第三十六話…「温かな草原の風と暖かい火」


 サラサラと風に揺られる草花たち。

 晴天の下に流れる風は、花の甘い香りを運んでくると同時に、暖かな温もりを届けてくれる。

 そんな昼寝に持ってこい…な状況にも関わらず、大の字で草原に背中を預けて寝そべっていても、全く眠気はやってこない。

 逆に、俺はその手の…ジンジンと響き続ける痛みに、苦悶の表情を見せていた。

「もう一回…もう一回…」

 体を起こし、右の手の平に手に持ったナイフの刃を立てる。

「ふぅ…ふぅ…」

 何度やっても慣れる事のないモノ…。

 その手の平には、何本も…切っては塞がり…切っては塞がり…を繰り返した切り傷が残っている。


---[01]---


 軽く血が出る程度に切っているだけで、その傷自体はそのうち跡形もなく消えるモノだ。

 そう頭の中で自分に言い聞かせて、何度もその自傷行為を繰り返してきた。

 魔法を使う為であり、その傷を治す為に必要な事…、傷が消えるのは魔法を使えている証。

 痛いけど、それでもやればやるだけ魔法が使えるようになっていく事実が、嬉しくてしょうがなかった。

「ぐ…」

 刃が皮を切り…肉を切る。

 全身が総毛立って悪寒が走り抜けていく。

 トロトロ…と切った場所から血が溢れ出てくる…。


---[02]---


「・・・よし、じゃあ次は…」

 俺は手を、空に向ける。

 手の平に溢れた血は、熱した鉄板に落ちた水滴のように蒸発していき、今度は手の先に小さな火の玉が出来上がっていった。

 最初は一つまみ程度だったモノが、魔力をそこへ集めれば集めるだけ、大きくなっていく。

「…かまどに薪を入れて…空気を送るとこを…強く…思い浮かべて…」

 大きくなっていった火の玉は、最終的に大人の頭程度の大きさにまでなる。

「できた…んぐッ!」

 自分の手の先で燃える火の玉に、喜びのあまり笑みを浮かべたのも束の間、ズキッと傷口に激しい痛みが走る。


---[03]---


 その結果、火の玉は制御できなくなって弾けた。

 自分の周りに飛び散ったソレは、最初こそ何も無かったけど、徐々に鼻へと焦げ臭い臭いを香らせていく。

 そして瞬く間に草花に火を付けた。

「やばッ!」

 俺はとっさに近くの火種を踏みつけて火を消すと、すぐに別の場所へと足を延ばす。

 慌てふためき、その火の多さは子供1人の頑張りでは追いつかず、あっという間に自分の周りを火が覆った。

 その状態に、ただの火を消すだけじゃ間に合わないと思って、その火自体を操ろうと手を突き出す。


---[04]---


 でも、俺が行動を取った時には、その火たちは、夜に輝く小さな光虫のような、いくつもの小さな火となって、もうそれ以上、草花を燃やす事無く宙を飛び始めていた。

「・・・これ…」

 火種を残さず、全てが宙へと舞った火は、1つ…また1つと、その光を消していく。

「魔法の練習をする時は教えてって…いつも言っているでしょ、ガレス」

 昼間にも関わらず、その消えゆく光の綺麗さに目を奪われる中、俺はその声にドキッと体を震わせる。

 振り返るとそこには、大きくなったお腹を優しく手で包む姉さんの姿があった。

 肩にかからないぐらいの赤髪を風になびかせながら、こっちに向けてくれる微笑みに、俺は頬が熱くなるのを感じ、思わず目線を外す。


---[05]---


「これは…別に…」

 なんて返せばいいか…、言葉が詰まる。

 だって、言い訳のしようがない…。

 自分の周りが燃えて黒くなってる惨状が、全てを物語っている。

「水臭いですね。何年もお婆さんが魔法の練習に付き合えない時に、私が付き合ってあげてきたというのに…」

「そりゃ…助かったけど…、姉ちゃんだって暇じゃねぇだろ? 今だって、動き回るのは良くないって婆ちゃんが言ってた」

 春も終わりが近づいてきたこの季節、姉ちゃんの家へ、新しい命がもうすぐ生まれる…。

 その大きくなったお腹を一瞥して、俺は姉ちゃんに背を向けた。

「魔法の練習ぐらい、姉ちゃんがいなくたってできるっての…」


---[06]---


 この悲惨な現場を目にして、一体誰がその戯言を飲み込めるというのか。

 まさに、言い訳のしようがない所を、無理矢理絞り出した言い訳…、出がらしだ。

「私が来なかったら、この辺一帯火事になっていたのに…、よくそんな事が言えますね」

「…んぐ…」

 当然の返しに、俺の額を嫌な汗が伝い落ちる。

「なんか他人行儀というか、この2年間ずっとそんな感じですね。・・・考えない様にしていたけれど、まさか反抗期? まだ10歳にもなっていないのに、それは早すぎじゃないですか?」

「と、とにかく、姉ちゃんの手伝ってもらわなくたってちゃんとできるわぃッ!」

 再び姉ちゃんの方へ向き直ると、自分の胸をポンッと叩く。


---[07]---


「見てろ、さっきはちょっと調子が悪かっただけだからッ!」

 俺は、血まみれになった右手の平を突き出す。

 手の平にこびりついた血はそのままに、傷口から新しく溢れた血が消えていく。

 最初は小さく、徐々に大きく…、火の玉が作り出されていった。

 ここまではさっきと同じだ。

「んんん…」

 でもまた手がズキッと痛む。

 さっきはこの痛みに驚いたから、だから魔法が制御できなくなったんだ…、痛くなるのがわかってれば、どうって事…ない…。

「・・・」

 でも、この後の事…なにも考えてなかった。

 大きければ大きいだけいいのか?


---[08]---


 大きいのは偉大だと思うけど…。

 そもそも火だし、形もクソもないだろ…。

「ん…ん~…」

 ここでボケを噛ませない。

 姉ちゃんの前で何回も失敗をして堪るか…。

「ガレスの作る火は、暖かいですね」

「…え?」

 大きくなっただけで、なんの変化も起こせない火に夢中になっている間に、姉ちゃんが近寄ってきて、俺の火を操る手を取った。

「これ、集中せんか」

「あいたッ!」

 驚きで火の形が乱れた事にも気づかれて、脛を蹴られる。


---[09]---


「気付いていますか? 村の人たちの作る火は、燃やす事を強く意識し過ぎているの。狩りの為の…獲物を仕留めるための火…、お肉を焼くために強められる火…、お日様が沈んで…真っ暗な世界を遠く何処までも照らそうとボウボウと燃える火…、どれも大切な火だけど、どこまでも無機質で、何も感じない…冷たい火…なのですよ?」

 さっきまで、大きく…大きく…と考えていた火が、徐々にその大きさを小さくしていく。

「それと引き換え、ガレスの作る火は暖かいですね…」

「意味わかんねぇ」

 火に冷たいも何もないだろ。

 ただ熱いだけ、触れば火傷をするだけだ…。

「火は、ただ熱いだけだ。あと明るい…」


---[10]---


「根っこの本当の形はそうだけど…」

 姉ちゃんは苦笑いを浮かべる。

「魔法は、色んなモノに意味を与える力だって、私は思うの」

 小さくなった火の玉は、人の形…鳥の形…、犬や猫…と、その形を多彩なモノへと変えていく。

「やり方次第で、その熱量も変わって、触っても熱くなくなったりする」

 最終的には、小さな…手の平に乗るほどのフクロウの形に収まり、姉ちゃんはそんな火を直に触れて見せた。

「自分の手の上で火を燃やしているのに熱くないのだって、そうであれ…てガレスが決めたから、そうあり続けている。ただ意味も無く作り出された火は、その辺の火と変わりません…、ただ燃やし…ただ明かりを灯すだけの、ただの火…」


---[11]---


 気が済むまで姉ちゃんに撫でられた火は、小さな翼をはためかせ、俺の手の上から空へと飛び立っていく。

 本物の鳥が空を飛ぶ姿となんら変わらない…自然な形。

 犬や猫が走る姿にも変わって見せ、そして魔力が切れると共に…、その灯を消した。

 俺じゃない…、姉ちゃんが操って見せてくれたその火。

 魔法自体は俺のだったから、俺が魔力をあげる事をしなかったせいで消えてしまう。

「あ…」

 その自由自在に形を変えていく火に、俺は気が付けば目を奪われていた。

 火が消える瞬間の、その一際大きな輝きに眩しさを覚えながらも、消えていく事に残念さや悲しみさえ覚える。


---[12]---


「ガレスが魔法にちゃんと魔力をあげないから、思いのほか早く消えちゃいましたね。もう少し動かしていたかったのですが…」

「…じ…自分の魔法でやればいいじゃんか…」

 姉ちゃんは本気で残念だ…と思っている訳じゃない…。

 一瞬だけ苦笑いをしたけど、すぐにいつも通りの微笑みを浮かべてくれる。

 でも、一瞬でもそんな顔をされた事に、俺は胸に締め付けられるような苦しみを覚えた。

 同時に気恥ずかしさもぶり返して、そんな感情を紛らわすように、視線を反らしながら、口を尖らせる。

「も~、またそういう事を…。私、こんなだから少しでも楽に…て、本当はできる限り魔法は使わないように言われているの、知ってるでしょ?」


---[13]---


 姉ちゃんはそう言いながら、自身の視線をお腹の方へと向ける。

 じゃあ今のだってダメだろ…て、そんな言葉が口からこぼれそうになるが…。

「今のは、私が直接魔法を使ったわけじゃないからいいのです」

 姉ちゃんは、俺が何を言おうとしたのかわかっていたかのように、ため息交じりにこぼした。

「ガレスとは魔力の属性が一緒で相性がイイですから…、それにこれでもお婆さんの次にあなたと魔法での付き合いが長いのですよ? 属性の相性に魔法の癖とかもわかっていて、ガレスさえ力を貸してくれたら…、自分で魔法を使うよりずっと楽なのですから」

「じゃあ、次から貸さないようにするか…」

「またそうやって意地悪言う~…」

 姉ちゃんは掴んでいた俺の手を上下にぶんぶんの振る。


---[14]---


「魔法使いに魔法を使うな…てすごく酷い事を言っているって、ガレスだってわかっているくせに~…」

「ふっ」

「も~…、大切に思ってくれている親切心に疲れたから、ここにガレスがいると思って来たのに…、あなたまであの人達と同じ事を言わないでくださいよ~…」

 大人びた姉ちゃんの顔に、子供のような困り顔が見えて、我慢しきれずに、俺は笑う。

「あんまり意地悪な事言うなら、お婆さんに言いつけますよ?」

「げッ…」

 意地悪は意地悪だけど、別に婆ちゃんに言う程じゃ…。

「いつもお婆さんに言われていますよね? 人に頼られる人間になりなさい…て」


---[15]---


「違う…、いろんな人に仕事を貰える人間になる様にって言われる事はあるけど、そんなの言われた事ないよ。それに他人のためにじゃなくて自分が生きていくためにだッ」

「同じ事です。仕事を貰えるという事は、頼られている事と同じですし、それに頼まれた事をやって、そのお礼にモノを貰う。出来が良ければそれだけお礼も弾んでもらえますし、そのための努力は他人の為になりますよ? でも今のガレスは、その真逆を行っています」

「むむむ…」

「はいッ、ではでは、私の気晴らしのため、もう一回魔法を操らせてください。その後で、お礼にちゃんと魔法の練習に付き合ってあげますから」

「わかった、わかったよ」


---[16]---


 このまま意地悪を続けて婆ちゃんにチクられても嫌だし…、それに練習を見てくれるなら、十分なお返しだ。

「では、早速やりましょう」

 姉ちゃんの為に、魔法で火の玉を作り出す。

 さっきと違って、チクッとする程度に刃の切っ先で指先を刺しただけで、全然辛くも無い。

「やっぱり…、ガレスの火は暖かいですね。火を付ける時、何を思い浮かべているの?」

「家の…暖炉の火とか…かまどとか…」

 いつも俺や婆ちゃんの為に燃えてくれる火…、自分にとって近くにあり続けてくれる…寄り添ってくれるモノの1つ。

「そうですか…、だからですね」


---[17]---


「何が?」

「ガレスの作る魔法の火が、暖かい理由がわかりました」

「俺はわからん。その理由って何?」

「ふふ、秘密です」

「ええ~…」

 自分は意地悪するなと言ったくせに…。

 なんだかんだ、姉ちゃんには何もかもお見通しのように思える。


『その火を付ける時の気持ち…忘れていません? 絶対、絶対に、忘れちゃいけませんよ?』


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