第四十三話…「崩れ去るモノと変わるモノ」
「…ハッ!?」
今の今まで、呼吸をする事を忘れていたかのように、俺は体の中へと空気を一気に流し込んだ。
まるで眠りから覚めるように、白紙だった頭の中に、目に映った世界が浮かび上がっていく。
石造りの天井、そしてそれを支える柱。
それらがゆっくりと動いている…、いや、動いているのは俺の方か。
視界、意識と同じように、体の感覚も、白紙だったモノから、状況を浮かび上がらせていく。
落ちている…、俺は今、落ちている。
ゆっくりと動く視界は、その速さを増していき、あっという間に、俺を地面へと叩きつけた…かに見えたが、硬い地面にたたきつけられる衝撃も、ソレに伴う痛みも、一向に姿を見せる事はなかった。
---[01]---
確かに、硬い地面へと体当たりする衝撃は無かったが、しかし、ソレとは別に、2本の長細い何かが、背中当たった感触ならあった。
それが支えや緩衝材代わりになって、俺を地面へ叩きつけられるのを止めてくれている。
「・・・」
「…大丈夫?」
譲さんのフルフェイスの鎧が、目の前にあった。
「あ、ああ」
俺の受け答えに対して、譲さんが姿勢を低くすると、俺の足が地面へとつく。
頭の回転が弱いながら、状況は何となく理解した。
どうやら俺は、譲さんに両手で抱えられる形で、落下を止めてもらったらしい。
---[02]---
そのまま落ちていたら、怪我をする所か、落ち方次第では命の方もぽっきり逝っていただろう。
「すまん譲さん、助かった」
意識をはっきりさせようと、頭を横に振りながら、立ち上がる。
しかし、体はふらつき、すぐにその場へ膝をつく。
足が、生まれたての小鹿のようにふらついて、こうして膝をついているだけでも、倒れるのではないか…と一抹の不安を抱く始末。
いよいよ、俺も限界なようだ。
というか、限界なんて、とうに超えているから、限界の限界か?
何を言っているのかわからなくなるな。
限界の限界…、限界が動けなくなる事なら、そのさらに先の限界は、命そのモノか?
---[03]---
いやよそう、考えても仕方ない。
関節の至る所が、ジンジンと鈍い痛みを持っている事とか、意識はハッキリしているのに瞼が重く感じるとか、全身を襲う倦怠感とか…、足を含めて至る所で震えているとか…。
自分の体の、限界を証明できるモノを、探し始めたらキリがない。
この震え…、パッと見てわかる…、自分の右手の震え…。
それは何処となく見覚えのあるものだ。
ガキの頃、無理して魔法の練習をしていた時、よくこんな状態になっていた。
体の疲労…、魔力の使い過ぎによる疲労…、色んなモノが体いっぱいに詰まっている。
「・・・」
---[04]---
右手…?
俺の目には、魔法を使えなくなった右手が映っている。
右手…という単語に、引っかかるモノを感じた。
そうだ。
ドラゴンモドキからシアを引きずり出す時、右手で…。
「…シアは!?」
確かに俺は、右手で少年を引きずり出した。
それが少年にとって、喜ばしい事なのか、そうじゃないのか、そんな事は考えもせず、必要な事なのだと、自分に言い聞かせて…やりきった。
確かに落ちていた時、意識が途中一瞬だけ途切れているが、途切れる直前まで、少年の手を、この右腕は握っていたはず…。
---[05]---
俺は慌てながら立ち上がり、周りを見回そうとして、結局足が小鹿な為に、すぐにその場に尻餅をつく。
「…大丈夫。少年なら、そこだ」
恥ずかしくも尻餅をつく俺を見て、譲さんは俺のすぐ横…右手側を指差す。
釣られるように、その方向へと視線を向ければ、そこにはシオに抱かれた少年の姿があり、丁度兵士が駆け寄って来た所だった。
手当てでもするのか、兵士はてきぱきと作業を始める。
それを見て、俺はホッと胸を撫で下ろした。
同時に目に映るのは、そんな少年達や俺らを、守る様に大盾を構えた兵士達だ。
「ドラゴンモドキは!?」
ホッと息を付けた所で、余裕が生まれ、自分達の一番対処しなければいけないモノの事を思い出す。
---[06]---
むしろ、そっちを最初に思い出さなければいけなかったが、今の俺では、その辺の思考の整理整頓など全くできない。
全てがごちゃ混ぜで散らかり放題、パッと頭に出てきた事、パッと目に着いたモノから手を付けていく事しかできないのだ。
「・・・今は、問題無い」
今は?
譲さんは俺の問いに、難しい問題を解こうと頭を捻るような顔を見せつつ、何かを手渡してくると、ある一点を指差した。
それは、大盾を構えた兵士達が向いている方向だ。
手渡されたのは、どこか見覚えのある小さな半透明の結晶のような石、そして、指差された方向には、白い連中が動かずに力なく倒れ、山となっている光景があった。
---[07]---
山を築いている白い連中は、糸の切れた操り人形のように動く事はなく、肉塊をただ積み重ねている。
その絵面ときたら、不快の極み…と言った所だ。
血痕がびっしり…血肉びっしり…て絵面は言うまでもなく猟奇的で悲惨な現場だが、白い連中の正体が何であれ、不気味ではあれど、人に近い…か人と同じ体を持つ連中が、動かず生気のない表情で、その目を開けながら山積みになっている絵面も、十分猟奇的…というか、単純な殺人現場よりも狂気を孕んだ光景に見えなくもない。
「…サグエさんが、少年をあそこから抜き出した途端、ドラゴンの形を保たなくなって崩れ落ちてあの様だ。まだ大して時間も立っていないし、油断はできないけど、今の所、動き出して襲ってくるような様子は見られない」
「そうか…」
---[08]---
少年を抜き出した途端…か。
そこから、落下して…少年を気遣って…というくだりはあれど、確かに時間は経っていないな。
動かないから安心だ…なんて事は、口が裂けても言えない程度には、時間は経っていない。
安心できるだけの時間を空中で過ごせる訳もないし、長い時間意識を失っていたなら、もう少し体の方も辛さが抜けているはずだ…、いや、こんな状態で起きられたのが奇跡だ…、普通ならしばらく目を覚ませないはず…。
この場がまだ安全ではない…て理由は、場を支配する張り詰めた空気に加えて、何より譲さんの警戒態勢が証明している。
ほんと状況の整理だな。
---[09]---
回らない頭でも、絞り出した出涸らしだって、かき回せば少しでも安全性を高められるだろう。
立ち上がるのは厳しいから、尻餅をついたままの体勢を整え、そして、譲さんに渡された石を見る。
同時に見えるモノ、普通にしているつもりだが、弱々しく震える右手がそこにはあった。
俺は警戒こそしているが、これを見ては、どうあっても役に立てそうにもない事がわかる。
普段は全く飲まない薬を飲んだ結果か、それとも飲み過ぎた結果か…、魔力が残っている事でまだ何とか起きていられるのか…。
まぁ、何にしても…、今は周りの警戒は他の連中に任せて、半透明の結晶のような石だ。
---[10]---
俺は、薬の入れてある鞄から、ソレを取り出した。
形は違えど同じような大きさで、色も違うが同じように半透明…、封印の杭の方で見つかった石と、鉱山の方でレッツォが見つけた石だ。
細かい差異はあれど、多分同じモノだろう。
叩いてみれば同じような音が鳴るし、肌触りも凹凸の違いで全く一緒…という訳じゃないが多分同じだ。
3つが見つかった場所に、接点なんて無いだろう。
誰かが持ち込んだモノかもしれないが、そうなってくると、この場にいる誰かが敵…、もし敵と言うのが言い過ぎだとしても、信用できない奴が出てくる、それかこの場を出ていった誰か…。
「譲さん、コレは何処で見つけたんだ?」
まずは発見者の意見を聞いてからだな。
---[11]---
「どこというか、渡したモノ以外にたくさんある、周りにたくさん」
たくさん?
頭に疑問を浮かべながら、俺は周りを見る。
確かに落ちていた。
この訓練場を照らす明かりに反射して、地面に落ちたそれらは、キラキラと…、いや鈍い光を気味悪く放っている。
半透明だから…て訳じゃないし、光の具合という訳でもない。
その光景に、俺は不気味さを覚えた…、だからこそ、その光が反射するそれらをキレイ…だと思えなかった。
譲さんの言う通り、確かに大量に落ちている。
文字通り、大量に…。
「私達の方では、状況を理解できなくてね。その石がどういったモノなのか、あなたに判断してもらいたい」
---[12]---
どこか譲さんの話し方に違和感を覚えなくもないが、彼女の言葉の方に、俺は首をかしげる。
騎士団の一員として、多種多様な問題を、任務として解決してきたであろう譲さんが、理解しかねる問題…、正直、ソレを俺が解決できるとは思えないんだが…。
解決…というより、意見を聞きたい…と言った所だろう。
今の俺に、どれだけの知恵を絞り出せるかは…疑問だが。
「それで…、何がどうなってこうなってるんだ?」
1つだけ落ちていたというのなら、誰かが落としたと言っていいだろう。
だが地面へ無数に散らばった石を見るに、10個20個は超えている。
俺が気付かなかっただけで、元から散らばっていたか?
流石に、俺の目もそれを見落とす程節穴ではないと思うが…、正直、今はソレを断言する自信も沸いてこない。
---[13]---
「簡単に説明するなら、その石の正体が判明した…という所ね」
「正体って…なん…」
疑問を言い切る前に、ソレはドサッと音を立てて、俺の目の前に落とされた。
ギョッとソレに対して驚きはしたものの、声は出さない。
不気味ではある…あるが…、この短時間に見過ぎたせいで、驚きはしても、見慣れたがために、それに対して悲鳴を上げるまではいかないってもんだ。
俺の目の前に置かれたモノ…、それは動かなくなった白い奴だった。
「こいつが…なんだ?」
「見ていればわかる。死骸だですぐに始まるから」
何が始まるんです?
白い奴に目を向けて、そんな質問が口から出ようとした時、俺はその言葉を喉の奥の方へと押し込む。
---[14]---
動かなくなった不健康とさえ思える蒼白い体が、おかしな状態になっていた。
どうおかしいかと言えば、その体が崩れていた。
固めた灰が強い衝撃で崩れ落ちるように、ボロボロ…と、その形が崩れていた。
見える範囲で、亀裂も入り、俺の前に置かれた時の衝撃で、体の節々は崩れ、灰のような粉っぽいもので、小さな山を作っている。
戦い、斬り伏せ、倒す…、そういう戦いの場の時点で、気味が悪いとは思っていたし、気持ち悪いとも思っていた…。
どこまでも感情を感じず、人形のようでいて、斬れば血も出るし、人間のように死んでいくこいつらに、人としての影も見えて、やりづらさも感じたし、申し訳なさも感じなくはなかった。
だが…、そんな人を斬る事で感じるであろう感情…思いは、コレを見る事で杞憂であった…と霧散していく。
---[15]---
もしかしたら…と思う部分もあったから、ホッと胸を撫で下ろす。
やはり、人ではなかったようだ。
俺が触れるでもなく、その体は、どんどんとその形を保たなくなり、最後には人の形だった…と言える程度の山を作りだした。
山を作っている灰のような、砂のような…、粉のようなモノも、風に吹かれた砂のように消えていく。
そんな光景を、俺も、譲さんも、最後まで静かに見届けていた。
その最後に、丁度人で言う所の心の臓があるであろう場所付近の山が消えた所で、見覚えのあるモノが姿を現す。
「・・・なるほど」
分からん。
だが、譲さんの言う正体…てのは、コレか。
---[16]---
白い奴の体が崩れ、中から、俺の手の中にもある…同じモノであろう石が出て来た。
そう。
白い奴の体から石が出てきたのだ。
「どういう原理だ?」
俺はわずかに残っている連中の体を作っていたソレを、左手で触ってみる。
触った感触は、砂…というより、灰に近い。
だが、これは灰ではない。
白い連中が命って灯を燃やし尽くした灰ってんなら、笑えないにしても冗談と言えるが…。
魂を燃やす…か。
それが何かわからないから、その場でできる事をしてみる。
---[17]---
水をかける…が何も起きない。
魔法で火を付け見ると、それ自体が、燃えはしない、だが何となく発光して見えた。
魔法ではない火でも同じ事が起きるのか…、それも確認してみたい所だが、まずは、俺自身の残りカスな魔力をほんの…ほんの少しだけ与えてみる。
すると、その灰モドキが発光した。
火というより、魔力に反応しているのかもしれない。
もしくは、これ自体が、もしかしたら魔力…なのか…。
『なんだッ!?』
疑問は尽きない。
顎に手を当てて思案しようとした所で、誰かの声が上がる。
それは何処か叫び声にも似たモノに思えた。
---[18]---
反射的に、声のした方向へと向く。
それは、少年の…シアの治療をしていた兵士の1人から上げられたモノだった。
何事か…と、一斉に周りにいた連中の目がそちらに注がれる。
見られているのは、兵士じゃない。
視線はその先、服はボロボロで、左腕の無い少年へと注がれていた。
焦点は定まらず、心を失ったかのような目で立ち尽くす少年に…。
少年の目には、以前会った時のような感情は一切なく、この状況に困惑している様子も見受けられない。
感情をどこかへと置いてきてしまったかのような、そんなたたずまいだ。
だが、それだけだったら心配するだけで済む。
兵士が声を上げるのもわかる…、少年の無くなった左腕…その傷口からドバドバと黒い液体が溢れ出し、その足元を黒く濡らしていた。
---[19]---
血にしては黒い…黒すぎる。
何より、その量は明らかに致死量を超えるものだった。
まさに異様な光景だ。
少年が自分の体の事に動揺する様子は無く、周りだけがその光景に戦慄した。
シオは、少年の様子に震えながらも、手を伸ばそうとして、俺の近くに譲さんがいるように、守る意味も含めて、近くに居たレッツォに止められる。
ドバドバと出続ける黒い液体に動揺し、兵士が後退りする中、ソレが、俺の目の鼻の先まで流れて来た。
状況を整理しなければ、どうすればいいのか考えなければ…、俺は焦る。
少年の様子がおかしい…、しかし、倒れる様子もない…、わからない事が多くて無暗に近づけない…。
俺の目は、その液体へと向いた。
---[20]---
とっくの昔に干からびた口の中、少しでも緊張が和らげば…と無いモノを飲み込んで、喉を鳴らす。
俺を恐る恐る…、その液体に左手を伸ばした。
指先で触れたソレは、ドロドロと…、血よりもベトベトして粘着性が高い…。
そして、液体自体は常温というか、熱を感じるモノではないのに、触れた指先はほのかに温かみを増していった。
「・・・魔力?」
その温かさは、身に覚えがあった。
魔法を使う時に感じるモノに似ている。
「…ッ!?」
その瞬間、ズキッと、液体に触れた指先に痛みが走り、全身を駆け巡った。
これもまた、身に覚えのある痛みだ。
---[21]---
同時に、脳裏に見覚えが無いようでいて、覚えのある光景が浮かび上がる。
黒い場所…、巨大なドラゴン…、数えきれない程の人間…、願い…、水の中…、白い奴ら…、記憶…。
そうだ…。
俺は、シアをドラゴンモドキから引きずり出したその刹那…、そんなモノを見ていた。
一瞬だけ見た夢であろうが、ソレは、今まさに目の前で起きているかのように、はっきりと目に浮かんでくる。
そして、目に浮かんでくるモノの1つと、目の前で起きている事…、夢で見た光景と、現実で起きている事が重なって見えた。
---[22]---
少年の体は溶けるようにその原型を無くし、一つの肉塊へと変わっていく。
その時、ドサドサと音がした。
音のした方向は、ドラゴンモドキがその体の大きさを見せつけていた場所…、
そこにあった白い奴らの山が、さっき譲さんに見せられた奴と同じように、体を崩し、灰モドキへと変わっていく所だった。
それと比例するように、足元の黒い液体に対して、悪寒めいた感覚が背中を襲ってくる。
嫌な予感…、ソレは悪寒と共に、実態を帯びた現実となっていく。
黒い液体の中から、白い手が伸びて来た。
黒い液体に染められる不健康な青白い肌…。
白い奴らの手だった。
どういう原理か…、どういう魔法か…、ソレが液体から伸びてくる。
---[23]---
一瞬にして、伸び具合こそバラバラなものの、気持ち悪さ全開で、液体の海から、腕という名の草原が作り上げられた。
そして、数少ない答えの中で、この液体自体が、何かしらの魔法なんだという理解に至る。
それを行使しているのは、もはや人とは言えない、人間3人分の肉塊となった…元少年。
元凶が何か、その答えに行きついたのは俺だけじゃない。
この光景を見れば、誰でもその答えを思い浮かべるはずだ。
そして、その中で動いたのは、動けたのはただ1人。
一瞬にして、元少年の肉塊に飛び乗った剣士…。
白金の鎧を、所々血で染めた女性…、譲さん…アリエス・カヴリエーレ…、彼女は、何の躊躇もなく、その剣の切っ先を肉塊へと突き刺した。
もし、肉塊が、元少年の姿だったら、彼女は少しでも躊躇しただろうか。
あまりの迅速さに、反応しきれない程だ。
バチャバチャ…と、周囲の腕の草原は、地面のその体を血から無く倒していく。
その音は終わりの音…とでも言うのか、黒い液体は、焚火で焼かれた石に落ちる水滴のように、瞬く間に消えていった。
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