~鉱山都市と白き獣~エピローグ
この後、ガレスたちは予定通りに北へ…、先にドルチェたちが向かった大陸の北に位置するアルドアへ向けて出発し、この本は終わりを告げる…。
それまでに、ジョーゼとの買い物があったり、アリエスとセスが模擬戦闘をしたり、色々と起きたりするけど、この後は問題なくオーロヴェストでの仕事は終わりを告げるのだ。
ふぅ…と息を吐き出しながら、何かの気配を感じて、彼女は分厚い本を閉じる。
途中、コクコクッ…と、何度も意識が飛び、短い睡眠を挟んだけど、一晩でそのほとんどを読み終えてしまった。
空は白け始めている。
他の隊の人達が見れば、彼女の行動はおかしい。
---[01]---
夜とは眠るもの、いくら作戦行動中で、護衛の任を受けているとはいえ、夜の闇は全てを呑み込むモノだ…、普通なら交代で夜の警戒に当たる…、もちろん彼女もそこは守った…、数が減ったとはいえ、副隊長の彼女とその部下1名、2人で警戒には当たっていたのだ。
…副隊長、体調の方は大丈夫ですか?…
そして、休んでいた部下が起き、疲れ切った目で…クマのできた目で彼女の方を見る。
自分よりも、長い時間警戒をしていてくれた副隊長、交代し、彼女が休む番になっていたというのに、軽い睡眠だけとって本を読み続けた彼女、にもかかわらず、その顔には、部下以上の疲労の色は出ていない。
もちろん、全く疲れの無い顔をしている訳ではないけれど、それでも…尊敬する隊長だとは言え、部下は不気味に感じざるを得なかった。
---[02]---
…大丈夫。私の体はそんなにやわじゃないから。起きているだけなら、何て事はないのよ…
聞けば、幼少の頃から、星詠みの巫女の元で修練を重ね、その体に宿る生命力を制御する事で、常人では成せない身体能力を得たのだとか。
もちろん、生命力を扱う事自体は、別段珍しい話ではない。
この世に名を刻む武人達は、誰も彼も、常人とは思えない力を有していたと聞く…、副隊長である彼女の戦う姿は、まさにソレを彷彿とさせる。
彼女ほどではないにしても、今なお存命な人たちの中にだって、武勲を轟かせる方々の多くが、常人の力を逸脱した強さを見せていた。
それに…なにも武術に限った話だけではない。
副隊長が時に見せる秘術…、生命力を利用して発現させる神の御業は、神技として、達人の方々が使う事の出来るモノだ。
---[03]---
決して彼女だけが特別という訳ではない。
それはわかっているのに、部下にとっては、そんな彼女の当たり前が、当然ながら当たり前ではなく、恐れる要因としてはごく十分なモノだった。
…そんな事より、周辺に何か異変はありませんでしたか?…
副隊長である彼女は、緊張した面持ちの部下の事を気にするでもなく、立ち上がりながらその目をしっかりと見て、問う。
…異変…ですか? いえ。今も村の周辺を巡回してきましたが、目に付くようなモノは何も…
部下は息をのむ。
多少の眠気はあったものの、巡回に手を抜いたつもりはない。
空が白け始めているとはいえ、まだまだ暗い時間であるためか、むしろ視界に不自由がある分、感覚が研ぎ澄まされ、周囲をいつも以上に見れた程だ。
---[04]---
何より、前日に仲間が何人も命を落としたのだ…、ソレは一緒に夜の警備に回った者だったり、同じ鍋で煮込まれたスープを飲んだ者だったり、厳しい訓練を共にやり抜いた者だった。
その死を目の当たりにして、どうして気を緩める事ができよう…。
副隊長もその事は重々承知のはず、巡回に行く時には、その旨を報告しもした。
だからこそ、部下はほんの少し、怒りを覚えた。
お前…仕事が不十分では?…と言われているようで、腹が立った。
でも、そんな怒りも、部下の腹からは一瞬で消えていく。
副隊長は強者だ。
今でこそ、多くのしがらみの影響で、こんな小さな隊の副隊長という役に就いてはいるが、武に関しては昨日命を落とした隊長の数段上を行くし、その聡明さも群を抜いている…と部下は思っている。
---[05]---
彼女の頼もしさを、彼自身が無意識に神格化させてしまっている部分は、正直言ってないとは言えないだろう。
それでも…、少なくとも、彼自身と比べれば天を見上げる程の格上である事は確かだ。
仲間が死ぬ中、残った者を守ろうと殿を務め、そして1人…戦い抜いて…生き残った…、ソレを可能にするだけの実力がある…、そんな彼女が、異変を感じ取った。
自身の目をしっかりと見て、その真剣な目を向けた…。
何気なく、巡回から帰って来た部下の報告を聞こう…という雰囲気ではない。
それはまさに、自身の抱く違和感を確認するかのような…、そんなモノだ。
部下は、自身の口元に手を当て、改めて自分が見てきたモノの中に、何か違和感を覚えるモノが無かったかを思い出す。
---[06]---
大きな異変は無かった…ソレは確かだ。
些細な問題こそ見なければいけない…。
問題とも言えない事…、些事であっても、異変として報告せんと…と、彼は思考を巡らせる。
そして、引っかかるモノを覚えた。
この村は、平原にある。
元々は、この周辺に多くの木々が生い茂っていたようだが、ソレは昔の話だ。
それというのも、この村が林業を生業としているからで、近くの林のほとんどは植林されたモノであり、まだまだ商品価値の低い木々ばかり…。
巡回中、そこへも足を進めたが、ソレはあくまでそこに昨日襲って来た連中のような化け物や、こちらに被害をもたらす動物が来ていないかの確認だった。
---[07]---
勿論その林には足を踏み入れておらず、近辺まで行った程度だ。
しかし、今思えば、その行動も、行き過ぎている…と彼は思うが、そんな事はどうでもいい…と首を横に振る。
引っかかるというのは、その林を見てきた時の事だ。
そこに、植林したには大き過ぎる木が1本…あった気がする。
正直、彼には自信が無かった。
昼間に1度だけ、それもチラッと見ただけの植林地の事など、覚えているかと言われても、首を横に振るだけだ。
こんな状況でなければ、その木だけ切らずに残してある…と、頭の中で自己完結するだけで終わる。
部下は、不安を抱きながら自信なく、違うかもしれない…と言い訳を残しながら、その事について、副隊長であるアリエスに告げた。
---[08]---
彼女は、片手で持っていた本を胸に抱え、顎に手を当てながら沈黙する。
暑くもないのに汗を額から垂らしながら、部下は彼女の返答を待つ。
そんな部下の様子を一瞥して、その植林地に向かいます…と彼女は言った。
こんな状況でなければ、本当に何でもない事…として片づけられる事だ。
それは彼女も理解していた。
しかし、見に行かなければいけない…と思える理由はある。
何事もなかったと思っていた事柄が、問題アリ…という認識に変わった部下は、とにかく不安そうだ。
やってしまった…と、後悔を隠しきれずにいる。
きっと、昨日の仲間の死を、これからあるかもしれない自身の未来と重ねているのだろう。
---[09]---
そうなるほどに、確かにそこには異変があった…と、彼自身が理解している。
もちろんソレだけでは、彼女も動かない…、言ったとしても気になるな…程度のモノだろう。
しかし彼女は動く。
こちらが、動かざるを得ない理由だ。
奇しくも、部下が異変を感じた場所が、彼女が何かの気配を感じた方角にあり、彼女の感じた違和感を、その報告が革新へと変えた。
何かいる…。
彼女は持っていた本を、手早くしまい。
---[10]---
護衛対象達を起こして、いつでも動けるようにしておくようにしておく事と、念のために…と、何かあるかもしれない事を、村長に伝えるように指示を出し、いざ植林地へ…と向かおうとした矢先…。
未だ静寂が包む夜の世界に、ドスンッドスンッと、聞き慣れぬ音が耳へと届いた。
胸騒ぎを覚えながら、彼女は少しでも自身の心を落ち着かせようと、腰に携えた剣の鞘を握る。
剣はある…、戦える…と、自分へ言い聞かせた。
音はまるで何かの足音のように、規則正しい音を響かせる。
太陽が顔を覗かせ、さらに周囲を照らす。
そして、彼女は見た。
護衛対象の研究者たちは、未だに馬車の中で呑気に寝息を立てているが、村の住人の幾人かは日が昇り出した事で起き始めている。
---[11]---
その聞き慣れぬ音は、どうやらそんな村人たちにも聞こえ、尚且つ聞き慣れるモノのようだ。
何事だ…と不快そうに家の外へと出てくる者もいる。
部下に指示した事をすぐにやる様に急かし、音の原因を探ろうとした時、ソレは視界に入った。
それは、見上げる程の巨木。
そんなモノ、森の近くに行けばいくらでもあるし、昨日足を踏み入れた森には、ソレが普通であるかのように乱立していたものだ。
しかし、ソレが今ここにあるのはおかしい。
その場にいる人間全員が目を疑う。
そもそも、木なんて生えていなかった場所にその巨木はあった。
---[12]---
村の周囲は切り開かれた平地であるから、木があるなんて事自体がおかしい、だがそんな事は些事だ。
誰が見ても、あの木は問題だ…と口を揃えて言うだろう。
その木は、自力で、歩いていたのだ。
恐怖を覚える…というより、誰もが呆気にとられた。
それもそうだろう。
木はひとりでに自分の力で動く…、その光景はあまりに現実離れし過ぎていた。
昨日襲って来た狼も、本来の姿とは違う異形になり果てていたし、昨日の事だけだったら、混乱の中見間違えた…という言い訳が、苦しくても言える…自分に言い聞かせられる。
---[13]---
でもこれはダメだ。
大木が歩いている。
人間のように両手を揺らし、両足を動かして、地面を歩いている…、その光景を見て、ドスンッドスンッと、大木が歩く度に音を響かせる。
そしてその大木には目が合った。
早朝の朝日の眩しい中、確かにその腕の付け根の上、人で言う所の頭があるであろう場所に、赤く光りを放つ目が…。
そこまで目にしても、今だに彼女は、目に映るモノが信じられなかった。
動く木の存在なんて、聞いた事もない。
今回の任務以外での、森や山に入ったし、訓練で、大森林の中何日間も行き度見させられた事もあった。
---[14]---
でも、こんな大木とは巡り合っていない。
昨日の狼もそうだが…この大木も…、これではまるで、あの本の中に登場する魔物が、この世界に現れたようではないか…、今起きている事を今一つ理解できぬまま、昨日の狼に襲われた事実を思い出して、彼女は剣を抜く。
同時に、大木は歩くのを止め、彼女の方をジッと見た。
オオオオォォォォーーーーッ!
その咆哮は突如として、辺り一帯を呑み込んだ。
大木が大口を開けて、咆哮を放った。
その瞬間、明らかな敵意が、こちらへと注がれる。
---[15]---
…・・・ッ!! 戦闘態勢ッ! 非戦闘員の避難…ッ!?…
オオオオォォォォーーーーッ!
オオオオォォォォーーーーッ!
オオオオォォォォーーーーッ!
何の間違いなのか。
目の前の大木とは別の咆哮が響き渡る。
同時に、ガシャンッガシャンッと、けたたましい音が響き、ソレは降って来た。
さっきまで家だったモノ…、その残骸が空から降り注ぐ。
何事か…と咆哮に起こされた研究者たち、だが遅い、助ける事ができない。
すぐ横にいた部下の手を取り、自身の荷物を持って跳躍し、その場から離れた瞬間、その残骸たちは、今まで彼女がいた場所へと降り注ぎ、彼女達が使っていた馬車を潰した。
…副隊長…?…
部下の声は震え、状況を理解できないようだ。
それは彼女とて同じ。
そして、追い打ちをかけるように、ソレは視界に映った。
最初に見た大木と同じような大木が、何本も、村を取り囲んでいた。
…鉱山都市と白き獣、終わり。…
…運命の竜、つづく。…
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