第2話 玉 藻 前

 いつの間にか日は暮れ、ススキ野に夜風が吹き始めている。おれは理不尽にも岩として転生したらしい。そのおれの頭上で、一人の老僧がまさに息絶えんとしていた。老僧は自らの正体を妖狐・玉藻前たまものまえの成れの果てであるという。そういう風には見えないが。


「ぐふっ……。喋りすぎたようじゃ。これも定めか……」


おれの頭上に血を滴らせながら老僧が呻く。


「ど、どうしたんです?」


「どうもこうもないわ。那須野なすのはら殺生石せっしょうせきといえば、その封ぜられた妖気のために毒のオーラを放っており、近寄る生き物は死ぬという。さっきキジが落ちるのを見たじゃろう」


「言われてみれば」


「おぬしも一殺生石として、毒のスキルを所持しているということじゃ。わしは元の姿に戻ったことで免疫が消え、おぬしの毒にやられたらしい」


「でも、毒とかそういうのを出そうとしたつもりはないんですが……」


「パッシブスキルなんじゃろ。とにかくうかうかと喋りすぎたわい」


「うっかりは誰にもあります。しかし、どうなるんです?」


「わしは玉藻前の成れの果て。妖魔とはいえ高貴な生まれじゃから、みっともない姿は見せとうない。一つ、ささやかな頼みに耳を傾けてはくれんか」


 おれを身代わりにして逃げ出そうとした老僧に対し、不思議と憎しみは湧かなかった。血を吐いて苦しそうだからかもしれない。こういう姿を見ると、人間は意外と心に余裕が生まれるものなのだ。今は岩だけど。とにかくおれは、老僧の最期の頼みを聞いてやろうという気になった。


「何をすればいいんですか……?」


「うむ、わしの葬儀を盛大に執り行って欲しいのじゃ。都内の一流ホテルを貸し切って天皇を招き、オーケストラを揃えてレクイエムを演奏して欲しい。そのレクイエムは羊膜を被って生まれてきた聖なる音楽家に作曲させ、演奏が終わると同時に彼を生け贄に捧げなければならない。そして天上人をして五年間は喪に服さしめた後、わしを記念する古墳を築いて欲しい」


「どあつかましいわ!!」


 おれはすんでのところで老僧を張り倒しそうになったが、動けないので何もできなかった。それをいいことに老僧は語り続ける。


「古墳の立地は天竺の西端、『最も極楽に近い』とされる島の一等地を希望する。その島は百年のうち九十九年は霧の中に隠されており、残り一年の終わりの九日間だけ幻のように浮かび上がるという。それで……」


「おい、お断りだって言ってんだろ」


「わしの伝説が後世に語り継がれなくてもいいのか!」


「知るか! そんなことよりおれを元に戻せ!」


「じゃあまあ、仕方ない。なら、夜が更けるまで経文を唱えてくれんか」


「だいたいあんたのせいで……。えっ?」


 スケールが急にダウンしたので、おれは肩透かしを食ってつんのめりそうになった。動けないので、実際につんのめることはないが。


「一晩でいい。どのみち、わしの知己ちきは既に誰一人としてこの世におらんじゃろう。千年も封印されてたんじゃ。おぬし一人だけでもわしを弔ってくれれば、儲けものじゃ……」


「…………」


「元よりおぬしには関わりなきこと。断られても、それはそれで諦めよう」


「……それくらいなら、いいですよ。やりましょう」


 おれは老僧の頼みを聞き入れていた。この老僧を責め立てたところで、元の世界に戻れるわけでもなさそうだし。わざとではないにせよ、おれが放った毒のせいで死ぬのだというし。読経くらい引き受けてやってもいいだろう。


「かたじけない。我が跡いてたび給え、我が跡弔いてたび給え」


 老僧は白煙に溶け、夜のとばりに消えていく。風が逆巻き、しかし音は立てずにススキがそよぐ。おれはゆっくりと手を合わせ、経文を唱え始めた。動けないので手は合わせられないし、経文は知らないので唱えられないのだが、なぜか手を合わせることができるし、唱えるべき経文が心に浮かんできた。弔いの煙を照らす月光が、おれの頭をも明るく輝かせる。あるいは骨伝導こつでんどうと同じ理屈で、月が経文を教えてくれるのかもしれなかった。


 一心不乱に経を読んでいると、経に混じって何やら声が聞こえ始める。


 * * * * *


「……ル……キャロル……聞こえますか……」


 誰かがおれの名を呼んでいる。


「キャロル……キャロル!」


「誰じゃ、人の名を……気安く呼びおって」


「キャロル! 良かった、気が付いたのね」


 おれが目を開けると、涙でぐしゃぐしゃになった小野小町の顔が目の前にあった。


「おぬし……化粧が剥がれておるぞ。みっともない奴じゃの」


「ばっ、この、何を! あ、あんたこそ、義経様に心配かけてんじゃないわよ!」


「かかかっ、済まんかったのう。ここはひとつ和歌で許しを乞うてみようかの」


「似合わないこと言ってんじゃないわよ。さあ、義経様に詫び入れて来なさい。……ほら、立ちなさい……。キャロル? キャロル……!」


 * * * * *


「のじゃーーーーっ!!」


「な、なんだ!?」


突如、大岩が二つに割れ、閃光が湧き出た。もやを伴ったその光は夜闇を九つに分かち、月の輪郭をかすませる。五色に照り映えるススキを踏み分けて、狐の姿が現れた。


「石に精あり弔辞にキアリー!! 玉藻前とは我が事なり!」


大音声を上げて名乗るその形は、狐でありながら少女のようにも見え、不思議極まりない。気勢に満ちた声、ぴょこんと立った獣耳と対をなすように亜麻色の髪がしとやかになびく。


「な、何がどうなったんだ? お、大岩が割れて……。って、大岩はおれだから、おれが二つに割れて!?」


「いかさま、さようっ!」


「いや分からんよ!」


「うろたえるでない! おぬしの読経の力、そして殺生石に降りかかった老僧の血液が合わさってエナジーをもたらし、この玉藻を完全復活せしめたのじゃ!」


「え、老僧は玉藻前だったんじゃないの?」


「さよう! じゃが、今のわしはおぬしと一心同体。よく見よ、二つに割れた大岩はおぬしの抜け殻に過ぎん。中から現れ出でたこのわしこそが、おぬしでもあるのじゃ!」


「言われてみれば……」


 耳に入る玉藻の声が、おれの喉から出ているような気がする。おれは自分の両手のひらを見つめた。おれの手、こんな小ぶりだったっけ? しかし、見慣れた手指のようにも感じる。その皮膚は白く透き通り、月光を受けてまばゆく光っている。おれは自分の顔に触れ、次いで頭髪を撫でまわしてみる。三角形の耳が、指に倒されてへにゃりと曲がる。


「なるほど、そのようじゃ。しかし、何でこんなことに?」


「うむ、推測に過ぎんが……。おぬしは転生したことをわりと何となく受け入れた。そういう流され気味の性格じゃによって、『複式夢幻ふくしきむげん』のスキルを身に付けたのじゃろう!」


「『複式夢幻』じゃと!?」


「さよう。『複式夢幻』こそは自分と自分でないものの境界をぼやかし、夢幻のうちに融合するスキル。これによって、わしの能力や性格をおぬしの中に合流させたのじゃ。いわばコピースキルの上位版じゃな、たぶん……。」


「たぶん?」


「推測じゃと言っとろうが。それに、おぬしが知らんことをわしが知っている道理もなかろう。おぬしがわしなんだから」


「確かにそうじゃな。……くくっ、それではようやく、あの忌まわしき封印から解き放たれたのじゃな!」


 ここにきて、おれは自由の実感が湧いてきた。大岩のままススキ野に一人取り残されて過ごすなんて、もう絶対にごめんだ。


「わしは自由じゃ!」


「さよう、さよう。して、何とする?」


「知れたこと。再び王法おうぼうを傾け玉体ぎょくたいを悩まし、日本を荒らし回ろうぞ。千年分の青春を取り戻すのじゃ!」


「言うたり! そうと決まれば行こうぞ、みやこへ!」


 おれは大岩を蹴り、夜嵐を駆ってみやこへ跳んだ。この時、おれが既に、あるいはまだ土蜘蛛であったなら、跳ぶよりも這う方を好んだことだろう。いずれにせよ、おれの頭の中は宿敵のことで一杯だった。焼いて殺すか、煮て食うか? 我が不倶戴天の敵、都で安穏と過ごしているであろう、かの源九郎義経めのことで。

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