日本の国のアリス、または複式夢幻主人公
戸塚こだま
一
第1話 殺 生 岩
おれの名前は
「キャロル、大丈夫か。だいぶ歩いたけど疲れてないか?」
義経が優しく気遣ってくれる。いくさの場では冷酷非道だが、普段はジェントルでいいヤツだ。さすがは名門貴族にして一流の戦士、源氏の血統といったところだろうか。おれは機嫌よく答える。
「わしを侮るでないぞ、人間。土蜘蛛がこれしきの山道で疲れることなどあり得んのじゃ。疲れたら背中の脚で歩くからのう」
そう言って、おれは仰向けに寝転んで見せる。すると背中の四本脚が接地して、寝たまま歩けるという寸法だ。この移動法は脚が3組あるようなものなので、単純計算で常人の3倍移動することができる。自慢の髪が泥まみれになってしまうという欠点はあるにしてもだ。
「まぁはしたない、和歌も詠めないくせに! 義経様、こんな妖怪に配慮する必要ないですわ」
小野小町が上から目線で割り込んでくる。小町だって、浮遊
おれたちは天竺を目指している。
だが、まずは一つずつ説明させてほしい。おれは普通の日本人で会社員の男なのに、なぜ土蜘蛛の美少女で、源義経と天竺を目指しているのか?
その謎を解く鍵は日本にあった。
* * * * * *
新宿駅のホームで通勤快速を待っていたら、トラックが階段を駆け降りてきて横転した。そしておれは大岩の下敷きになって死んだ。トラックの荷台に大岩が三つ積まれていて、それらがゴロゴロ転がってきたからだ。人々は逃げ惑うヒマもなく、ボウリングのピンよろしく四方に蹴散らされた。
三國志に出てくる計略みたいな出来事が、現実にも起こり得るということが分かった。なるほど、三國志は史実を元にしているわけだから、一種の現実とも言える。同じ現実なら、いきなり転がってきた大岩に蹴散らされる可能性も等しくあるわけだ。
目が覚めると、おれはススキ野に佇んでいた。辺り一面の枯草色に、抜けるようなコバルトブルーの秋空。流れる
キジの骨の、である。おれは衝撃を感じなかったし、微動だにしなかった。いや、できなかった。全く動けない。おれは大岩になっていたのだ。その上にキジが落下したのである。
「岩でも目を覚ますことがあるんだな? しかし、岩に目はないのに、なぜおれはキジを見ることができるんだろう。なぜ、骨の砕ける音が聞こえたんだろう」
「
いつの間にか、一人の老人がおれの上に座っていた。
「骨伝導?」
「さよう。こうして会話ができるのは、おぬしに直接触れながら話しているからじゃ。触れながら話すと振動が伝わって、聴力が無くても音が聞こえるんじゃ。おぬしが若人だということも、わしには分かるんじゃ」
「では、おれにススキ野やキジが見えるのも……」
「似たような原理によるのじゃよ」
おれは目先の不思議さに気をとられ、なぜか自分が大岩になっていることや、そもそも死んだはずであることなどは忘れていた。老人は落ち着き払って、竹の水筒に口をつけている。よく見ると(見えるのだ)老人は
「あなたは僧なんですか?」
「そうなんじゃよ」
老僧は全く落ち着き払っている。いったい何者なのだろう?
「ここはどこなんです?」
「日本じゃよ」
「いえ、それは景色から何となく分かります。おれも日本から来たので。日本のどこなんです? おれは東京にいたはずなんですが……」
「トウキョウ? 知らんな。ここは
「しもつけ……? えっと、それって栃木県でしたっけ? すると、おれはタイムスリップしたのかな」
「そうとは限らんよ。日本、日本と一口にいっても、広い世界には色々な日本がある。ここはひとつ、この那須野が原で起こった出来事について語って差し上げよう。それを聞けば、おぬしが元いた日本とこの日本が同じ日本かどうか判断できるじゃろう」
「では、お願いします」
老僧はおれの上に座ったまま、脚をあぐらに組んで威儀を正し、おもむろに経文を唱え始めた。と同時に、僧が歴史を語り始めているのがおれには分かった。なるほど、骨伝導を使えば口で語られている以上のことが聞き取れるらしい。コツを掴めば容易いことだ。
「昔々、その昔、名を
「はい」
「それがわしだということじゃ」
「話、終わった」
三行にも満たずに済んでしまった。しかも、老僧が玉藻前なる妖狐本人であるという。そんな話で何をどう判断しろというのだろうか。おれの困惑を察したのか、老僧は厳かに付け足した。
「事実は時としてシンプルなものじゃ」
「しかし、秘められた経緯もあるのでは?」
「いかさま、さよう。わしは妖狐として犯した罪のため、罰として大岩に変えられた。そして、誰か身代わりが訪れるまで捨て置かれることを定められ、千年の間放置されたんじゃ。身代わりとなる者が来れば、わしに代わってその者が大岩となり、わしは元の姿に戻れる定めじゃった」
「ふむふむ」
「そしてちょうど千年目の今日、おぬしが現れて大岩と化し、わしはこうして復活したわけじゃ」
「なるほど……」
「おぬしがどこから来たのかは知らんが、大岩になったのはそういうわけなんじゃ」
ようやく話が見えてきたようだ。おれは何らかの原因でここ那須野が原に飛ばされて、老僧と入れ替わりで大岩になったらしい。推測するに、大岩の下敷きになって死んだせいで大岩に転生したのかもしれない。シンクロニティというやつだ。
「転生ということは、ここはやはり異世界の日本なんですね」
「そういうわけなんじゃ。では、達者でな」
「待って下さい、おれはどうすれば?」
「知らん。千年待てば、また次の身代わりが現れるかもしれん。じゃが、その仕組みまでは知らんから何とも」
「そんな殺生な!」
「だから
こうして、おれの岩としての異世界ライフが始まった。……土蜘蛛や義経はどうなったのかって? まあ、待ってほしい。そちらも確かに現実の一つであって、おれの幻想というわけでは決してないのだ。今はまず、この次に起こったことを語らねばならない。なぜなら……。
「ワハハハ……。ぐふっ」
老僧が突如咳き込んだ。見ると(見えるのだ)、その手のひらは朱に染まり、顎から鮮血のしずくが滴り落ちていた。
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