の山野は天狗の勢力下になっていてイマイチややこしい。義経の気配も、うまく隠されているのか感知できない。しょうがないから、橋を通りかかるサムライを適当に襲って、ぽりぽり、ぽりぽりやっている。


「ん、うぇっ。この腕、妙に浅黒いと思ったら腐っておるではないか。ぺっぺっ」


 おれはたまらず口に含んだ肉質を吐き出す。と共に違和感を抱く。


 「……んん? 解せんな。ここに積んだのは今日集めたばかりの分なのに。死体の腕が混ざっているはずはない……」


 ふと、手に持った腕に影が落ちる。見上げると、顔に麻布を巻いた少女が立っていた。いつの間にか、目の前に。


「……腕、返して……」

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